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2016-08-07
七夕かと思った
今日は七日。七夕かと思ったら八月だった。

夢の中でサボテンのことを「悪石花」と書いていた。

浮木につかまって海を漂流している。
シャチに食われる。
誰も見てないから、一般化していえば孤独死。
つまらない人生だったが、最期もひどいなと思う。笑うしかないくらいひどい。
でも笑えない。
他人の目を前提としない自嘲は可能か。
自嘲というのは一種の甘えで、他人の目を意識してないと出てこないのではないか。他人に笑われる前に自分で先に笑ってやりすごすとか。甘えというより用心か。傷を浅くするための処世術。
だとしたら、シャチに食われても笑えない。誰も見てくれてないのだから、笑っても無駄。
でも、そこで笑えたらその人は(または俺は)仏ではあるまいか。最上級の悟りを得た仏、むしろ神か。
三身仏性具せる身と、とか言ってみる。

楽観でなければいいんだが、人は死ぬ瞬間、仏になるのではないか。
その先に仏としての生があるのではなく、死の瞬間だけの仏性。
「もういいや」とか「人生これまで」とか「まいりました」とかの諦めと解放。

ひと月おくれだけど、旧作2本。

  誰かが殺された日
  でも、誰が殺されたのか
  南の国の王子だったか
  あるいは王だったか
  縊り殺されたのだったか
  刺し殺されたのだったか
  沸き上がる読経
  七夕の四百八十寺
       - 七夕

  きょうは七夕
  誰かに逢いにゆくあてもなく
  逢いに来られる恐れもない
  笹の葉さらさら
       - 笹の葉さらさら