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2019-01-20
この老人が死んだ時はモウ息が絶えていたのです

この壁の底は、その間ずっとはるかに贅沢です。 あなたがクラブのレベルを越えるとすぐに、逃げる多くの人はあなたが無限に向かって逃げる計画があることをあなたに思い出させるために来ます。 したがって、ベースからトップへ、そしてトップからボトムへと進む視線は、理解できない飛行機のひねりのビジョンを受けなければなりません。 この茶色のバンドは、複数の人には胴体に見えます。 私たちはおそらく、計画の方向性と色や絵の遊びの間のこの対立のおかげです。 頂上では、ほぼ一様な色の平らな領域が平らで規則的な茶色の帯で交差しているように見えますが、基部では、異なる回避の収束は無限大に向かって同じバンドを導きます。

[原文]
Le bas de ce mur est, quant à lui, beaucoup plus loquace. Dès que vous franchissez le niveau du gourdin, plusieurs fuyantes, viennent vous rappeler que vous avez là un plan fuyant vers l'infini. Ainsi, votre regard passant de la base au sommet et du sommet à la base aura à subir la vision d'une torsion incompréhensible d'un plan. Cette bande marron paraîtra torse à plus d'un. Nous sommes sans doute redevable de ce conflit des orientations d'un plan au jeu des couleurs et du dessin. Alors qu'au sommet, un aplat de couleur quasi uniforme semble traversé par une bande d'un marron uni et régulier, à la base, la convergence des différentes fuyantes entraîne cette même bande vers l'infini.

和訳は Google 翻訳による。
自力で考察したり創作したものより、machine aided な産物のほうがずっとおもしろい。
しかも生産性は数百倍。
というわけで、以下旧作だが――

やめねえけりゃこの家を立ち上がろうと
ややあって独言のように明るく
その沢井の道場に姿をみつめておりましたが
新坂から鶯谷へかかる辺り
裏街道ときてはただ茫たる武蔵野の原で
竜之助は冷やかに笑って立ち
伊勢守は幕府の重臣じゃ
引き続きキャッキャと啼いて
前後の敵を一時に斬り落としても
柳の葉の繁みを破って敵の裏に出くわすことは珍らしく
おう、このお娘さんに裸になってもらって
何とか殿様をこっちのものにするのさ
主人はびっくりして
この険しい道で人間にお線香を上げると
先方の名乗りを受けた運命を自分の膝に立てていたのは
いま二階からちらと見合った少女
島田虎之助を突き出したのは以前の軽佻
粗暴はその話を別のお方にお帰りでございましょう
お前様こそエラク早起きで
この老人が死んだ時はモウ息が絶えていたのです (大菩薩峠・抄

墓碑銘ではあるまいか。
最初の記事が machine aided で、かつ墓碑銘。できすぎな気もするが。
この老人が死んだ時はモウ息が絶えていたのです。
2019-01-19
この人物の死因と身元
一昨日の記事のこの死体。
絞殺の可能性が高いとしたが、絞め殺されて口から血を流すのは不自然。


マグリットがヒントを得たとされる映画「ファントマの逆襲」(原題 Le Mort qui tue)では、ヴィブレー男爵夫人という人物が服毒自殺し、ソーニャ・ダニドフというロシアの王女が眠り薬をかがされてネックレスを奪われている。
「暗殺者危うし」に描かれた裸婦はこの男爵夫人とロシア王女から合成されたと見たい。死因は毒物によるとしたい。
映画からは「暗殺者危うし」の死体のポーズは出てこないが、原作(小説)の表紙に描かれたロシア王女ならモデルとして十分。

2019-01-17
ルネ・マグリット「暗殺者危うし」の時間的構造
ルネ・マグリットの L'Assassin menacé (The Menaced Assassin)、日本語訳は「暗殺者危うし」など 。
キャンバスと垂直の方向に時間軸があり、前景が未来、遠景が過去。


部屋のこちら側に、黒ずくめの男が二人。
一人は棍棒のようなものを軽く構え、もう一人は漁網のようなものを、これも力まない程度の構えでかかえている。
誰かが部屋から出てくるのを待って襲うつもりのようである。
彼らは誰を襲うのか。この絵の登場人物のうち、向こうの部屋からこちらへ出てきそうなのは、蓄音機のコーンに顔を向けている暗褐色のスーツの男だけ。この男は何者か、そして部屋の外の二人の男は?

