to top page
2014-09-22
再話
空いてるアパートがあるときいて、トレルコフスキーは賃借の交渉に出かける。
権利金の額がおりあえば貸してはもらえるらしい。
ただし、部屋が空いたのは住人の女が窓から飛び降り自殺をはかったからで、その女はまだ生きていて病院にいる。
部屋を借りたあとに女がもどってきたら面倒なことになる。
そこでトレルコフスキーは病院に様子を見にゆく。
ステラという女が見舞いに来ている。
原文の流れがおかしいのか、翻訳のせいなのか、ステラの登場が唐突。台詞があるから存在してるとわかる。そんな感じでなんかおかしい。
トレルコフスキーはステラを映画に誘って、暗がりで彼女の胸をもむ。

子供のころから読書感想文が書けない。
そんなつまらないものを読ませて、何を書けっていうんだよ──というのは当然ある。
教師がすすめるのは例外なく「良書」である。
そんなものがおもしろいわけがない。
ということはあるのだが、それ以前の問題として文章が書けない。
自分で勝手に選んだ本でも感想文が書けない。
感じるところがないわけではないが、文章化できない。
で、再話というのを考えついた。
批評するのではなく、読んだ順に話を繰り返す。
植草甚一のやり方がそんなだった。
どこまでが原文の内容でどこからが植草の弁なのか境目がわかりにくい。
要は、自己流に語り直すこと
それだけで感想文になる。そう考えついてやってみたのが上のローラン・トポール『幻の下宿人』第1章のサマライズ。感想も入ってるし、読書感想文になってると思う。
今ごろ気がついて遅いんだよ、ふつうはそうするに決まってるではないか。
とは言わない。今さらでも気づかないよりはいい。

もうひとつ気がついたが、今までにもいくつかやっていた。
- 文学でヘミングウェイに勝つ方法
- エリオット夫妻
これでいい。というわけで遅ればせだが自分も読書感想文が書けるようになった。
この手法は創作にも使える。
たとえば映画を見て、そのまま語り直すとか。