to top page
2016-08-29
ローマ便り(追伸)
先の第一信で「役者は筋を演じきらなければならない」と書きました。
これは役者の義務でしょうか運命でしょうか。
わかって書いたつもりでしたが、いまは判断ができません。こちらに滞在中の宿題になりそうです。

遠ざかる男の背中を見ながら少女はつぶやいた。
「いまはもう未来なんだ」
でも、なんだか変だと思う。
未来って、もっと楽しかったり、もっと嬉しかったりするものではなかったのか。
いまがもう未来だとしたら、あたしはこのまま花売りをして生きていくのだろうか。未来になったら、もっときれいな服を着たり、おしゃれな靴をはけるはずだったのに。軽くてはき心地のよい靴をキュキュっと鳴らしながら歩いていると、まわりの人がうらやましそうに振り向き、その視線のなかを姿勢よく進んでゆくわたし。そういうのが未来だったと思うのだけど。
お菓子屋さんの前だって、おもてにもれてくるヴァニラの香りに気づかないふりをして通り過ぎるなんていうことはない。堂々とお店に入ってガラスケースの前に立ち、すこしだけ考えるふりをしてから、いつものお気に入りのケーキを指さし、
「これひとついただきますわ」
と淑女みたいな言い方で注文する。だって、淑女だし。お店の人も愛想がよくて、「ごひいき、ありがとうございます」とか、そんな言葉でおくってくれるのだけど、でも、いまがすでに未来だとしたら──。
それにあの小父さんも変だ──。いまは未来だと言っていたのに、小父さんはすこしも楽しそうではなかった。
服装もおかしい。昔っぽくてお爺さんみたい、そんな年齢ではないのに。帽子の形も古めかしいし、もとは黒かったはずの服も、日焼けして茶色い。
そんなことを思いながら少女が見ている先で、山高帽の男は「九月二〇日通り」をそれ、中央駅に通じる道に消えた。
そちらは少女が行こうとしている方角でもあった。中央駅の手前に広場をかこむ商店街があり、その辺で花を買ってもらえることが多い。少女の家も駅を越えたその先にある。

ご存知のように「九月二〇日」とは、いまから半世紀あまり前、カドルナ将軍の率いるイタリア軍が、教皇軍の守るピーア門を破ってローマ入城を果たした日です。イタリアはまだ新しい国で、じつは「永遠の都」と呼ばれるローマも、日々すがたを変えつつある新しい町なのです。