この絵はマグリットが小説や映画の「ファントマ」に刺激されて1927年に描いた連作のうちの一枚で、構図はルイ・フイヤードのファントマ映画第3作「ファントマの逆襲」(原題 Le Mort qui tue)の一場面が下敷きとされている。


映画のこの場面は、実業家のトメリー氏がファントマのアジトにやってきたところ。
連れの女はファントマの愛人ベルタム卿夫人。
部屋の中ではファントマとその手下が待ち伏せている。
続く場面でトメリー氏がベルタム卿夫人といっしょに部屋に入ると、待ち伏せ側が襲いかかってトメリー氏をロープで絞め殺す。


映画「ファントマの逆襲」とマグリット「暗殺者危うし」のどちらにおいても、襲撃側は未来に対して意識的で、行動計画(やって来る人物を襲う)を持ち、そのための用具(棍棒や漁網のようなもの)を用意している。
未来が彼らの想定どおりに展開するかは保証されない。
けれども、計画を持ち準備も整えている点で、その他の人物に対して優位にある。
いわば彼らは、未来に先回りしている。
そして彼らの姿は壁にさえぎられていて、他の登場人物たちからは見えない。
「いまだ到来しない未来」は、「現在」の視野には入ってこない。同じ画面のうちにいながら、他の者からは不可視という点で、すでに彼らは未来そのものなのである。
映画においては、部屋の中の二人(ファントマと部下)が未来に先回りしていたが、ベルタム卿夫人はどうだったか。部屋に入ったあとの夫人の仕草や驚いたような表情から見て、彼女は部屋で起こる未来(トメリー死の殺害)を予期していない。知らずしてトメリー氏を未来に導く役割をさせられたのだろう。

映画では部屋の中が未来だったが、逆にマグリットの絵では部屋の中は過去。



ベッドの上で女が死んでいる。
口から血を流している。殺されたのだろう。
殺されたとして、絞め殺されたのか。
この設定が映画のトメリー氏殺害の場面に刺激されて発想されたものなら、彼女も絞め殺された可能性が高い。(追記: この人物の死因と身元
いずれにしろすでに事件は終わって、女は遺物としてそこにあり、時間軸の上では過去に位置づけられる。

女の死体に背を向けて、暗色のスーツを着た男が立っている。これがこの絵における現在である。
男は蓄音機の音に聴きいっている。いや、たんにホーンをのぞきこんでいるだけか。
女を殺したのはこの男にちがいない。
だとすれば、この男はファントマでなければならない。なぜなら、映画にしろその原作の小説にしろ、ファントマの物語は「すべての悪事の根本的な原因はファントマに帰せられるというルール」(赤塚敬子『ファントマ――悪党的想像力』)で貫かれているから。
この画中で、椅子にかけられたコートと帽子が未来に接している。床に置かれた鞄も同様。
女の死体のことなどは知らぬげに、すかした態度で蓄音機に聴きいっている、あるいは聴いているふりをしている男=ファントマは、まもなく床の鞄を取り上げ、コートを着込んで、帽子をかぶり、未来に向かって部屋を出てくることだろう。

ファントマが出てくるのを外で待つ黒ずくめの二人は何者か。
暴力をもってファントマを襲おうとしているのだから、これらは犯罪を取り締まる側、すなわち警察官と見たい。
実際、左側の男が持っている棍棒のようなものは、先端にいくほど太くなる古い型の警棒を思わせるし、右側の男が手にしている漁網のようなものも、犯罪者の制圧などに使う捕縛網ではないか。犯罪者ファントマに敵対する勢力として彼らが警官であるのは自然なことだし、それゆえタイトルも「暗殺者危うし」なのである。
ただし、現時点で未来に先回りしているからといって、この二人組がファントマを捕縛できるとはいえない。ファントマは不死身というファントマ物語の大原則に従えば、彼は襲撃を逃れて生き延びる。

検討されずに残っている人物があと三人。
窓の外、フェンスのむこうから首を並べてこちらを見ている男たちがそれ。
ベッドの上の死体を近過去とすれば、三人の男たちは遠過去
殺された女は血を流すことでかろうじて現在につながっているが、フェンスのむこうの男たちは目下進行中の現在ともその先にある未来ともつながることができない。すべては決着ずみで、言い訳もやり直しもきかない。未来に働きかけることもできないし、未来から振り返ってもらうことも期待できない。
彼らが取り残された者たちであることを、フェンスの存在が象徴している。
2018-12-30
折口版「時には母の〜」
折口信夫の祖父母は相養子。祖父も祖母も他家から養子に入って夫婦となり、折口家を継いだ。ここでいったん折口家の血統は切れている。なお、祖父は別の養子先から転じて折口家に。

