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2019-12-05
マルクスのアニミズム
マルクスも先に見たエンゲルスと同じことをやっている。
エンゲルスが『自然の弁証法』に着手したとされる時期、マルクスが『資本論』第2版(1873年)の後記で言うには、

私の弁証法的方法は、根本的にヘーゲルのものとは違っているだけではなく、それとは正反対なものである。ヘーゲルにとっては、彼が理念という名のもとに一つの独立な主体にさえ転化している思考過程が、現実的な創造者なのであって、現実的なものはただその外的現象をなしているだけなのである。私にあっては、これとは反対に、観念的なものは、人間の頭の中で置きかえられ翻訳された物質的なものにのかならないのである。

事物に人格を見ること、これをアニミズムという。
マルクスの用語で言えばフェティッシ(fetisch)だが、自身の思想にもこの形容が適用できることにマルクスは気づいていない。
引用は大月書店版『資本論』第1巻第1分冊(1968年)から。
2019-11-24
エンゲルスのアニミズム
エンゲルスのアニミズム的性向が露わな条。
『自然の弁証法』(大月書店『マルクス=エンゲルス全集』第20巻)「数学」の章から。

数学上の無限は、たとえ無意識にではあるにせよ、現実から借用してきたものであり、またしたがってこの無限はただ現実からのみ説明しうるものでもあり、けっしてそれ自体から、数学的抽象から説明しうるものではない。

表現の枝葉ではなく、思想の根幹にかかるエンゲルスの誤り。
無限の概念は現実からは得られない。
どれほど五感を働かせても、人は無限を感じ取ることはできない。健全な五感に恵まれた者が感じ取れる最遠方のものは、太陽、月、星々であろうが、最遠の天体でもわれわれの頭上有限の距離にある天球上に配置されていると見るのが、われわれの感覚。すなわち宇宙や空間の無限といった概念を、現実から借りてくることはできない。


無限は次のようにして人間の思考から生まれる。
たとえば数直線の上に、点を一つずつプロットしていく。すると直線を伸ばせる限りはいくらでも新しい点をプロットできることは、容易に想像が可。すなわち人は頭のなかで無限の概念に到達できる。
数直線のような数学めいたものを使わなくても、1、2、3、…と数え続けて、億、兆、京をこえ、那由他、不可思議、無量大数とある限りの数の名前を使い尽くしても、さらにその先に、その10倍、さらに10倍といくらでも大きな数のあることは、やはりたやすく考えつく。
2次元、3次元の空間についても同様で、たとえば数学の勉強で x-y 平面に直線や放物線をプロットした生徒は、それらの線分がどこまでも延長可能であることに容易に同意するだろう。無限の空間という概念も人の頭から生まれる。

人が現実場面で無限を味わうことはある。
たとえば、広い海洋にただ一隻で浮かぶ船の中で、あるいは波打つ砂丘に囲まれて出口の見えない砂漠にあって味わう茫漠感、さらには果てがないかのごとき感覚。けれども、そうした果てのない思いは海洋や砂漠の無限に由来するのではない。海洋も砂漠も有限の空間であって、無限の空間ではないのだから。
有限のものを見ながら、勝手に無限をつくりあげる人間の側の錯覚。
このように、人の脳内で生まれた概念を、外部の事物にそれらの属性として付与する精神のあり方をアニミズムという。
上の引用部分でエンゲルスは、自らのアニミズム的性向をそれと知らずして明かしている。彼の主張とはまったく逆に、数学上の無限は現実から借りたものではなく、数学的抽象から説明できる。

以下の2条も同じ性向によるもので、人の思考から生まれた無限をいったん外部世界に付与した上で、人の思考と外部世界のあり方が「同一の法則に従って」いるとする。最後の条に「この哲学」とあるのは、実際にはヘーゲルの弁証法を指すが、エンゲルスが自らの弁証法について述べていると見てかまわない。

われわれの主観的思考と客観的世界とが同一の法則に従っており、またそれゆえに両者がそれぞれの結果において結局は矛盾しえずに一致するはずだという事実は、われわれの理論的思考全体を絶対的に支配している。その事実は後者の無意識的かつ無条件的な前提をなすものである。

思考過程が自然と歴史の過程と類似し、逆に後者の過程が思考過程に類似すること、そしてこれらのすべての過程には等しい諸法則が妥当していることを、この哲学がたくさんの事例で、またきわめてさまざまな領域で立証したことは否定できないことなのである。

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2019-11-24
通常は「比喩的な思考」を意味するフランス…
通常は「比喩的な思考」を意味するフランス語 pensée figurative が、文字どおりには「形象的思考または像による思考」を意味する。これを枕に今村仁司が言うには、

