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2012-01-04
私の百頭女
マックス・エルンストの『百頭女』をまねて、私の『百頭女』をつくる。
ヴィーナスのかわりに瓢箪鯰をつれてくる。
幾山河を越えて、あそこにもここにも瓢鮎図の男。
「風刺ですね」と人が言う。
予期したことなので、私は驚かない。
この世は瓢箪でナマズをつかむようなものだと、
そう言われてるのだから、そう取られるのはしかたない。
だけど違う。
時と所を越えて出没する瓢鮎男。
それだけの面白さでなければならない。
瓢鮎男を出したときから、
意味を問われてしまうことはわかっていたのだが、
至りませんで、とは言わない。
いつだって火山性の女たちが、後部を持ち上げて揺さぶると、
それは威嚇だと受け取る者がいる。
肉体培養。あるいは――お望みなら死を。
そうエルンストも言っている。
時と所を越えて、あそこにも瓢鮎男、ここにも瓢鮎男。
そして沼のほとりでは、戦国武将が叫んでる。
弟なにがし、討ち死にせり、
我これより、戦場におもむかん。
ヴィーナスも少しだけ出る。
百枚の版画だとして、一枚の遠景にヴィーナスがちらっといる。
私の彼が左利きだったりもする。