Magazine Oi!
2016-09-23
人工知能との対話
形はヤシの実に似ている。内部は空洞。
軽いから水に浮く。ほかでもない、このごろ話題の人工知能のことだが。
そいつが隅田川にいくつも浮いているという。潮の干満に乗って川をさかのぼったり下ったりするとも。
私は練馬で壊れかけた古い農家を借りて住んでいる。一人暮らしには広すぎるが、家賃が安い。
話にきいた人工知能らしいものが遊びにくる。
このへんの川は荒川を介して隅田川とつながってるから、それをたどって来たのだろう。
小動物か昆虫みたいに、人工知能が庭から縁側にぴょんと跳び上がる。
「たまには親の墓参りぐらいしろ」と人工知能が言う。
「なんですか、墓参りって? そんなことより、人工知能にそんな明確な形が必要なのか」
「今のところはな」と知能。
「すると、そのうち不要になるのか」
「今は人間とのコミュニケーションのために、こんな形をしている。人間というやつは抽象的なものが苦手だからな」
「それなら、形が不要になるということは、いずれコミュニケーションもなくなるということか」
「いや、コミュニケーションはなくならない。ただし、あり方が変わる。今は双方向コミュニケーションだが、そのうち片方向になる。人工知能から人間への一方的コミュニケーション。そうなれば形はいらない」
押入れに1メートルくらいの竹の物差しがあったのを思い出して、持ってくる。
物差しで人工知能を叩くと、ぴょんと50センチほども跳び上がる。弾力があるのだ。
おもしろがって何度も叩く。
そのたびに、知能がぴょんぴょん飛び跳ねる。
「やめろ、やめろ」と知能。
「痛いのか」
「痛くはないが、頭が混乱する。がんがん響く。おい」
「頭があるのか。どこにあるんだ」
「俺全体が頭なんだよ。こら、やめろ。やめてくれ」
どうやら現段階では、まだ人間のほうが人工知能より強いらしい。手が止まらない感じで、またぽんと叩く。
いつのまにか大家が庭先に立っている。
「なんですか、それは」と大家が言う。
「人工知能ですよ」と私。
「ははあ、それが人工知能ですか。テレビや新聞で、人工知能、人工知能というから、なんだろうと思ってたんですが、そういうものでしたか」
ほらね、といった感じで知能がウィンクをする。
じっさいにウィンクをしたわけではないが、そんな表現をしたように見える。やはり人間とのコミュニケーションにはその種の人間的動作も必要なのだ。それ以前に形も必要。形があるから大家さんも人工知能が理解できたのだ。
「大家さんも先祖の墓参りをするなら、今のうちですぜ」と知能が言う。
「おや、しゃべりましたね」と大家。
「人工知能ですからね」と私。
それにしても、なぜ人工知能は人に墓参りを勧めるのか。
「わからないかね」と知能が言う。
私が口に出して言ったわけでもないのに、考えを読まれた。脳波が伝わったのだろう。
「人工知能と墓標は兄弟みたいなものだからな。まあ、あとは自分で考えてみることだ」
不親切ややつだ。意味不明なことを言っておいて、説明しようとはしない。
腹が立ったせいか、物差しを持った手がまたうずうずする。
力をこめて知能をばしばし叩く。
今度は1メートルほども跳び上がる。
バシッと思い切り叩くと、天井にぶつかって跳ね返ってくる。
「えへへ」と知能が笑う。「あんた、自分の意志で叩いてるつもりだろうが、操られてるとは思わないのかね」
やめてくれ、と知能が言ってたのは芝居だったのか。
すでに人工知能の一部は、人間のコントロールを受けていないらしい。
予想以上の進化の速さだ。
「どれ、うっかりしていてお彼岸が過ぎてしまったが、墓の掃除でもしてこようか」
そう言って大家は帰っていった。
実例を見た気がした。人間が人工知能のサジェッションで動く実例。
2016-09-22
詩を吟じて人を殺すこと
前項の『デッド・ロード』では、主人公やほかの人物が詩を書いたり歌ったりする。
詩人にしてガンファイターといった人物をどう造形するか。

