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トマトは種を抜いてから食え
なんて今ごろ教えられても
すでにトマトは、腹の中で芽を出して
根も張って、とっくに手遅れ
- トマト男
2016-10-23
コラージュ文学としての『荒地』
T. S. エリオットの詩集『荒地』は借り物でできている。
以下の10数行は「火の説教」の一節。吉田健一訳。
この中だけで5件の引用があり、それぞれにエリオット自身が注を付けている。

  冬の夕方で、私はガス・スタンドの向うの、
  くすんだ色をした運河で釣りをしながら、
  私の兄である国王の船が難破したことや、
  その前に私の父である国王が死んだことに就て考えていた。
  白い体が低い、湿気が多い土地に裸で横たわり、
  骨が小さな、低い、乾いた屋根裏の部屋に投げ込まれて、
  鼠の足に蹴飛ばされているうちに年月がたって行く。
  併し私の後からは時々、自動車の喇叭の音や
  エンジンが唸るのが聞えてきて、それが
  春は、スウィイニイがポオタア夫人の所に来る前触れになる。
  月はポオタア夫人やその娘を
  明るく照らし、
  その親子はソオダ水で足を洗う。
  そして円天井の下で歌うあの子供達の声はどうだろう。

灰色で示したあたりが引用箇所にあたる。引用元は、シェークスピア「テンペスト」、デイ「蜂の議会」、マーヴェル「彼の臆病な恋人に」、シドニーから伝えられた俗謡、ヴェルレーヌ「パルジファル」(詳しくは、原文の192行目以下に対応する注を参照)。ほかにも引用が多く行われ、出典を明記したものだけで50箇所ある。
さらに──。エリオットによれば、『荒地』はそのタイトルや構想から大量の象徴的表現まで、ジェシー・ウェストンの聖杯伝説に関する著『祭祀からロマンスへ』から得られている。またフレイザーの『金枝篇』に多くを拠っており、読者もすぐ気づくところであろう、と。この両書からの借用や影響は、上の50件の注には含まれていない。

エリオットはこれらの引用や援用によって何をしたのか。
盗作? 大枠での影響から数ワードのフレーズの出典まで自身で明らかにしているのだから、盗作とはいえない。
衒学? それもたぶんない。むしろエリオットは手法を明示しておきたかったのではないか。
手法とは、そのころ絵画などの分野ではじまっていたコラージュ。
文学の世界では、トリスタン・ツァラが、新聞から単語をばらばらに切り出して、それらをランダムに並べれば独創的なものができるとする「ダダの作詩法」を発表したのが1920年。
エリオットの『荒地』は1922年だから、ツァラに遅れること2年。
ツァラは手法を発表しただけで、ほとんど(あるいはまったく)その手法による実作は残していない。実作では、ツァラの提案よりずっと穏健とはいえ、『荒地』が先行した。