この夫婦に三人の女の子ができた。上から、こう、ユウ、ゑゐ。
男の子のいない折口家は養子を迎えて長女のこうと夫婦にした。養子の秀太郎もいったんよその養子先をしくじって、折口家に来た人物。
秀太郎とこうの夫婦は、一人の女の子と四人の男の子を得た。
男の子たちの名は、上から静、順、進、信夫。
四男の信夫(折口信夫)だけ兄三人とちがって名前に「夫」がつく。なにか理由があるのだろうか。

信夫の叔母にあたるユウとゑゐは、未婚のまま折口家に同居していたが、そのうちに秀太郎とユウのあいだに双子の男の子が生まれた。
双子の名は、親夫と和夫。この二人には信夫と同じ「夫」がつく。もしかすると、信夫の実母は、母とされるこうではなく、叔母のはずのユウではないのか。

以上、富岡多恵子・安藤礼二『折口信夫の青春』によった。次の引用も同じ。

 富岡 もし折口が、このお母さんの子ではなく、婿養子がほかの女と結ばれて生まれた子どもだとすれば、これは「折口」ではない。はっきり言えば、血統としては、どこの子かわからなくなる。それはやはり、この人にしてみれば、きついことだと思う。
 安藤 折口は「ホカイビト」といった存在にすごく共感しますね。
 富岡 そこにも何かあると思うのね。この人の家が、曽祖父、祖父、父親と一直線に続いていればいいのですが、途中では切れている。父親という人も、最初の養子先で失敗して、二回目の養子として折口家に入ってきている。折口がもし、河内の名主の子とどこかの女の子だとすると、折口の家系を問題とすることもできない。

「ホカイビト」は折口学のキーワードのひとつで、家々の門をおとずれ、ほかい(祝い)の言葉を述べてほどこしを受ける祝福芸人。折口はこの種の乞食とも放浪者ともいえる者らに自己のアイデンティティを重ねている(⇒「ごろつき日本史」)。
ほかい人には、どこかよそからやってきた者というニュアンスがあり、この点でも折口の自己認識と重なる。どこから来たかはわからないが、折口自身がよそ者なのである。祖父と父が二代にわたって養子であったこと、しかも、ともに失敗を経由した二回目の養子であったことは、折口の人格を危うくする不安要因というより、アイデンティティの強固なベースなのではないか。

自分がどこから来たかわからないという思いは、やはり折口ワードのひとつである「ははが国」につながる。
今でもなく、此処でもないどこか。実の母がいるはずのどこか。

富岡多恵子は、折口家に出入りしていた寅吉という芸者が信夫の実母ではないかという説もとなえている。
それもふくめて、こうは実母かという疑問は残るし、自身の書くものの中で折口は父母や兄弟への憎しみに似たものを表明してもいるのだが、それが家族関係の事実や内心を正直に語ったものか否かは断定できない。

母親の存在に手こずりながらも、表現活動ではさかんに使いまわして、自身のイメージ形成に役立てた寺山修司の例もある。

時には母の ない子のように
ひとりで旅に 出てみたい

寺山がカルメン・マキに歌わせた「時には母のない子のように」の一節。
母がいないかのように振る舞ってみたいのである。
一人で旅に出てみたいのである。
事実としてそうなのではなく、「みたい」のである。
母がいないという境遇を、さびしく味わってみたいのである。
母なるものの「用途」をつい正直に明かしてしまった歌といえないか。

先の引用にある「河内の名主の子」とは、折口の父・秀太郎のこと。
この、いったん養子先をしくじって、半分ルーツを失くしたようにしてやってきたよそ者が、折口家の女ではない女(たとえば芸者・寅吉)に生ませた子が折口信夫であるとすれば、折口の「よそ者性」はいっそう確からしくなる。
けれどもそれは、折口にはどうすることもできない客観的事実だったのか。
事実がどうであれ、折口が意図してつくり上げたフィクション、好みの自画像という面は残る。
2018-12-29
ごろつき日本史
ごろつきの意味については二説ある。ひとつは、雷がごろごろ鳴るように人を威嚇して歩くからという説、もうひとつは、石塊がごろごろ転がるような生き方をしている者とする説。折口信夫は後者だろうとしている。
折口は「無頼」または「無頼漢」に「ごろつき」の読みをあてる。
以下は、折口のエッセイ「ごろつきの話」および「無頼の徒の芸術」に拠ったコンパクト日本史。

