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2016-10-17
しなの紀行 (1)
群馬から長野に越える山道を芭蕉と曾良の師弟が歩いている。
後輩の一茶をたずねる旅である。後世の俳人がどんな文学観で句を作っているのか。それを知る機会にもなるだろう。

  旅人と我が名呼ばれん初しぐれ

芭蕉が吟じたのをきいて、曾良がいう。
「先生、それはいかがなものでしょうか」
「なんだよ、いかがなものって。嫌味にきこえたけど、どうなの」
「また、そんな皮肉っぽいことを。あのですね、今回の長野行きも紀行文にまとめるわけですよね」
「そのつもりだよ。おそらくわたしの最後の紀行文になるだろう」
「いやですよ、そんな心細いことをおっしゃっては」
「心がまえの問題さ。旅で倒れても悔いるところはない。いつもその覚悟で旅に出ている。だからね、曾良、おまえもわたしの最期を看取るくらいのつもりでいて欲しいんだよ。もしかすると、今度の紀行文をまとめるのはおまえの仕事かもしれない」
「もちろん覚悟だけは持ってるつもりです。でも、先生、初しぐれが困るんです」
「なにかまずいかね」
「だって無茶ですよ。もう春も深まろうという時期じゃないですか。これから先、目にするものだって聞くものだって春ばかり。旅が長引けば、夏ですよ。材料が、春、夏なのに、紀行文を冬の句で開始したら、どうなることか。編集の苦労も察してくださいな」
「わかってないなあ、おまえは」
芭蕉は思う。自分もすでに五十の坂だ。この旅が最後の旅になるかもしれないとは、つねの覚悟というだけでなく、実際にもありうることである。だったら最後の紀行文となる『しなの紀行』の巻頭に「旅人と──」の句を置くのは当然といえる。
我ながら良句だと思う。否、秀句であろう。堂々たる覚悟が詠み込まれている。
わたしは旅人と呼ばれるであろう、いや、旅人と呼ばれたいものである、いいや、それでは足りない、わたしは旅人と呼ばれるべく生きる。旅人として生き、旅人として死ぬ。そういう覚悟の宣言である。
「あのね、曾良」
「はい」
「紀行文といえどもフィクションだということはわかってるね」
「作り物ということですね」
「そのとおりだよ。『奥の細道』だって、あったとおりに書いてるわけではない。事実とちがう形で整理する場合もあるし、ときには、なかったものを付け加えもする。出来事の日時をずらしたり、挿入句も作り直したり、差し替えたりさえするね」
「それはわかりますが、先生。初しぐれの句は『笈の小文』に入ってます。その句を別の紀行文で使いまわすのはどうなんでしょう」
「そういうけどね──」
と芭蕉は句を二つ吟じた。

  行き行きて倒れ伏すとも萩の原
  いづくにか倒れ伏すとも萩の原

ともに曾良の句である。
はじめの「行き行きて」は『奥の細道』の挿入句、後の「いづくにか」は句集『猿蓑』に入っている。もちろんそのことを曾良自身が忘れているはずはない。
「どう思うね」
「どうって」
「どちらも良い句だ。はじめの句には勢いがあり、あとの句には先達の歌を踏まえた含蓄がある」
「はあ」
「だから、どちらのバージョンもあってよいが、使い回しだとはいえるよね」
「違うような気がしますが」
「なぜだね」
「だって、最初のは紀行の現場で詠んだものだし、あとのはアンソロジーで採択された句です。使い回しとは違うのではないでしょうか」
「まだ、わかってないな」
「わかってませんか」
「わかってない。いいかね、わたしは使い回しがいけないと言ってるのではない。紀行文はフィクションだと言ってるのだ。同じように、選集もフィクションなんだよ」
「選集がフィクションて──」
句集『猿蓑』は弟子たちが苦労して編んでくれたものだが、芭蕉としても自身の業績のうちで最たるものと見ている。
『猿蓑』は俳句のスタンダードを作った。以後、俳人ならばこの句集を読まずに済ますことはできない。初学者にとって優れた入門書であり、上級者にとっても、この句集を繰り返し読むだけで、限りないくらいの上達が望める。そういう句集に曾良の「いずくにか──」が入ったことにも文句はない。弟子たちの目はたしかなものである。
「フィクションなんだよ。『猿蓑』をよく読み返してご覧。ひとつひとつの句は別々のところから集めてきたにしても、並べられたとおりの順序でリアルタイムに詠まれたかのように感じられるはずだ。再利用によってまったく別の文脈が生まれる。そういう意味で新しい作り物、すなわちフィクションなのだ」
「うかつでした。材料は同じでも、別のストーリーが生まれてるわけですね」
「わかってくれたか」
「紀行文も句集もフィクションだというのはわかりました。編集の力で新しい物語を仕立てると。だけど、先生、やっぱり初しぐれは困ります」
「だめかね」
いつになく曾良は頑固だ。
いや、いつになくではない、こいつは言い出したら引っ込まないときがある。「行き行きて──」の句もそんな折の産物だった。この句に勢いがあるのは曾良がいきり立っていたからで、これを詠み捨てに師を置き去りにし、自分だけ旅を切り上げてしまった。
「では、こうしよう」
芭蕉はいったん弟子の意見を容れることにした。
「かりにこの句を置いておこう」

  山路来て何やらゆかしすみれ草

「これならいいだろう。現に山路だし、季節は春だし」
言いながら芭蕉は老いの自覚が深まるのを感じていた。
弟子に妥協した。それは衰えではないか。
これまでも芭蕉は、老いだの、旅に死ぬだの言ってきた。いくぶんかは本心でもあったが、むしろ渡世のポーズだった。宗匠としての営業用の構えである。そのポーズの面が薄れ、内面の実感になろうとしていた。多少の無理筋であろうと弟子やファンを言い負かす、説得しきる。そんなカリスマの要件が失われつつあるようだった。
「先生、すみれは見当たりませんが」
芭蕉は曾良の表情をうかがった。こいつ、まだいちゃもんをつける気か。そう思いながら、曾良の視線を追ってあたりを見回した。
山路の左右は外来種でおおわれている。
現代の俳人は、これらの花をどう詠んでいるのだろう。
「十七文字のなかで、セイヨウタンポポとかムラサキツメクサとかで字数を使ってしまったら、あとが窮屈でいけない。ここはすみれ草にしておいてくれないかね」
今度は曾良が妥協した。
一茶の住む山間の村まで、健脚の彼らでもまだ二日ほどかかる。