Magazine Oi!
トマトは種を抜いてから食え
なんて今ごろ教えられても
すでにトマトは、腹の中で芽を出して
根も張って、とっくに手遅れ
- トマト男
2016-09-10
ローマ便り(第五信)
仮面劇のリハーサルが休憩に入り、「後悔」の仮面をつけた父親と「復讐」の仮面をつけた娘だけが舞台に残っている。
二人はテーブルにむかって椅子にかける。
父親が「後悔」の仮面をはずしてテーブルに置く。すると現れた顔はいつかの山高帽の男。
娘が「復讐」の仮面をはずすと、これもいつかの花売り少女。
「もう二〇年以上前のことだが、いや、ついこのあいだという気もする」と男が言う。
「まだわたしが生まれる前のことです」
「そうだね、でもわたしにはあっというまの年月だった」
「月日が短いとか長いとか、そんな言い方をよくききますが、わたしにはわかりません」
「そうだろうね。自分は老いたなんて若い人も言ったりするけど、時間の速さがわかるのは年取ってからだよ」
「父さんの」と言いかけて少女は言い直す。「おじさんの二〇年は短かったんですね」
「そう、短かった。二〇年といえばわたしの人生の半分にあたるのだが、それがばたばたと過ぎてしまった。まるで壊れた時計みたいに」
「壊れた時計は動かないわ」と少女は笑う。
「なるほど。では何にたとえよう」
「それより、二〇年前のことをきかせてください。そのころ何かがあったんですね」
「うん、あった」
「何があったかわかるような気がします。当ててみましょうか」
「ほう、わかるかね」
「はい、未来がはじまったんですね」
そのときだった。舞台の上手で「嫉妬」の仮面をつけたまま二人の様子をうかがっていた母親が、つかつかとテーブルに歩み寄った。
「何をこそこそやってるの?」
「こそこそだなんて、おまえ。ふつうの親子のつもりで話してただけだよ、舞台の稽古じゃないんだから」
「ふつうの親子ね」と母親は笑う。「普通の義理の親子と言ってもらいたいね。この子がよそのタネだってことは忘れてないよね」
「もちろん、承知さ。おまえが家出して、よその男と暮らしてるあいだにできた子だ。そんなことはわかってる。だけど、おまえの子ならそれはわたしの子だよ。知ってて引き取ったんだから」
「ふつうの親子よ」と少女が口をはさむ。「いいえ、それ以上にだいじにしてもらってるわ」
「そう、ふつう以上にね」と母親の言葉がかさなる。
「なんだ、そういうことか」と父親役の男は苦笑する。「ごめん、ごめん、リハーサルの続きだね」
男はテーブルに置いた「後悔」の仮面に手を伸ばす。
その動きを押しとどめるように少女が言う。「そんなものいらないでしょ。仮面なんかつけてもつけなくても同じ。人の裏と表なんて似たようなものなんだから」
男の手が一瞬止まるが、
「わたしは行きがかりで引っ張りだされた素人役者です。仮面はつけさせてもらいますよ。それでないと、役がつとまりそうもない」
そう言いながら、ぎこちない手つきで仮面を装着して男は父親役にもどる。少女は自分の言葉にしたがって「復讐」の仮面はつけない。素の顔で娘役にもどるのだろう。母親はあいかわらず「嫉妬」の仮面をつけたまま。そしてリハーサルが再開される。
「何をこそこそやってるの?」
「こそこそだなんて、おまえ。ふつうの親子のつもりで話してただけだよ」
「ふつうの親子ね」と母親は笑う。「ご近所の人たちが何を言ってるかご存知? あそこの父娘は怪しいって、ご近所どころか町じゅうのうわさよ。恥ずかしくて外出なんかできやしない」
「うふふ、あの家の父親は娘にやさしすぎるって、ね」と娘が母親の話を引き取る。「でも父さんがやさしいのは、いまにはじまったことじゃない。ずっと昔からよ。わたしたちがあの男の家で、つまり母さんが転がり込んでわたしを産んだ家のことだけど、あの家で暮らしてたころから、やさしくしてもらってた。学校の帰りどきになると、父さん、校門のところで待ってるの。わたしがまだスカートより長いズロースをはいてたころよ」
仮面の下で男がうろたえたようだった。アマチュアなりに演技をしているらしい。
「ばかな! そんなつもりでおまえに会いに行ってたんじゃない」
「そんなつもりって、どんなつもりだったのかしら」と母親が口をはさむ。「どんな目的だったのかわからいけど、スカートのすそからズロースが見えたのは事実よ」
「それでね、父さんはいつも家まで送ってくれたの。にっこり笑いかけたり、うしろからついてきたり、学校はどうだとか、先生はどうだとか、どうでもいいことを話しかけたり。おいしいビスケットやキャンディーをくれることもあった。一度なんか、キンポウゲの花飾りのついたフィレンツェの麦わら帽子をもらったこともあるわ」
「フィレンツェの帽子ですって? その帽子はどこへやったの?」
「捨てたわ。知らないおじさんにもらった帽子なんて、持って帰ったら叱られるにきまってるし」
「嘘ね」と母親は娘をにらむ。「どこかでお金に代えたんでしょう」
そのとき、四人目の人物が舞台下手から現れる。身体つきが若く、息子役を示す「軽蔑」の仮面をかぶっている。

先日、ピランデルロ作『作者を探す六人の登場人物』の舞台稽古を見ることができました。以上が、わたしの見たリハーサルの主要部分です。
ファシズム文化人のうちでもルイジ・ピランデルロは最重要の小説家・劇作家ですが、最近彼の戯曲はほとんど上演されません。その背景などについては続報とします。ほかにも上のリハーサルに関して説明すべきことが残っています。とりあえず第四の人物に触れておくと、この日、彼の演技はありませんでした。演出家を兼ねたこの男の指示がいくつかあってリハーサルは終了しています。