しなびた女の乳房をもつ老人
古本屋の店頭にエリオットの詩集があったので、買っておいた。
上田保・鍵谷幸信訳『エリオット詩集』、1975年、思潮社刊。
『荒地』のうち「火の説教」の一節。
もとの話はオウィディウスの『変身物語』にある。
最高神のユピテルとその妻で最高位の女神であるユノーが、セックスの快感について言い争った。
ユピテルは「女の快感のほうが男より大きい」と主張した。
ユノーは「とんでもない」と否定した。
そこで、物知りのテイレシアス(タイレーシアス)の意見を聞くことになった。
テイレシアスは男女双方の快感に通じていた。
というのは、あるとき森の中で交尾している蛇を見かけて杖で殴りつけると、男であったテイレシアスは女に変わってしまった。
七年たって、また同じ蛇に出会った。
「お前たちを打つと、人間の性が変わるのだな。ではもう一度打つことにしよう」
そういって殴りつけると、もとの男にもどった。
二人の最高神から裁定を求められたテイレシアスは、ユピテルの意見が正しいとした。
これに気を悪くしたユノーは、テイレシアスを罰して盲目にした。
神々のルールでは、ある神が行ったことを他の神が無効にすることはできない。そこでユピテルは、視力を失くしたテイレシアスに未来を予知する能力を与えた。
エリオットはこの話を圧縮して、「女の乳房をもつ(男の)老人」と「盲目ではあるが眼が見える」という二つの二重性を取り出した。『荒地』の発表(1922年)から5年後に、エリオットはイングランド国教会に入信する。神や教会との距離を決めかねていた時期のあいまいなアイデンティティが、彼をして物事の二重性に注目させたのではないか。
上田保・鍵谷幸信訳『エリオット詩集』、1975年、思潮社刊。
『荒地』のうち「火の説教」の一節。
わしはタイレーシアスといって、二つの生涯にはさまれて息づく、
しなびた女の乳房をもつ老人、盲目ではあるが、
眼に見えるのだ、(…)
しなびた女の乳房をもつ老人、盲目ではあるが、
眼に見えるのだ、(…)
もとの話はオウィディウスの『変身物語』にある。
最高神のユピテルとその妻で最高位の女神であるユノーが、セックスの快感について言い争った。
ユピテルは「女の快感のほうが男より大きい」と主張した。
ユノーは「とんでもない」と否定した。
そこで、物知りのテイレシアス(タイレーシアス)の意見を聞くことになった。
テイレシアスは男女双方の快感に通じていた。
というのは、あるとき森の中で交尾している蛇を見かけて杖で殴りつけると、男であったテイレシアスは女に変わってしまった。
七年たって、また同じ蛇に出会った。
「お前たちを打つと、人間の性が変わるのだな。ではもう一度打つことにしよう」
そういって殴りつけると、もとの男にもどった。
二人の最高神から裁定を求められたテイレシアスは、ユピテルの意見が正しいとした。
これに気を悪くしたユノーは、テイレシアスを罰して盲目にした。
神々のルールでは、ある神が行ったことを他の神が無効にすることはできない。そこでユピテルは、視力を失くしたテイレシアスに未来を予知する能力を与えた。
エリオットはこの話を圧縮して、「女の乳房をもつ(男の)老人」と「盲目ではあるが眼が見える」という二つの二重性を取り出した。『荒地』の発表(1922年)から5年後に、エリオットはイングランド国教会に入信する。神や教会との距離を決めかねていた時期のあいまいなアイデンティティが、彼をして物事の二重性に注目させたのではないか。