詩としては足りないが歌詞としては足りているということ
詩と歌詞はどう違うか。
この程度では、詩としては認めてもらえそうもない。
でも、歌詞としてはすでに十分。
そう考えると、だったら詩としても十分ではないか。そうも思える。
詩は読者に読解の努力を求める。
読む人が、たっぷり思いをこめて読んでくれれば、こんなものでも味わいはある(ような気がする)。
でも読者は、そんなに好意的でも、丁寧でもない。
歌とは、解釈のついた詩である。
それだけ歌のほうが親切。
ね、いい詩でしょ。楽しいでしょ。
そういう解釈を、歌は詩に付け加えることができる。
解釈の押し売りでもあるのだが。
ペリカンは空を飛ぶ
ペリカンは赤ん坊を連れてこない
おじさん、このへんにエサ場ある?
こまったなあ、ペリカン
このへんにエサ場はないんだよ
小づかいやるから
コンビニで菓子でも買いな
ペリカンは空を飛ぶ
ペリカンは赤ん坊を連れてこない
おじさん、このへんにエサ場ある?
こまったなあ、ペリカン
このへんにエサ場はないんだよ
小づかいやるから
コンビニで菓子でも買いな
ペリカンは空を飛ぶ
この程度では、詩としては認めてもらえそうもない。
でも、歌詞としてはすでに十分。
そう考えると、だったら詩としても十分ではないか。そうも思える。
詩は読者に読解の努力を求める。
読む人が、たっぷり思いをこめて読んでくれれば、こんなものでも味わいはある(ような気がする)。
でも読者は、そんなに好意的でも、丁寧でもない。
歌とは、解釈のついた詩である。
それだけ歌のほうが親切。
ね、いい詩でしょ。楽しいでしょ。
そういう解釈を、歌は詩に付け加えることができる。
解釈の押し売りでもあるのだが。