Magazine Oi!
2016-09-02
ローマ便り(第三信)
「山高帽のおじさん、こんにちは」と少女が声をかける。「わたしを買ってくださいな」
「おや」と男は振り向いて言う。「きみは花売りの娘さんだね」
「あ、いつかのおじさん。あのときはありがとうございました」
「で、きょうは何のご用だね」
「はい、わたしを買ってくださいな」
「きみの何を買うのかね」
男は用件を察したのだろうが、気づかぬふりできく。
「だから、これ」
と少女はスカートの腰のあたりをつまみ、すそを少しだけ上げてみせる。そして笑う。固い笑いだが、せいいっぱいのコケットに見える。
「お金がほしいのかね」
「はい、お金がほしいです。病気の母さんがいますから。それに弟や妹も」
「どのくらい要るのかな」
「はい、一〇リラいただきます」
男は財布から数枚の紙幣を抜き出した。
「これをあげよう。多少の足しにはなるだろう。だけど、いいかね、きみは身体を売ったりしてはいけないよ。その場の暮らしはしのげても、かならず後悔することになるから」
男は少女の手をとって、紙幣をにぎらせようとする。
少女はその手を振り払う。
「どうした? お金が要るんじゃないのかね」
少女の顔に血がのぼる。怒ったにちがいない。
「わたしはお乞食さんではありません。仕事をしてお金をいただいているのです」
「こんなのは仕事ではない!」
「いいえ、仕事です」
「仕事なんかじゃない。女の子のすることでもない」
「わたしは女の子ではありません。家族も養えるちゃんとした大人です。それだけじゃない! イタリアとローマのために役立つ立派な仕事だと、プロトスさんも言ってます」
「なんだと、プロトスだと?」
男は叫んだが、すぐに自分を落ち着かせるかのように声を低めた。
「そういう名の人物におぼえがある。そいつはもしかして百足組のプロストではあるまいね」
「プロストさんをご存知なんですか?」
「知っているどころか──」
「それに百足組のことも? でも、百足組のことは秘密だって、あの人は言ってましたが」
「あいつめ、まだ生きていたのか。いいですか、娘さん、わたしの言うことをよくきくんだ。プロトスに近づいてはいけない。あいつは詐欺師なんだよ。百足組というのはヨーロッパ中で悪事をかさねている詐欺連中、それを率いているのがプロトスなのだ。いいかね、あんなやつに近づいたらろくなことはない。げんにきみは、身体を売るようなことをさせられてるではないか。そうだね、プロトスに命じられてやってるんだね?」
「そんな、命じられたなんて──」
「いいや、命じられてやっている。それとも、操られてると言おうか」
「操られてなんかいませんん。わたしがわたしの意思でしている仕事です」
「そう思い込まされてるんだよ。やつめ、生きているなら七〇近いか、いや、すでに過ぎているか。いったい、そんな年寄りとどうして知り合ったんだね」
「おじさん──」
「なんだね?」
「おじさんは人違いしてらっしゃる」少女の顔に安心したような微笑が広がった。「プロトスさんはお爺さんではありません。まだ青年よ。若くて、背が高くて、お話も上手で、とても素敵なかたですわ」
「なんだと?」
「それに、わたしにはとても優しいの」

以上、いつかの花売りの少女と山高帽の男の再会を目撃しました。
当地も秋が深まってきて、朝夕はめっきり冷えこみます。いっぽう、日中はまだ暑く夏の騒がしさが残り、とくに午後は例のにわか雨もあって、いや、そんなことを言っているうちに、いきなり降ってきました。急な夕立のなかで男が少女をかばうような姿勢をとり、二人は歩調をそろえて駈け出します。いったい、どこへ。