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2018-05-27
「ぼく」が『遠野物語』の読者であること
『新釈 遠野物語』の第4話は「冷し馬」。

第4話のタイトルは柳田国男『遠野物語』67から取られた。

そのあたりの地名に貞任といふ所あり。沼ありて貞任が馬を冷やせし所なりといふ。貞任が陣屋を構へし址とも言ひ伝ふ。

貞任とあるのは前九年の役で源頼義に討たれた安倍貞任のこと。
馬を冷やすとは、馬を川や湖にはなって避暑をさせること。
ほかにもこの前後には、遠野の歴史つながるような──事実ではないにしても──話が多い。同『物語』68には、各地に安倍氏の子孫が多く残っているとあり、また山や川の名前の由来が八幡太郎(源義家)と結びつけて述べられている。

第4話の中身は『物語』69にある次の話が下敷き。

昔ある処に貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養ふ。娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、つひに馬と夫婦になれり。ある夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のをらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首にすがりて泣きゐたりしを、父はこれをにくみて斧をもちて後より馬の首を切り落とせしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。オシラサマといふはこの時よりなりたる神なり。

『遠野物語』は遠野という狭い地域の伝承やうわさ話の類を集めたものだから、安易に歴史資料として使うことはできないが、手順を踏んで扱えば、遠い事実を指し示すような何かを取り出せることはある。
赤坂憲雄は「『遠野物語』を東北の常民の歴史を掘るための史料として使う、という試み」と述べて『遠野/物語考』(1994年刊)を書きはじめ、吉本隆明は『共同幻想論』(1968年刊)において、『遠野物語』の諸話を共同観念(共同幻想)のプリミティブなあり方を示す例と見て、国家論を組み立てる材料に用いた。赤坂は具体的な東北史をさかのぼる手がかりとして、吉本は抽象的な起原論の材料としてなので、同じ歴史指向といっても、方向はまったく異なる。
『新釈 遠野物語』(1976年)には、そうした歴史をさかのぼる指向はない。井上ひさしは『遠野物語』を文学として受け取って、オリジナルをふくらます方向で自分の作品としている。

第4話のはじめに、「ぼく」が日ごろから『遠野物語』に親しんでいることが明かされる。
『新釈 遠野物語』の構造──あるいは、成立事情?──は次のとおり。
まず、下敷きとしての『遠野物語』がある。
『遠野物語』にある話を作者がふくらませて、より込みいった話に仕立てる。
そのふくらませた話を犬伏老人が語る。
それを聞き取った「ぼく」が書き留めることで『新釈 遠野物語』ができていく。
すなわち、作者→犬伏老人→「ぼく」→作者という円環構造。
この構造は、「ぼく」が『遠野物語』を読んでいてもいなくても、じつは変わらない。ストーリー展開の上でも、「ぼく」が『遠野物語』を知っている必要は──第4話までの範囲では──ない。それなのに「ぼく」の読書歴を明かしたのは、作者の井上が──当然のことだが──『遠野物語』を読み込んでいたために、うっかり事実を言ってしまったということだろう。

第4話現在、依然として「ぼく」はインタビューアにとどまっている。
「ぼく」がいまの役割から踏み出して、主要人物として活躍するような展開はあるのか。
それならば、「ぼく」が『遠野物語』の読者であることが意味を持ってくる可能性は残されている。