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2015-11-04
托鉢
ヨーロッパのどこかの町。駅前で私が托鉢をしている。

托鉢をはじめたきっかけは、列車のコンパートメントでアメリカから来た母娘と同席したことらしい。母親は40代なかばくらい、娘は6〜7歳。
「あたしたち教団に入ってるの」と娘がいう。
「キリスト教?」と私。
娘が母親を見る。母親がうなずくと、「そうよ」と娘もこたえる。「あたしたちの神様は世界中のどこにもいてくださるの。だからどこに行っても安心です」
娘が神をどうイメージしてるのかわからない。世界のあらゆるところに一人ずつ神がいるのだろうか、それとも一人だけの神が世界に遍在してるのか。一神教なのだからたぶん後者なのだろう。でも、娘の頭の中までのぞけるわけではない。
「アメリカは来たことがある?」と母親が私にきく。「いえ」とこたえると、「とても良いところなのよ、ぜひ一度いらっしゃい」
ふいに、相手が英語で話していることに気づいてあわてる。自分は英語ができない。こんなときどう答えたらいいのか。言葉が出てこなくて、黙りこんでしまう。相手の好意的な誘いを無視したようになって、場がしらける。
同室の青年(これもアメリカ人)が話に割り込んでくる。なにか助けを出してくれたのだ。それからみんなで折り紙をして遊ぶ。カミ(神)→オリガミという連想が働いたらしい。

そういうわけ(どういうわけ)で、私は托鉢僧になっている。茶色の衣に杖を突き、鉄鉢を掲げる、日本でもよく見かける姿。噂ではアメリカ人の青年も托鉢をはじめたという。