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2012-11-08
このお姉さんの存在理由
マックス・エルンストの『百頭女』に出てくる存在理由の不審な全裸、半裸、薄衣の女たちの例。

- Marc Chagall - La femme 100 têtes

教室みたいなところで、教師が生徒を責めている。あるいは、暴漢が生徒を脅してる。
そのわきで半裸のお姉さんがポーズをつくっている。
姉さんがそこにいる必然性がない。もしくは不審。
けれども、いる。いなくても絵柄は成り立つのに。
姉さん、姉さん、あなたはいったい、なぜそこにいるのですか、出てきたのですか。
おほほ、わかりません?
わかりません。というか不思議です。
では、教えてあげましょう。
わたしはね、存在理由の不確かな女ではありません。暴力的に存在している女です。
力さえあればね、存在理由はいらないの。いえ、力がすなわち存在理由なの。
もういちどこの絵をよくごらんなさい。
もとの図柄では、この黒い男と坊やのあいだで視線がかわされていたはずです。
でも今はどう? よく見てね。
ほら、わたしと坊やのあいだで視線がかわされてるわ。
もとのスケッチは変わってなくても、わたしが出てきただけで視軸が変わったの。
そして主役もわたしに代わった。
つまりこれが力よ。力が空間をゆがめるのよ。
あなたも詩を書いたりしてるなら、いいことを教えてあげる。
行き詰まったら裸を出しなさい。
なんでもいいから、どこでもいいから、適当に裸をはさむの。
言葉の芸だったら、卑猥な言葉とか。
絵画も同じよ。行き詰まったら、そのへんのグラフ雑誌から裸の写真を切り抜いて、ぺたっと貼りつければおしまい。
それだけで、絵はいっきに精彩を増して、完成するわ。
かんたんなことなのよ。
実生活でも同じこと。
あなたが会社か官庁づとめなら、帰宅途中の駅のホームで性器を露出しなさい。
あら、失礼。あなたもときどきやってるのね。そういうお顔をなさってる。
でも全裸だともっといいかも。
駅員や警備員が駆けつけて、やがてパトカーのサイレンも近づいてくる。世界が変わるのよ。
裸はね、力なの、暴力なの。そして存在理由なの。
それだけで世界を変えることができるのよ。

これなんかもそうだったな。暴力的であれ。

- 草上の昼食 - Wikipedia