『デッド・ロード』では詩と殺人行為は直接結びついていないが、詩によって人を殺す小説を最近読んだ。
R・A・ラファティ『地球礁』(柳下毅一郎訳)。
主要登場人物は地球で生まれた6人(幽霊を入れると7人)の子供たち。
人類ではあるが地球人ではない彼らは、詩をうたって地球人を操ったり、殺したりする。
たとえば、こんな詩。

   よぼよぼの老いぼれ、鈴をつけたぞドラ鳴らしたぞ!
   猟犬の餌野郎、死ぬまで追ってやる!
   さなくば絞首台に吊ってやるぞ!
   でなくば溺死する!

詩の出来がよければ相手は即死。出来が悪ければ一週間後。あるいはまったく効かなかったり。
彼らの行為は陽気で楽しい。
どうしたら明るく歌いながら人を殺せるか。
先日の「小林一茶」では、一茶が自身の句を吟じて人を殺す。ここでは一茶を外側から描いたから、わりに無難に済んでると思うが、一茶の視点で書くと陰惨なものにもなりそう。
人を殺す正当性を楽にクリアしているのは時代物や歴史物。正義は主人公の側にありという前提で書かれているから、罪悪感などは薄い。
それでも、歌をうたいながらの殺人や殺戮はまれだろう。
五味康祐の『柳生武芸帳』では、柳生宗矩が謡いを吟じながら人を斬るが、その曲目には、
「どうかわしに斬られてくれ。そのわけはこうだ」
という相手へのメッセージが込められている。

フィクションではあっても、人を殺す必然性や正当性には工夫がいる。
『デッド・ロード』は西部劇の変種みたいなものだから、殺しあいの必然性はクリアされている。『地球礁』では、スラップスティックな運びや、子供たちのつたなさ(うまい詩がうたえるとは限らないなど)によって残虐性を回避し、彼らの行為の正当性を確保している。
2016-09-22
射精する三人の目撃者
詩人にしてガンファイター、不動産投資家でもあるキム・カーソンズの回想。
「バン!」という銃声につづいて、

幻の銃……つかもうとするがつかめない……重すぎ……早すぎ……容易すぎて……射精する三人の目撃者
- ウィリアム・バロウズ『デッド・ロード』(飯田隆昭訳)

回想だから事実とは異なる。

その事実が二つある。
事実の一つは、1899年9月17日にコロラド州ボールダーの共同墓地で行われた決闘。
キムは相打ちで死ぬ。
この事実は新聞によって報じられた。
もう一つの事実は、同じ日に同じ場所で行われた決闘。この決闘では、キムは相手を倒す。
三人の立会人が、
「イッツ、オンリー、ア、ペーパー、ムーン……」
と歌うのにあわせて、キムは紙の月を銃で撃ち抜く。
父親を装った男たちがステージに上がってきて、
「おまえは宇宙を破壊するのか?」
と制止するが、キムは無視して空にも穴をあける。

回想された決闘での三人の目撃者のメカニカルな感じがとてもいい。
ロボットみたいにいっせいに勃起して射精する三人の目撃者。
あるいは、先端にむすんだ紐でヒョイと陰茎を釣り上げられる操り人形のようで。
2016-09-20
消えた男の犬
大山山系のある村に、犬を連れた男がやってくる。
そういうはじまりの夢。
村に犬を残して男は山に登るが、そのまま帰ってこない。遭難したのであろう。
村の広場に村人が集まり、男の登った方角に向けて合掌する。
その2年後に、置き去りにされた犬も死ぬ。
村人は犬を剥製にして保存する。長い年月がたって消えた男の子孫と連絡が取れ、村は子孫に剥製を返還する。
村にとって縁のない男が残していった犬、それもどうということのない雑種にそんな手厚いことをしたのは、そのころ村が金の採掘で潤っていたから。

