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2018-06-17
奇妙な浴槽の波型の波
キリコの「奇妙な浴槽(I bagni misteriosi)」シリーズおよびそのバリエーションは、1934年、ジャン・コクトーの文集『神話(Mythologie)』に提供した10枚のリトグラフにはじまる。描かれている人物は、最初期のものを除くとすべて男性で、浴槽に浸かっている者は全裸、そうでない者はスーツ姿。浴槽やそれらをつなぐ水路の波が波型に描かれている。


蛇口から出る水も波型。

1973年のミラノ・トリエンナーレで立体化される。ここでも水は波型。

制作中の浴槽オブジェの前に立つキリコ。
この年、キリコは85歳。40代なかばではじまった「奇妙な浴槽」シリーズは40年近くにわたって続けられた。
2018-06-15
いわば平穏の悲劇
ジョルジョ・デ・キリコは、彼の「形而上絵画」(イタリア語で Pittura Metafisica、英語で Metaphysical Painting)を、1910年、フィレンツェで描きはじめる。

フィレンツェでは、さらに健康が悪化した。それでも、思い出したように小さなカンバスに絵を描くことはあった。私のベックリン時代は終わりを告げ、ニーチェの本のなかから発見した力強く神秘的な感情、イタリアの町々の美しい秋の日の午後の憂鬱を、種々の形で表現しようとする方向へ向かっていた。それはとりもなおさず、それからしばらく後にパリで、またさらに後になってミラノやフィレンツェやローマで描くことになる『イタリアの広場』の前奏曲でもあったのだ。(笹本孝、佐々木菫訳『キリコ回想録』)

「私のベックリン時代」とは、キリコが当時の人気画家アーノルド・ベックリンの影響下にあった時期をいう。この回想にあるように、ニーチェの著作に接したことでベックリンから離れ、ニーチェに入れ込むことになる。
「秋の、ある午後の謎」(L’enigma di un pomeriggio d’autunno)は、「イタリアの広場」を背景に描かれる最初期の一枚。


ある澄みきった秋の午後──と、キリコはこの絵を描くことになったきっかけを振り返っている。長い腸の病いから治ったばかりの体調で、彼はサンタ・クローチェ広場のベンチに坐っていたが、

私を取りまくすべての外界、建造物や噴水の大理石すらも私には病み上がりのようにうつった。その広場の中央には、長い上着を着て自分の作品を身体によせてしっかりと抱き、物思いにふける頭に月桂樹の冠をいただいたダンテの彫像がたっている。その像は白い大理石で出来ていながら、天候によって見た目に非常に快いグレーの銀色を呈していたのである。秋の暑い強い太陽によって、その像と教会の正面は輝いていた。その時私はこれらの物をはじめて眺めるといった不思議な印象をもち、その絵の構図が私の心の眼に明らかにうつった。(岩倉翔子訳「ある画家の瞑想」、中原佑介編著『25人の画家 第25巻 キリコ』所収)

目の前の光景を病み上がりの精神状態で受け止めたゆえに、かえって自分の描くべきものがくっきり脳裏に浮かんだのであろう。この光景を直接のきっかけとして、

都市の構造、家屋、広場、公共の散歩場、港、鉄道駅などといった建築の形態の中に、ある偉大な形而上美学の基礎原理がある。ギリシア人たちは、彼らの審美哲学の感覚に支配されたこれらの建築物の中に、ある種の不安感を抱いていた。たとえば柱廊、影のある散歩道、自然の大景観の前の平土間のように建築されたテラス(ホメロス、アイスキュロスのごとく)、いわば平穏の悲劇。イタリアにはこれらの建築物の現代の驚くべき見本がある。(岩倉翔子訳「形而上芸術について」、同上所収)

これら都市の構成要素である建築物を、古代ギリシャの人々が抱いていたにちがいない「いわば平穏の悲劇」の情緒でまとめて画中に配したものが、「秋の、ある午後の謎」の一枚ということになる。
キリコが眼前のイタリアの都市の景観のかなたに古代ギリシャを見ていたことは、同じ時期の作品である「神託の謎」(L'enigma dell'oracolo)について、「ギリシアの先史時代の流れをくむ詩情にみちあふれた絵」(『キリコ回想録』)と自身で語っていることからもうかがえる。

2018-06-15
「アムステルダムの船員」の逆ミステリーな構造
オランダの帆船アルクマール号が、香料その他の高価な資材を満載してジャヴァからもどってくる。
船がサザンプトンの港に入って、船員たちに上陸の許可が出る。
船員の一人、ヘンドレイク・ヴェルステーヒは、右肩に猿、左肩に鸚鵡おうむをのせ、さらにインド織物をかついで上陸する。
「鸚鵡の買い手をお探しですか」
と身だしなみのいい紳士が近寄ってくる。

ギヨーム・アポリネールの「アムステルダムの船員」は、逆ミステリー小説ともいえる掌編。
ミステリー小説でははじめに謎が提出され、しだいに謎が解かれていって、すべてが明らかになった時点で大団円だが、この「アムステルダムの船員」は上のようにはじまって、少しずつ謎が構成され、謎ができあがった時点で話が終わる。
船員ヘンドレイクはその謎の構成要素である。猿や鸚鵡も同じ。
途中で鸚鵡が籠に入れられて驚いたりする。驚くのは鸚鵡自身であって、ほかの登場人物ではない。
最後に意外な主役が設定されてジ・エンド。

肝心のコンテンツを欠いた推理小説ともいえる。あるいは、メイキング・オブ・ミステリー。
短編集『異端教祖株式会社』(1910年)所収。
2018-06-12
「ニーチェの限りなく孤独な詩情」というのだが
ニーチェは騒がしい。押し付けがましい。
おまけに自慢ばかり。
もう少しおだやかに語ってくれたら、読まないでもないのに。
と、ずっと思っていたのだが──

画家のキリコはそのニーチェの、こともあろうに、いやあると見たからにちがいないのだが、ニーチェの孤独な詩情に触発されて、いわゆる「形而上絵画」を描きはじめたのだという。
「この哲学者の発見した新しさ」とキリコは言っている。

この新しさとは、情調にもとづく奇怪な、奥深い、神秘的で、限りなく孤独な詩情なのである。……この詩情は、私に言わせれば、秋の午後の情調にもとづいている。その頃には、空はきよらかで、かげは、夏のあいだよりも長くのびるようになっている。太陽が低くなりはじめているからだ。この異常な感覚は、イタリアの町々や、ジェノヴァやニースなどという地中海沿岸の町々で味わうことが出来る。(もちろんそのためには、私が持っているような、例外的な能力を持つというしあわせを与えられていなければならないが)、そして、イタリヤの町のなかで、どこよりも、この奇怪な現象が起こりやすいのは、トリノである。(粟津則雄『思考する眼』による)

かくてキリコは、イタリアの町々で味わう秋の午後の憂愁に彩られた──と称する──作品を描きはじめる。
タイトルも、たとえば「ある街路の謎と憂愁」。


ほんとにこれがニーチェの「情調」に促されて生まれたものなのか。
信じがたいものを信じるには、そのつもりで──つまり、信じたふりをして──読まないと。
2018-06-12
切っても切っても
切っても 切っても 生えてくる
泉州の兄弟

切っても 切っても 首が生えてくる
泉州の兄弟

切っても 切っても
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