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トマトは種を抜いてから食え
なんて今ごろ教えられても
すでにトマトは、腹の中で芽を出して
根も張って、とっくに手遅れ
- トマト男
2016-09-22
詩を吟じて人を殺すこと
前項の『デッド・ロード』では、主人公やほかの人物が詩を書いたり歌ったりする。
詩人にしてガンファイターといった人物をどう造形するか。

『デッド・ロード』では詩と殺人行為は直接結びついていないが、詩によって人を殺す小説を最近読んだ。
R・A・ラファティ『地球礁』(柳下毅一郎訳)。
主要登場人物は地球で生まれた6人(幽霊を入れると7人)の子供たち。
人類ではあるが地球人ではない彼らは、詩をうたって地球人を操ったり、殺したりする。
たとえば、こんな詩。

   よぼよぼの老いぼれ、鈴をつけたぞドラ鳴らしたぞ!
   猟犬の餌野郎、死ぬまで追ってやる!
   さなくば絞首台に吊ってやるぞ!
   でなくば溺死する!

詩の出来がよければ相手は即死。出来が悪ければ一週間後。あるいはまったく効かなかったり。
彼らの行為は陽気で楽しい。
どうしたら明るく歌いながら人を殺せるか。
先日の「小林一茶」では、一茶が自身の句を吟じて人を殺す。ここでは一茶を外側から描いたから、わりに無難に済んでると思うが、一茶の側から書くとあくどいものにもなりそう。
人を殺す正当性を楽にクリアしているのは時代物や歴史物。正義は主人公の側にありという前提で書かれているから、罪悪感などは薄い。
そんな時代劇でも、歌をうたいながらの殺人や殺戮はまれだろう。
五味康祐の『柳生武芸帳』では、柳生宗矩が謡いを吟じながら人を斬るが、その曲目には、
「どうかわしに斬られてくれ。そのわけはこうだ」
という相手へのメッセージが込められている。

フィクションではあっても、人を殺す必然性や正当性には工夫がいる。
『デッド・ロード』は西部劇の変種みたいなものだから、殺しあいの必然性はクリアされている。『地球礁』では、スラップスティックな運びや、子供たちのつたなさ(うまい詩がうたえるとは限らないなど)によって残虐性を回避し、彼らの行為の正当性を確保している。