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2014-04-26
絵が描けない人のための漫画術 (3) コンピュータ画家アーロンの場合


コンピュータによる創造には原理的な矛盾がある。
『コンピュータ画家アーロンの誕生――芸術創造のプログラミング』を読みながらそう思った。
アーロン (Aaron) は、画家でありアマチュアプログラマーでもあるハロルド・コーエンが1973年から開発を続けてきた全自動お絵かきシステム。この本の表紙の絵もアーロンが描いたものである。

初期のアーロンは、アルゴリズムだけにもとづいて次の写真のような抽象画を描くシステムだった。


- Welcome to Adobe GoLive 5

この段階のアルゴリズムとは、線分は重なってもよいが、円のような閉じた図形は他の図形と交わらない、といった描画ルールのことである。
しかし、描画ルールだけで人に「それらしい」と感じさせる絵を描くことはできない。それらしさを表現するには、物がどんな形状をしているか、人、動物、鳥、花はどんな形をしているかをシステムが知らなければならない。そのためには知識をシステムに組み込む必要がある。
システムに知識を与えることを、コーエン氏はかなり長いあいだためらっていたらしい。思うにそれは、技術的なハードルのゆえではなく、コンピュータに創造行為を行わせることの原理的矛盾に彼が気づいていたからではないか。
というのは、「それらしく見える」ということは、普通の人が普通に見てそれらしく感じるということである。でも、創造とは何か。創造とは「それらしいもの」から外れた「それらしくないもの」を作ってみせることではないか。それらしさの知識を与えられた自動描画システムは、システムとしての完成度が高まれば高まるほど普通の絵しか描かなくなる。創造行為を目指して開発されたシステムが、創造とは対極的な「普通」に向かってしまう原理的な矛盾がある。

アーロンは上の本の表紙のような具象画を高いレベルで描くまでになったが、近年の作品は抽象的である。
次の絵は、アーロンが習得した花や植物を描く能力を生かしたもののようだが、具象をベースにしていても抽象度が高い。アーロンの能力を高めるより抑える方向にコーエン氏は向かったのではないか。


- Harold Cohen Gallery Viewer

コンピュータに創造行為をさせるなら、あるいはコンピュータの力を借りて半自動で創造行為をしようとするなら、システムは不完全なほうがいい。