Magazine Oi!
2012-01-06
私の彼が左利きだった頃
いる。しょんぼりしている。
このごろ「いる」から発想することが多い。
たとえば、街なかでヴィーナスがしょんぼりしている。
それは現在形なのか、現在進行形なのか、不定形なのか。
不定形だろうと思う。
というか、不定形でありたいという願望がある。
ミロのヴィーナスだから、裸である。
私の彼が左利きだなんて、いやねえ、そんな歌を子供に歌わせるなんて。
そんなことを思って、苦笑している。
よく見れば、しょんぼりなどしていない。
苦笑しているのである。大人の笑いである。
腰にも胸にも厚い肉と脂をつけて、なまじの愛撫ははねかえす。
そういう大人の女になって、私の彼が左利きだった頃を思い出している。
そのあいだにも、仲間の自由の女神やツインタワーに突入する旅客機の姿が浮かぶ。
ヴィーナスだから、私はだいじょうぶ。
波に飲まれても死ぬことはない。
千年ほどしたら、また掘り出されて美術館に飾られる。
ということは、やはり私は現在形なのかしら。
永遠の現在とか言ってみる。うふ。
それとも不定形かしら。
過去と未来は幻想で、現在だけが実在する。
そういう仮説も立ててみたが、たしかな理論にできるのか。
私の彼が左利きだった頃の記憶があるという。