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2020-02-16
シュレーディンガーの巨大なアニミズム
アニミズムに大きさがあるとしたら、これが最大ではあるまいか。

物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーが『生命とは何か――物理的に見た生細胞』で言うには、――
古代インドにはじまるヴェーダーンタ哲学は自我の複数性を強く否定したが、ヨーロッパでは自我は複数存在すると考えられている、と。

複数の自我? 多重人格のことだろうか。
シュレーディンガーによれば、全くそのようなことではない。
分裂症とか二重人格といった精神病理的な場合でも、二つの人格が同時に現れることはない。自我はつねに一つである。
夢の場合も同様。
われわれは夢の中で複数の人物を演ずることがあるが、われわれはつねにそれらの人物のうちのどれか一つとして行動したり話したりするのである。しかも、気づかぬことが多いのだが、その時の自分の行動だけでなく、相手の人物の行動や言葉を支配しているのも他ならぬ自分自身なのである。
夢の中で複数の人物を演ずることがあるとか、夢の中の他者もじつはわれわれ自身なのだとかが、すべての人に共通の体験とは思えないが、ともかくシュレーディンガーの説をつづけると――
ガウリサンカール山とエベレスト山が同一の峰を別の谷から見たものであるように(*)、われわれが自我とか意識としているものは、じつは同じ一つのものの別の側面にすぎず、自我は一つに限られる。
ヨーロッパでは肉体の数だけ霊魂があるとされている。すなわち人は誰もがそれぞれの魂を持っていると考えられているが、誤りである。われわれが「私」と呼んでいるもの、それは一つの大きな画布の上を部分的に占めている経験や記憶の謂にすぎない。
「ですから」と、最後にシュレーディンガーはわれわれを慰めようとする。「その記憶が薄れたり消えたりしてしまっても、自分の存在が失われたことにはなりません。そんなことは永遠にありません」

自我は一つである。
ただし、シュレーディンガーの言う「一つ」は、各人に一つの自我があるという意味ではない。
自我=霊魂は各人に一つずつではなく、この世界に一つだけある。
世界を一つの霊魂と見ること。言い換えれば世界を自分の同類と見なすこと、世界を人間に見立てること、すなわち世界の擬人化。
20世紀を代表する理論物理学者が、人間と世界についてそのような認識を持っていたこと。われわれがアニミズムから逃れられないことを強く示唆しているのではないか。

(*)ガウリサンカール(7146m)とエベレスト(8848m)が同じ山だと信じられていた時期があるというが、その時期は19世紀後半の20年間ほどとされる。『生命とは何か』が書かれた20世紀半ばに広く信じられていたかは不明。