竜安寺の思い出
- ART TOUCH 絵画と映画と小説と
高校の修学旅行で竜安寺に行った。
初夏だったろう、汗ばむ感じの気候だったと思う。
まわりに誰がいたかおぼえてない。同級生たちにきまってるのだが。
何年かして一人で竜安寺に行った。たぶん行ったと思う。
石庭の外を歩いた。人が入れるくらいに崩れた土塀のあいだから、笹竹が外にはみ出していた。
もっと以前、何度か竜安寺に逗留したことがある。
そのころ自分は管領職の細川某だった。
当時の記憶は、上の2回の竜安寺行きにくらべるとかなり鮮明。
秋日
縁側にすわって庭を見ていた
いつ自分は蝦蟇(がま)になったか
空にぼんやり薄橙色の太陽
今年も季節に遅れてしまって
明朝あたり初霜だろうか
「そんな気がします」
と誰にともなく言ってみる
そのまま蝦蟇の姿で
とりとめなく昔のことを考えていると
縁側の板に張り付いた吸盤の感触が
何かに似ている
現実感というやつか
なんだろう、違うようでもある
縁側にすわって庭を見ていた
いつ自分は蝦蟇(がま)になったか
空にぼんやり薄橙色の太陽
今年も季節に遅れてしまって
明朝あたり初霜だろうか
「そんな気がします」
と誰にともなく言ってみる
そのまま蝦蟇の姿で
とりとめなく昔のことを考えていると
縁側の板に張り付いた吸盤の感触が
何かに似ている
現実感というやつか
なんだろう、違うようでもある
縁側の感触は今もおぼえている。
現実に引きもどされたような気がして、「現実感」と言ってみたのだが、
むしろ、「非現実感」ではなかったか。
次の詩も同じ材料で書いた。
秋夜
今夜も蝦蟇(がま)となって
縁側から庭を見ていると
なにやら懐かしく
わびしさ限りなし
どこにどうして
俺はいたかと思い返せば
ここにこうして、昔から
いたのだったと
土の塀にも石の庭にも
青い月の光が
笹の植え込みにも
あふれるほどにそそいで
あたりはもう
静かな湖の水の底
ゆらゆら俺も
月光に泳ぎ出そうか
今夜も蝦蟇(がま)となって
縁側から庭を見ていると
なにやら懐かしく
わびしさ限りなし
どこにどうして
俺はいたかと思い返せば
ここにこうして、昔から
いたのだったと
土の塀にも石の庭にも
青い月の光が
笹の植え込みにも
あふれるほどにそそいで
あたりはもう
静かな湖の水の底
ゆらゆら俺も
月光に泳ぎ出そうか