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トマトは種を抜いてから食え
なんて今ごろ教えられても
すでにトマトは、腹の中で芽を出して
根も張って、とっくに手遅れ
- トマト男
2016-10-24
主体の分裂、交換、融合
主体の分裂や交換が主要な手法であるような読み物。
たまたまともいえるし、その種のものに引き寄せられてともいえるが、最近読んだ本にはそういうのが多い。

今月はじめに読んだポール・オースター『幽霊たち』。
探偵とその監視対象の人物がいて、話がすすむうちに両者が似た者どうしで似た行動をしていることが描かれ、さらには、実物と鏡像の関係の同一人物ではあるまいかとなる流れ。分裂と融合。

T. S. エリオット『荒地』。
昨日の記事で引用したあたりを再掲すると、

  鼠が一匹、土手に沿ってぬらぬらした腹を引きずりながら、
  草の中を静かに這って行った。
  冬の夕方で、私はガス・スタンドの向うの、
  くすんだ色をした運河で釣りをしながら、
  私の兄である国王の船が難破したことや、
  その前に私の父である国王が死んだことに就て考えていた。
  ……
  鼠の足に蹴飛ばされているうちに年月がたって行く。
  併し私の後からは時々、自動車の喇叭の音や
  エンジンが唸るのが聞えてきて、…

はじめは私=作者の視点で語られているのに、その私がシェイクスピア「テンペスト」の登場人物に変わって兄や父のことを回想し、また作者自身にもどる。夢想による主体の交換。

ウィリアム・バロウズの『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』3部作のうち、2作目の『デッド・ロード』と3作目の『ウェスタン・ランド』をざっと読み返した。
これらは祝祭的なにぎやかさで展開される主体の分裂と交換のオンパレード。
物語全体のベースとなる人物は、文筆家でガンマンのキム・カーソンズ。不動産業者としての名前はウィリアム・スアード・ホール。
ここまでは同一人物の別名という設定だが、その後登場する主要人物たちは、結局はどれもキムの別人格にして、作者自身の思想や行為の投影。さらにキムはクローン技術で何人ものキムを作りだす。
主要人物の一人ジョー・ザ・デッド(死人のジョー)は、爆薬で死にかけたところをキムに救われた(キムは医師でもある)、義足、義手、義眼、人工鼻の半機械的人間。欠けた左手の肘に、さまざまな装置や武器が仕込んである。
もと鍛冶職人だったジョーは、その後、武器開発者や外科医としてキムのもとで働く。現代生物学を否定するプロジェクトにも取り組み、その一つがサルの脳の人間への移植。社会の常識に毒された人間の脳を、そんなものに汚されていないサルの脳で置き換えたら、人間はさらに進化するに違いない。主体の破壊的交換。

ジョー・ザ・デッドはキムにとって(キムに自己を投影したバロウズにとっても)理想的人物として描かれている。
だが、そのジョーはやがてキムを殺そうとするだろう。
その危険を予感しながら、キムはジョーを手元に置いておく。
読み落としでなければ、ジョーはホモではない。同性愛者でもないのに、なぜ理想的人物として描かれたのか。
時間と場所と人物が錯綜する物語のなかでの気まぐれな設定といってしまえばそれまでだが、ジョーの役割には何か(作者も自覚していなかもしれない何か)が、描かれたことのほかにも潜んでいるのではないか。

話がそれた。主体の交換とかアイデンティティの分裂とかについては改めて。