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2018-08-10
供養か救済か
討入の夜の吉良邸で。
赤穂浪士が家老の斎藤宮内(150石、64歳)をつかまえる。
「わたしは下々の者です。どうかごじひを」
「下々が絹を着るか。お前は相応な者だろう。隠さず云え」
「は…皆様も御苦労に存じます。ど、どうか私の小屋へお立寄り下さいましてお煙草でも召しあがれ…」
応答にあきれた浪士たちは、宮内を突きとばして去る。

吉良邸の別の場所で。
おなじく家老の小林平八郎(150石、55歳)を浪士がつかまえる。
「主人の寝間へ案内しろ」
「下々にて存じませぬ」
怒った浪士は、平八郎の首をはねて去る。

杉浦日向子「吉良供養」が伝える斎藤宮内と小林平八郎の運命がちがいすぎて可笑しい。
宮内はこの後、別の家老(100石、69歳)とともに普請中の壁を破って屋敷を逃亡し、浪士が引き上げてから同じ壁の穴をとおって帰宅した。この所業で二人は人非人とののしられ、壁の穴には「犬猫、家老ノ外、入ル可カラズ」と落書きされた。
これに対し、あまりにあっけない小林平八郎の死。
小林平八郎は、小説、映画、演劇などの創作物では、吉良方の重要人物。赤穂浪士の襲来にそなえて吉良邸の守りを固める要の役であったり、討ち入りの当夜は厳しく戦って倒れた剣客でもあった──というようなイメージがある。
ところが「吉良供養」によると、吉良側は赤穂浪士の襲来を予想していない。
ならば、守備の要という小林平八郎の役割は消える。言い逃れが通じず首をはねられた次第からは、剣客でもなかったことになる。

「吉良供養」ははじめて読んだ。というより杉浦作品がエッセイを含めて初。
真実を伝えるのはフィクションの役割とするこちらのツイートに促されて読んだ。

「フィクションでしか時代の真実は伝わらない」(中略)というのは、あまりにも不条理に殺されたうえ同情もされなかった上野介と吉良家の人々に対する見方を変えるのは、歴史の事実を説くだけではダメで、杉浦日向子氏の「吉良供養」のような堂々たる文学作品が必要なんです。(芦辺 拓さんのツイート

「吉良供養」は、時と所を赤穂浪士討ち入りの夜の吉良邸に限定し、おもに吉良側の人々の動きと生死をドキュメンタリー風に綴った上下16ページずつの漫画作品。サブタイトルは「検証・当夜之吉良邸」。表題ページに「東都神田青林堂上梓」とあるから、初出は雑誌『ガロ』か。いまはちくま文庫で読める。
その検証結果によると、公の調書では吉良側の死者16名、負傷者23名、ただし重症で落命する者が多く、検視後には死亡23名、負傷16名と逆転した。いずれにしろ家中の約半数が死傷する一方で、浪士側は46名が討ち入って全員生還。浪士の原惣右衛門は「敵対して勝負仕り候者は三、四人許り、残りの者どもは立合に及ばず、通り合せに討捨て」との証言を残し、杉浦は「完全なワンサイドゲーム」とした。

タイトルの謎。なぜ「吉良供養」なのか。
ワンサイドゲームに終わった殺し合いの結果を再現することが、敗者側の供養になるのか。
ぶざまな所業を蒸し返された斎藤宮内は、これで供養されたことになるのか。
「忠臣蔵」という国民的物語の中で名誉あるポジションを与えられていた小林平八郎は、こんな死に方を暴露されて供養されたといえるのか。

「吉良供養」は吉良家の人々を供養した。
どう供養したか。
事実に迫ることが供養だと杉浦は考えたはず。赤穂事件を材料にした創作物のうちでも、「吉良供養」は最も事実に即したもののひとつ。
吉良側には勇敢に戦った者も、卑怯な進退をした者もいる。おおかたはほとんど出会い頭みたいに殺された。そうした振る舞いの別や結果の違いにかかわりなく、吉良家の人々は──じつは赤穂方もなのだが──忠臣蔵という大きな物語を構成する部品として使われている。事実を明らかにすることは、部品としての使用目的から人々を解放する。そのような意味で、「吉良供養」は人々を忠義の物語から切り離した。この切り離したことが供養である。
斎藤宮内も小林平八郎も忠義の盛り上げ役として生きたわけではない。
屋敷にとどまれば殺されると思ったから宮内は逃げ出し、安全を見きわめて屋敷にもどった。それだけのことであって、忠義は関係ない。
小林平八郎は言い抜けにしくじって殺された。彼の場合も、やはり忠義は関係ない。

本来の忠義は契約事項。
家人けにんは家に尽くす。家人の働きに対して主家は適切な見返りを与える。家人が死んでも──病気で死のうと戦場で死のうと──契約は破棄されない。主家は家人の家族を保護し、家人の家を存続させてやる。そういう信頼や安心感があるから、時には命をかけても家人は主家に尽くす。
赤穂事件は、忠義が契約による実効性を失くして、たんなる理念と化す移行期の出来事。以後、忠義は無償の行為となり、無償ゆえの純粋性、狂信性は近代にまで持ち越される。

「大義」が殊更物々しく持出される時人が多勢死ぬ。
快挙とも義挙ともはた壮挙とも云われる義士の討入はまぎれもない惨事だと思う。

「吉良供養」の冒頭に杉浦日向子がかかげた宣言がこれ。
大義が惨事を引き起こす。
その惨事はすでに起きてしまった。
もう取り返しはできないが、供養ならわたしはできる。そう考えて描かれたのが「吉良供養」ではないか。

ところで、ベンヤミンは「救済」と言った。
対して、杉浦日向子は「供養」。
以上の記事をまとめる間、ヴァルター・ベンヤミンが『歴史哲学テーゼ』で提起した「救済」と杉浦日向子がこの作品で使った「供養」の関係あるいは相違が気になっていた。
「救済」の意味を広く取れば「供養」も「救済」のうちだろうが、ベンヤミンの言う「救済」が過去を救済すると称しながら、実際には現在を救済する資源として過去を見ているのに対し、「供養」は一方的に過去を慰撫するだけで、見返りを期待していない。
ベンヤミンの「救済」が虚構による事実の改変を手段としている──ありえたかもしれない可能態としての過去の回復という形で──のに対し、同じく虚構を手段としながらも「吉良供養」で行われたことは、虚構による事実への接近と伝達。
これらの違いは大きい。大きさというより方向が違う。まったく逆方向だったり、90°ずれていたり。さらに考えるべし。