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2016-01-02
実物大
生きがいをなくした老人。
昔は知られた発明家だったという。今も資産や収入はあり、豊かに暮らしている。だけど生きがいがない。やりがいのある発明を思いつかない。
「おれはもうだめだ」
そんなことをいつもつぶやく。

実物大の地図を作ろうとした。それが間違いのはじまりだった。
現実には1キロとか100キロとかある距離が、地図では数センチ、数十センチになってしまう。地図は小さく示される便利さもあるが、詳しく知りたいときは大きいほうがいい。理想は実物大の地図である。そう考えたのだった。
そんな地図をつくるための印刷素材や折りたたみ方法、縮小・拡大の仕組みまで、さまざまなものを調べまくった。だけど、できなかった。
そのうちにパソコンが普及しはじめた。今では携帯端末まである。これらの電子機器は実物大の地図を表示できる。表示精度はまだ不十分だが、それはデータが足りないだけで、原理的な問題ではない。
「負けた」と思った。
老人はすっかりやる気をなくして、ほかの発明も考えつけなくなってしまった。

再起のきっかけはテレビを見ていてつかんだ。ものまね芸を見て、
「こいつら、実物大だ!」
と気づいたのだった。まねる人物とまねられる人物が、ほぼ同じ大きさである。実物大ではないか。以来、小は紙細工のゲーム機やずっしり重いインゴッドのスマートフォンから、大は実物大のままごとキッチンセット、さらにはカネにあかして広々とした和風庭園まで、実物大のまがい物を老人はつぎつぎに作りはじめた。
キッチンセットや庭園となると、実物大というより実物そのものに見えそうだが、老人の庭園を散策すると、真贋の入り混じった落ち着かなさ、違和感、異世界感が味わえる。ああ、もしかすると、これが我々の住む世界の実相ではないか。いや、むしろこれこそ我々がいるべき所ではないか。そんな気にさせられるのである。
一部で老人の作品は3Dスーパーリアリズムと呼ばれている。このごろでは美術雑誌に取り上げられることもあり、画商もついているという。