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2018-07-21
もうこの世では、逢わねえぞ
河竹黙阿弥の『天衣紛上野初花くもにまごううえののはつはな』(通称「河内山と直侍」)に見る「歴史の天使」性。

二世河竹新七が劇界からの引退を表明して名を河竹黙阿弥に改めたのが明治14年(1881年)。
『天衣紛上野初花』はこれに先立つ同年春に書かれた。
この年は、いわゆる十四年政変によって薩長閥が反対派を政権から追放し、文化・芸能面では欧化改良政策がさらに推し進められることになった(河竹登志夫)とされる年。欧化改良とは、先進諸国の人士に見られても恥ずかしくない文化を目指すと称した志向だから、犯罪的行為をほめあげ、濡れ場や残虐の描写を得意とした黙阿弥にとっては逆風。
また、黙阿弥の盗賊物を論じた野口武彦「白浪物の世界」によれば、明治10年代とは、

美学的様式のうちに封じこめながらも「悪」の棲息を許容することは、洗練と退廃をあわせそなえた文明の成熟の徴表である。そして明治十年代は、そうした空気を呼吸して生きてきた衰残の江戸っ子が緩慢に首を絞め上げられ、やがてはいわゆる立身出世主義の世代へと交代してゆく一時期であった。

すなわち、「悪」を美化して描くことが目こぼしされていた江戸時代から、「善」の称揚しか許されない時代への転換期にあたる。そして、「衰残の江戸っ子が緩慢に首を絞め上げられ」てゆく中で書かれたのが、この『天衣紛上野初花』であった。
舞台の終盤、官憲に追われて江戸を落ちることを決めた片岡直次郎の境遇は、この時期の黙阿弥の置かれた立場とかさなる。直次郎が情人の三千歳みちとせに別れを告げるため、彼女が療養している大口屋の別荘をたずねるくだりは、

冴えかえる春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり、上野のかねもこおる細き流れの幾曲がり、末は田川へ入谷村。

と清元の詞章に彩られてはじまるのだが、追っ手におびえる切迫感において、「星の影さえ二つ三つ、四つか五つか鐘の音も、もしや我が身の追っ手かと」と「十六夜清心」の道行を歌った同じ作者の浄瑠璃を思わせ、選択肢のせばまる先細り感においては同曲をしのぐ。「末は田川へ入谷村」と運命の極まってゆく様を、それとは言わずして地理でにおわせた技が秀逸。
この詞章の繊細さについて、もう一度「白浪物の世界」を借りると、

〽どうでながらへ居られねば殺して行つて下さんせ、と三千歳にすがりつかれ、かき口説かれる直次郎は、江戸中で指名手配され、いまここで別れたら二度と今生では逢える見込みのない男である。黙阿弥の白浪物は、これまでにもいくつかこうした一期一会いちごいちえの場面を手がけてきた。しかし、この雪の入谷の別荘が、ひとしお繊細な美感を漂わせているのはなぜだろうか。黙阿弥が描いているのが、もはや同時代の人間事象ではなく、一昔前の江戸風俗だったからである。

すでに明治も14年。ベンヤミンの描いた歴史の天使像と同様に、黙阿弥は後ろ向きに江戸をながめているのだが、時に押し流されて黙阿弥の「今」は江戸から遠ざかるばかり。
その遠ざかる江戸を見送りつつ、黙阿弥はこの芝居を書いた。
捕り方に踏み込まれて大口屋から脱出する直次郎が三千歳に投げた台詞、

もうこの世では、逢わねえぞ。

ここにも黙阿弥の心境、江戸への決別のおもいが託されている。
『天衣紛上野初花』は自分が生きた時代への、あるいはその時代に生きた自分たち自身へのはなむけ、清元の「〽冴えかへる春の寒さに……」は惜別の歌だったのである。

この芝居の最後に、黙阿弥はあらずもがなと見える結末を付け加える。
捕らえられて留置場に送られる途中、主人公の河内山宗俊が「自分は騙りや脅しを働いたが、人命を助けるのが目的だから、きちんと釈明すれば無事にすむだろう」という意味の大甘な見通しを述べ、これに直次郎も賛同し、それどころか野次馬や護送の役人たちまでが賛意を示してめでたく幕となる。
それが史実でないことは、作者も観客も知っている。
実在の河内山宗俊は、黙阿弥がモデルとした事件(松江侯や水戸家に対する恐喝)で捕らえれれて牢死(毒殺の噂あり)、直次郎はこの事件では微罪で後に釈放されたものの、結局悪事から足が洗えず、後年にいたって刑死。宗俊が劇中で述べた甘い願望は、とうに事実によって裏切られている。それにもかかわらず、

河内山宗俊 高位のお名をかたりしも、人命救うためなれば、河内山が申し開かば、
片岡直次郎 あやうい首もつながって、
金子市之丞 やがてめでとう。(ト屋体のうちにて)
大勢 祝うて一つ。(ト大勢にてよいよいよいと手を拍つ)
河内山宗俊 はて、幸先よき
皆々 手打ちじゃなあ。(ト皆々よろしく、このとき楽屋頭取出て)
頭取 まず今日は、これぎり。

と、めでたく舞台はおさまる。いや、おさめてしまったのだが…。
決定的な勝敗を保留して幕を引くのが歌舞伎の常道であるにしても、この戯曲でのこの結末はいただけない。
けれども、黙阿弥の気持は推し量れる。
そうであればよかったのに、いや、そうでなければならなかった──との思いで彼はこの結末を選んだにちがいない。無理を承知のエンディングと言っていい。であるならば、ありえたかもしれない歴史を登場人物に語らせたことで、この芝居の作者としての黙阿弥も、歴史の天使の一員に数えたい。

※「歴史の天使」はヴァルター・ベンヤミンの用語だが、ここでは「歴史の改変を企てる者」というほどの大きなくくりで使っている。ベンヤミンとの違いについては後日。