どのような抽象語も、もとはといえば普通の日常語から出てきたものである。日常語は原則的に事象から言語への「置き換え」であるから、どこまでも「喩え」またはメタファーの痕跡を消し去ることは不可能である。概念的な用語は抽象的であっても、どこかに喩えと比喩の性質をひきずっている。この事態をなげかわしいこととみなすのではなくて、逆にそれを可能な限り引き伸ばすこと、これをこそベンヤミンはめざしていたと思われる。 ――今村『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』

事態を引き伸ばすとは、あえて喩えの痕跡を目立たせること。
さらにベクトルを強調するなら、抽象から具象へ、科学からアニミズムへの後退。あるいは後ろ向きの前進。
2019-11-23
アニミズムも科学であること
アニミズム(擬人主義)はそれ自体としては何ら認識上の誤りではない。もしこれが誤りだということになれば、類推なるものはすべて誤りだといわねばなるまい。 ――エルンスト・マッハ『感覚の分析』第5章「物理学と生物学、因果性と目的論」(須藤吾之助、廣松渉訳)

アニミズムも認識のうち、したがって科学のうちとマッハは見ている。
ただし、無条件のアニミズム肯定ではない。物理学的法則がみつかるまではとりあえずアニミズムを肯定するしかない。とくに生物学におけるごとく、目的論的な解釈を排除できない段階では。

アリストテレスがすでに動力因目的因すなわち目的とを区別している。物理学の領域に属する諸現象は徹頭徹尾動力因によって規定されており、生物学のそれは目的によっても規定されているということが前提されたのである。例えば、物体の加速度はもっぱら動力因によって――その瞬間の状態、引力、磁力、電気をもつ他の物体の現存によって――規定される。しかるに固有の形相のもとで行われる動植物の成長発育だとか、動物の本能的な行動だとかは、現在のところ、動力因だけでは解明できないのであって、特定の生活環境のもとにおける自己保存という目的によって――少なくとも部分的に――われわれはそれを了解する。生物学の領域では目的概念を適用することに対してどのような理論上の懸念をいだこうとも、「因果論的」考察によってはまだきわめて不充分な解明しか与えられない領域において、目的論的考察が供する導きの糸をないがしろにするのは理に悖ること明らかである。 ――同前
2019-11-21
モノーの「アニミズム」は心理学経由か
タイラーの「アニミズム」。
アニミズム(汎霊説)とは山や風、海や川といった全てのものに、物理的な要素とは別に、霊魂や精霊といった霊的な存在が宿っているとする考えのこと。英国の人類学者 E.B.タイラーによって1871年に提唱された言葉。(…)アニミズム的な世界観が事実に基づく正しい主張であると考える研究者は皆無だが、多くの民族に広く見られる思考形態であることから、「一体人は何故このような方法で世界を把握するようになりやすいのか」といった観点から広く研究が行なわれている。 ――汎心論 - Wikipedia

ピアジェの「アニミズム」。
子供はその成長段階のある時期(およそ2歳から7,8歳ぐらいの間)において、すべての対象を心を持つ存在と考える傾向、すなわち擬人化して捉える傾向があることが知られている。こうした傾向のことを心理学の世界ではアニミズムと呼ぶ。上述のタイラーのアニミズムにちなんで、1968年、スイスの心理学者ジャン・ピアジェによって命名された。例えば子供が自分の持っているぬいぐるみが、喜んだり、痛がったりしている、と素朴に信じているのは、こうしたアニミズム的思考の典型である。 ――同前

実験発達心理学者によるピアジェの視点を部分的に支持する研究。
1940年代にアルベール・ミショットは画面に映し出された二つのオブジェクトが、それがヒトや動物の形をしていなくても(それが四角や三角の記号でも、ドットであっても)、一方がもう一方の後を追うように動いているときには「追いかけている」と認識されることを明らかにした。1987年にはアラン・レスリーがこの認識が幼い子供でも起きることを発見した。レスリーらの研究によればわずか生後半年の乳児でも二つのオブジェクトが単に動いているだけなのか、「追いかけている」のかで異なる反応が起きる。 ――同前

ジャック・モノー『偶然と必然』の用語 animisme を、渡辺格・村上光彦共訳の日本語版では「物活説」と訳した。
佐藤直樹『40年後の『偶然と必然』』では、意味を補って「生命物質同等論」など。
『40年後の――』は『偶然と必然』を理解する上でありがたい書だが、téléonomie の訳として「(目的律的な)合目的性」と意味を補うなど、同書の提案する訳語は意味の正確な置き換えにこわだりすぎるきらいがある。思想書でも哲学書でも、その他の専門書などでも、それぞれのキーになるような用語は独自の偏向を帯びているのが常だから、必要があれば注記するなどして、訳語としてはシンプルなものを宛てておくのがよいのでは。animisme なら、たんに「アニミズム」とする。

ピアジェが「アニミズム」という用語を民俗学(民族学)から心理学に導入したのが1968年という。
モノーの『偶然と必然』は1970年刊。
後者の「アニミズム」には、心理学の影響がありそう。
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