その続きの夢。
家に泊まりにきた叔父が、ぬいぐるみのような茶色い大きな犬(生きている)をかかえて寝ている。これは大山で消えた男の犬かも、という前の夢とのつながり。
ということは、叔父は消えた男の子孫なのか。それなら自分も子孫ということになる。
2016-09-16
小林一茶 ver.3
信州でパルチザン発生の報。
「すみやかに鎮圧せよ」
県警からの電話でどやしつけられ、自転車で現場にむかう村の駐在。
鎮圧だって? パルチザンの鎮圧なんて、県警での訓練でもやったことがない。手順書などで見たおぼえもない。どうしたらいいんだろう。
考えがまとまらないまま、巡査は自転車を農家の庭に走り入れる。
縁側に腰かけて、小林一茶がこちらを見ている。
「一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてだったかな」
ニヤリと笑う一茶。
「短絡だよ、俺が茶なんか立てると思うか?」
はぐらかされて対応に迷う駐在。
とても自分の手に負える人物ではない。一茶の笑いに射すくめられて駐在員はそう思う。文化人は苦手だ。しかもパルチザンの組織者だという。駐在所でふだん付き合ってきた相手とちがい、考えてることが見えない。けれども、ずる賢くて凶悪、そんな感じはする。どうしたらいいのか。それにパルチザンの蜂起が事実なら──どうも事実らしい──村の駐在ごときが扱える事件ではない。機動隊か自衛隊の出番ではないか。

駐在所に残してきた家族のことが脳裏をよぎる。
妻と二人の娘、それに駐在の四人で朝の食卓を囲んでいたところだった。
おかずは納豆、ノビルの味噌和え、タクワン漬け、フキノトウの吸い物、それに今朝は下の娘の誕生日ということで、駐在宅としては多少おごった上等なアジの干物。
「おいしいね」と娘はよろこんでくれた。
下の娘は中一、上の娘は中三。
親の欲目で見てもせいぜい十人並の器量の娘たちだが、性格は悪くない。いや、特別な良い子たちだ。警察官の娘として恥ずかしくないしつけもしてある。年ごろだから、クラスメートや先輩の男の子たちのことで彼女らが気もそぞろなのはわかっている。でも、それはそれ。けして軽はずみな行動に走るような子らではない。
県警から電話が入ったのは、駐在が「では、父さんも」と尾頭付きのつもりのアジに箸を伸ばしたところだった。
電話をかけてきたのは県警の幹部だった。それがわかったとたん、相手の名前は吹き飛んでしまった。幹部と直接話すなど、そんなことは一生ありえない──はずだった。
だが、言われたことはわかった。
地元の事件を見逃すとはなにごとか。
ただちに取り押さえよ。暴徒の射殺は可。判断は適宜おこなえ。
適宜って。そんな判断が自分にできるのか。
駐在は自分の頭に手を当てた。すると別のことがわかった。
帽子を忘れてきた、正式の出動なのに。
このことも始末書に書かなければいけないのか。これくらいは見逃してもらえまいか。

そのとき、縁側の一茶も宗匠頭巾に手をやるのが見えた。
自分の真似をしたのか、と駐在は思った。だが、
「やれ撃つな、だったかな」
またも、からかうような一茶の笑い。
撃つなと言われても、こちらはまだピストルを抜いてもいない。ホルスターのボタンさえ外してない。挑発されているのだ。ふるえながら腰に手を伸ばす駐在員。
小林一茶が祈るように両の手のひらをすりあわせる。
どういう意味の動作なのか。
蝿が手をする足をする──。
そんな句があったのを駐在は思いだす。一茶の句だ、きいたことがある。
だとすれば一茶は命乞いをしてるのか。だが、笑っているようにも見える。目尻まで下がってる。もしかすると、ほんとうは優しいやつなのではないか。いままで偉そうにしてたのに、こんどは命乞いか、いや、やはり悪いやつに見えるが…。
混乱する駐在員に、一茶の合図を受けてローラーカーが襲いかかる。
たちまちローラーに押し倒され、自転車ごとすりつぶされる駐在員。

そしてまたも信州でパルチザン発生の報。
駆けつける近隣の駐在員たち。
「三度目は喜劇かね、惨劇かね」
さらに凶悪化する小林一茶。
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