to top page
2014-01-18
手段と目的
手段の目的化はいけないことだという。
それは手段であって目的ではない、真の目的を忘れるな、などという。
そうなのか。違うのではないか。

暗殺によって政治を変えたいと思う。
暗殺者にとって、政治を変えることが目的であり、暗殺は手段である。
政治を変えるために暗殺は必要か、もっと穏健なやりかたはないのか。
そう言われても暗殺者はやり方を変えない。なぜなら暗殺がおもしろいから。
暗殺の技術をみがき、精神を鍛えて、暗殺を実行し、それによって結果的に政治が変わる。
暗殺そのものにやりがいがある。政治はその結果である。
後世に名を残すような暗殺者とは、そういうものではないか。

例が極端すぎた。
楽器がうまく弾けるようになってモテたい。
楽器はギターとする。
ギターがうまくなって、みんなにほめられたい、女性にモテたい、カネもざくざく。
そう考える人にとって、ギターは手段である。
真の目的は、承認、モテ、カネである。
ならばギターにこだわる必要はない、と言えるか。
真の目的はギターでなくても果たせるだろう、と言えるか。
モテたかったら、もっと手軽なやり方がほかにいくらでもある、と言えるか。
言えないのではないか。
一週間前より指が早く動くようになった気がする。それが楽しい。
コード進行のパターンをひとつおぼえた。それがうれしい。
そういう小さな達成感が重なって人はギタリストになる。
手段であったはずのギターにこだわった結果、モテ、カネが付いてくる。モテ、カネはおまけである。

暗殺の技術をみがく。技術は銃器とする。
この場合、目的は暗殺で、手段が銃器である。
銃器に習熟した結果、射撃の競技会で入賞する、優勝する。その大会はオリンピックかもしれない。そういうことだってある。

ギターを買うために、コンビニでアルバイトをする。
この場合、ギターが目的であり、アルバイトは手段である。
だが主客が逆転して、手段であるはずのアルバイトで自分の能力に目覚め、優秀なコンビニ店長になってしまう。そういうことだってある。
手段を目的化するから、そういうことが起こる。