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2018-05-19
これでも昔は玄人、プロのトランペット吹きだったんだがね。
井上ひさしの『新釈 遠野物語』を少しずつ読んでいる。

語り手の「ぼく」は、小説がはじまってまもなく犬伏いぬぶせという老人と知り合う。
老人は物語の語り手という設定。彼の話を「ぼく」が聞いて記録したものが『新釈 遠野物語』。

「ぼく」と犬伏老人の会話。

「トランペットがお上手なんですね」
 縁が残らず欠けてのこぎりの目のようになった茶碗からお茶をすすりながらぼくは言った。
「詳しくはわかりませんが、素人離れしていると思います」
 老人はけらけらと笑った。
「素人離れしているはよかった。これでも昔は玄人、プロのトランペット吹きだったんだがね。東京の或る交響楽団の主席トランペット奏者だったのさ」

犬伏老人は、「ぼく」が勤める釜石国立療養所と谷川をはさんで向かいあう山腹の洞穴に住んでいて、毎日きまって正午になると穴から出てきてトランペットを吹く。それで「ぼく」がはじめて老人を訪ねたときに、このような会話が行われた。
老人の話が事実なら、彼はなぜこんな山中で暮らしているのか。
「知りたいかね」と犬伏太吉の語りだす話が、第1話「鍋の中」の主要部となる。