「竜之助版」と「米友版」の『大菩薩峠』
Wikipedia による『大菩薩峠』の粗筋。
よくできた粗筋なのではないかと思う。
これを読んでしまったからには、『大菩薩峠』を読まずにすますという計画はなかば達成されたようなものだが、宇治山田の米友に触れていないのが引っかかる。
プログラムで数えた限りでは、米友は『大菩薩峠』で登場回数の最も多い人物である。
登場回数で他を圧倒している人物が、なぜ上の粗筋では省かれているのか。
米友に触れると筋が錯綜してしまうからではないか。
以下、どれもまだ推測だが――。
竜之助と米友はたがいに無関係なストーリーを生きている。
だとすれば、『大菩薩峠』は「竜之助物語」と「米友物語」に分けられる。
作者・中里介山の意図は、この両者を総合することにあった。
それを果たせないまま介山は死に、物語も未完に終わった。
総合の果てに出現する寛容と救済の祝祭空間。作者はそんな夢を描いていたのではないか。
時は幕末(安政5年)、江戸から西に三十里離れた甲州裏街道(青梅街道)の大菩薩峠で、一人の老巡礼が武士机竜之助に意味もなく斬殺される。老巡礼の孫娘お松は、通りがかった盗賊裏宿の七兵衛に助けられ、養育される。竜之助は、峠のふもとの武州沢井村の沢井道場の若師範であった。甲源一刀流の師範宇津木文之丞は御岳神社の奉納試合で竜之助と立ち会うことになっていたが、その内縁の妻お浜は妹と偽って竜之助を訪ね、試合に負けてくれと懇願する。竜之助は拒絶し、与八にかどわかさせて、お浜の操を犯してしまう。あげくに竜之助は試合で文之丞を惨殺し、お浜を連れて江戸へ出奔した。
文之丞の弟の兵馬は仇を討つべく竜之助の後を追う。四年後の江戸で竜之助と兵馬は互いの素性を知らずに試合を行い、引き分ける。翌年、兵馬から果し状を受け取った竜之助は、悪縁のお浜を諍いの末に切り捨て、兵馬との試合をすっぽかし、新選組に居場所を求めて京都へ向かう。しかし、竜之助は、近藤と芹沢の争いで揺れる新選組をよそに、遊郭の里島原で狂乱し、またも失踪する。
その後、三輪の宝蔵院流の槍術を伝えるという植田丹後守の道場に身を寄せた竜之助は心中者の生き残りで亡き妻お浜に生き写しのお豊に惹かれる。しかし、竜之助は成り行きで天誅組の変に参加し、十津川郷に敗走する途中、泊まっていた山小屋で追っ手の放った爆弾が爆発し失明してしまう。竜神村でお豊と再会した竜之助は、お豊と逃亡。竜之助の世話のために苦しい生活を強いられたお豊が自害したと間の山の芸人お君から聞かされた竜之助は東海道に旅立ち、山の娘たちに助けられ療養するが、ふとしたきっかけで甲府に赴き、夜毎に辻斬りを仕出かしだす。その後、竜之助は八幡村へ、江戸へと流れるが行き着く先で夜毎に辻斬りを仕出かしだし、慶応3年秋、白骨温泉に赴く。
小説は四散した登場人物全員の旅路を詳細に描いていく。数多の登場人物は慶応3年秋の日本各地をいつまでもいつまでも彷徨い続ける。
- 大菩薩峠 (小説) - Wikipedia文之丞の弟の兵馬は仇を討つべく竜之助の後を追う。四年後の江戸で竜之助と兵馬は互いの素性を知らずに試合を行い、引き分ける。翌年、兵馬から果し状を受け取った竜之助は、悪縁のお浜を諍いの末に切り捨て、兵馬との試合をすっぽかし、新選組に居場所を求めて京都へ向かう。しかし、竜之助は、近藤と芹沢の争いで揺れる新選組をよそに、遊郭の里島原で狂乱し、またも失踪する。
その後、三輪の宝蔵院流の槍術を伝えるという植田丹後守の道場に身を寄せた竜之助は心中者の生き残りで亡き妻お浜に生き写しのお豊に惹かれる。しかし、竜之助は成り行きで天誅組の変に参加し、十津川郷に敗走する途中、泊まっていた山小屋で追っ手の放った爆弾が爆発し失明してしまう。竜神村でお豊と再会した竜之助は、お豊と逃亡。竜之助の世話のために苦しい生活を強いられたお豊が自害したと間の山の芸人お君から聞かされた竜之助は東海道に旅立ち、山の娘たちに助けられ療養するが、ふとしたきっかけで甲府に赴き、夜毎に辻斬りを仕出かしだす。その後、竜之助は八幡村へ、江戸へと流れるが行き着く先で夜毎に辻斬りを仕出かしだし、慶応3年秋、白骨温泉に赴く。
小説は四散した登場人物全員の旅路を詳細に描いていく。数多の登場人物は慶応3年秋の日本各地をいつまでもいつまでも彷徨い続ける。
よくできた粗筋なのではないかと思う。
これを読んでしまったからには、『大菩薩峠』を読まずにすますという計画はなかば達成されたようなものだが、宇治山田の米友に触れていないのが引っかかる。
プログラムで数えた限りでは、米友は『大菩薩峠』で登場回数の最も多い人物である。
1. 宇治山田の米友 2934回- 机竜之助は『大菩薩峠』の主役か
2. 宇津木兵馬 2121回
3. 机竜之助 1867回
登場回数で他を圧倒している人物が、なぜ上の粗筋では省かれているのか。
米友に触れると筋が錯綜してしまうからではないか。
以下、どれもまだ推測だが――。
竜之助と米友はたがいに無関係なストーリーを生きている。
だとすれば、『大菩薩峠』は「竜之助物語」と「米友物語」に分けられる。
作者・中里介山の意図は、この両者を総合することにあった。
それを果たせないまま介山は死に、物語も未完に終わった。
総合の果てに出現する寛容と救済の祝祭空間。作者はそんな夢を描いていたのではないか。