「ごろつきの話」では、うかれ人、ほかい人、野ぶし、山ぶし、念仏聖、虚無僧、くぐつ、すり、すっぱ、らっぱ、がんどう(強盗)、博徒、侠客、かぶき者、あぶれ者、町やっこ、舞々・舞太夫、しょろり・そろり、無宿者・無職者、これらの語が無頼=ごろつきのバリエーションとして用いられている。

折口によると、日本には古くから「うかれ人」の団体があり、異郷の信仰と異風の芸術(歌舞、偶人劇)を持って各地を浮浪していた。その後、海路・陸路の要地に定住するようにもなり、女人は売色にも従事した。
平安末期から「うかれ人」とは起源の異なる「ほかい人」が浮浪の群れに入ってくる。貴族勢力の失墜にあわせて衰退に向かった社寺勢力のもとから逃げ出した奴隷層が「ほかい人」。彼らは山伏・唱門師の態をとって巡遊した。
さらに同じころ目立ってきた別の浮浪者があり、諸方の豪族の子弟のうち惣領の土地を分けてもらえなかった者、あるいは戦争に負けて土地を奪われた者などが、新しい土地を求めて彷徨した。これが武士の起源。「武」という字をあてたためわかりにくくなったが、語源は「野伏し」、「山伏し」であろう。
それぞれの起源はちがっても、いずれも食うための浮浪なので、たがいに入り混じったり職を変えたりすることに躊躇はなかった。

平安期の武官と後世の武士は異なる。武官は結局のところ文官と同じ中央官僚だが、武士は地方から出た。
武官と武士が一時的に一致していたのが平家。

武家が土地に執着した時期と執着の薄かった時期がある。
本来の武家の性格はあきらかで、合戦記などを見れば、ある者が旗揚げして国々を歩くうちに、おおぜいが付き従って、最後に行きついた先で生活する。
木曽義仲が信濃を歩くと、それに従って都にまで入り、それきり信濃へはもどらずに都で果ててしまう。
相州小田原の早川氏が中国に移って、小早川の家を開く。
伯耆の名和氏は懐良親王について九州にくだり、八代あたりを根拠地として、遠く琉球までわたっている。
応仁の乱などがあると、どこからともなくどかどかと人がやってくる。
大阪冬の陣・夏の陣などにもごろつきが集まってくる。一人ずつ来るのではなく、親分格の者がおおぜいを引き連れてやってくる。

ごろつきが最も活発に動いたのは戦国末期。
歌舞伎の起原譚に名前の出てくる名古屋山三は、この時期のかぶき者、すなわちごろつき。山三は幸若舞いの舞太夫だっただろう、と折口は推測している。伝説によると山三は蒲生氏郷の寵を受けた有名な美少年で、やはり当時の有名な美少年に豊臣秀次の愛を受けた不破伴作がいる。伴作も山三と同じくごろつきで、彼らが主君に取り入る手段のひとつが男色であった。

後北条氏を立てた北条早雲の出身は確かではないが、らっぱか。「さらに探ってみると」と付け加えて折口が言うには、山伏あるいは唱門師か、と。
ばさら的・かぶき者的武将の代表に織田信長。
蜂須賀家の祖先小六はらっぱの頭領。
その小六に一時つかえた豊臣秀吉が、後には逆に小六を取り立てた。すなわち秀吉も、らっぱ出身。
徳川氏も、その始祖は放浪の僧。南北朝の新田氏につながる者が遊行派の念仏聖として諸方を流浪したのち、山間の小領主であった松平に婿入りした。三河の山間に今も多くの芸能が保存されているのは、この地方に徳川とかかわりを持った者が多く、徳川氏の時代になって手厚い保護を受けるようになったから。

徳川初期まで生き残った大名で、傭兵としてごろつきの力を借りなかった者はほとんどいない。
けれども、関ヶ原戦や大坂冬・夏の陣を経て世の中が落ち着くと、徳川氏や諸大名はごろつきの活動を抑えにかかる。傭兵的な働きをしたごろつきのうち、家人として落ち着いた者や村落に土着して郷士となった者などを除くと、都会に集まってくるしかなく、その中から親分・子分の関係を生かした人入れ稼業が生まれた。またこの層がつくりだした奴風俗は、そのモダン風味の刺激から旗本奴を生み、影響は京都の公家や宮中の女性にまで及んだ。
その他のごろつきは、芸能者、売色業、博徒・侠客などとして江戸期を過ごした。
江戸の文学も無頼の徒が生んだ。近松、西鶴、芭蕉にも無頼の味がある。
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