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2012-07-29
登場人物に語らせる
登場人物がしゃべってる。そういうことはある。というか、普通である。生きてるわけではないのに。
小説とは腹話術である。映画も演劇も腹話術である。

そういう馬鹿っぽい発見をした。
だけど、馬鹿っぽい発見をひとに話してはいけない。馬鹿にされるだけだから。

秋が来て日暮れが早まることを、秋の日はつるべ落としという。しかし、陽が詰まるのは、何も日暮れが早くなるせいだけではない。夜明けも遅くなる。だのに、そっちを言い表す言葉はない。何でかな、というようなつまらないことを話しながら、ぶらぶらと歩き始めた。
- 宮部みゆき『日暮らし』

登場人物が小旅行に出かけたくだり。
秋の日暮れが早いことをいう定形表現はあるが、夜明けが遅いことをいう表現はない。ということを作者は発見した。
でも、なんだか馬鹿っぽい。それで作者の発見ではなく登場人物の発見ということにしたのである。

もっとも、小説では作者の持論も登場人物に言わせる。
そのほうが角が立たない。かえって説得力を持つことさえある。
論説文より小説のほうが現実世界に似ている。
論説のほうが現実を正確に述べているように見えて、じつは小説のほうが現実を正しく写している。
小説の手法が現実生活の手法に似ているからである。
ほのめかし、根回し、うわさ話。
論理よりおはなし。
というわけで、以上のようなこともほんとうは第三者に言わせなければいけない。
孔子が言ったとか、赤ずきんが言ったとか。