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2016-12-30
2016年に読んだ本
ほぼ読んだ順。ただし、同じ著者については一箇所にまとめた。

エドモンド・デ・アミーチス「母をたずねて三千里」(『クオーレ』のうち)
渡辺保『歌舞伎ナビ』
宮部みゆき『桜ほうさら』上・下
宮部みゆき『震える岩』(再読)
アルトゥル・ショーペンハウアー『自然における意思について』(『全集』8)
内藤龍『恐竜のおそろしい大きな口──恐竜の文化誌』
寺山修司『新釈稲妻草紙』
山東京伝『昔話稲妻表紙』(上の寺山版のオリジナル)
寺山修司『毛皮のマリー』(再読)
高野秀行・清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』
清水克行『大飢饉、室町社会を襲う!』
鶴屋南北『菊宴月白浪』
鶴屋南北『金幣猿嶋郡』
福田善之『猿飛佐助の憂鬱』
塩見鮮一郎『弾左衛門の謎』
塩見鮮一郎『吉原という異界』
塩見鮮一郎『四谷怪談地誌』
マルセル・デュシャン『デュシャンは語る』
粟津則雄『思考する眼』
氏家幹人『大江戸残酷物語』
十返舎一九『東海道中膝栗毛』
伊坂幸太郎『グラスホッパー』
伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』
伊坂幸太郎『マリアビートル』
伊坂幸太郎『重力ピエロ』
伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』
伊坂幸太郎『魔王』
伊坂幸太郎『死神の精度』
伊坂幸太郎『死神の浮力』
伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』
都筑道夫『さかしま砂絵 うそつき砂絵』
つかこうへい『幕末純情伝』
ジャン=パトリック・マンシェット『眠りなき狙撃者』
高橋克彦『白妖鬼』
岸本佐知子編訳『居心地の悪い部屋』
内田百閒『冥土・旅順入場式』(再読)
中原昌也『あらゆる場所に花束が』(そのほか短編集を再読)
田中優子『江戸の想像力』
押井守『獣たちの夜』
アンドレ・ジッド『法王庁の抜け穴』
アーネスト・ヘミングウェイ『われらの時代に』(再読)
R・A・ラファティ『地球礁』
R・A・ラファティ『宇宙舟歌』
R・A・ラファティ『つぎの岩につづく』
R・A・ラファティ『子供たちの午後』
R・A・ラファティ『どろぼう熊の惑星』
R・A・ラファティ『昔には帰れない』
田之倉稔『イタリアのアヴァン・ギャルド 未来派からピランデルロへ』
田之倉稔『ファシストを演じた人びと』
マクス・ガロ『ムッソリーニの時代』
ジャン・フランコ・ヴェネ『ファシズム体制下のイタリア人の暮らし』
ルイジ・ピランデルロ『作者を探す六人の登場人物』
T・S・エリオット『荒地』(細かいことが知りたくて、新潮社版、思潮社版、岩波文庫版を読んだ)
茂田真理子『タルホ/未来派』
伊藤比呂美『日本ノ霊異ナ話』
高橋源一郎『ゴーストバスターズ』
小林信彦『裏表忠臣蔵』(再読)
松島栄一『忠臣蔵』
野口武彦『忠臣蔵』
今尾哲也『吉良の首』
いしいしんじ他『極上掌篇小説』
いしいしんじ『白の鳥と黒の鳥』
ウィリアム・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』
ウィリアム・バロウズ『デッド・ロード』(再読)
ウィリアム・バロウズ『ウェスタン・ランド』
エイゼンシュテイン『映画の弁証法』
松尾芭蕉『奥の細道』
ハーラン・エリスン『死の鳥』
ポール・オースター『幽霊たち』
ローラン・トポール『幻の下宿人』(再読)
H・ブレイクリー『死刑執行人──その陰惨な栄光』
ジュール・シュペルヴィエル『ひとさらい』
『新約聖書』のうち4福音書
吉本隆明『マチウ書試論』
ハリー・G・フランクファート『ウンコな議論』
リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』
ヴォルテール『カンディード』
森博嗣『スカイ・クロラ』

今年うれしかったのはラファティを知ったこと。
最初に読んだ『地球礁』は当初リズムが合わず、投げかけたのだが、そのうちリズムが合ってきてはまった。翻訳されてる長編は『地球礁』と『宇宙舟歌』のほかは『トマス・モアの大冒険』だけらしい。これは来年。

伊坂幸太郎は中原昌也経由。短編集『待望の短編は忘却の彼方に』の後書で、「恥ずかしい作品ばかりを集めた本」と自作をけなしたあと、意図のつかみにくい言い回しで中原は伊坂幸太郎を勧めている。曰く、「こんな無駄な本を買った人には『次は他の作家の本を買ったほうがいい……例えば伊坂幸太郎の本とか』と、アドバイスできる優しさくらいはあってもいいのかもしれない」。で、読んでみた。どれもおもしろかった。

バロウズの『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』三部作を読みきったのはいちおうの収穫。セックス描写の頻出がへきえきで、そのへんは読み飛ばした。バロウズ作品だからゲイの読者は多いのだろうが、エロ本として読めるのか疑問。とても官能的とはいえないのだが。

「母をたずねて三千里」で不思議だったのは、母親がイタリアからアルゼンチンに出稼ぎに行ったこと。かつて地中海貿易の拠点として栄えたジェノヴァから、どうして後進国へ出稼ぎに? まあ、時代が離れすぎているのだが、そう感じた。その後、ファシズム関連の本を何冊か読んで、ファシズム台頭期のイタリアで国外への出稼ぎの多かったことを知った。

冊数は80冊に届かなかった。枕もとに積んでおく山田風太郎、宮部みゆき、京極夏彦(いずれも時代小説)の再読・拾い読み、興味次第の調べもの(たとえば弁証法に興味を持ったので、関連本をつまみ食いした)、読んだけど忘れてしまったもの、などを加えてもせいぜい100冊だろう。
けれども、自分としてはたくさん読んだほう。上出来としておく。
200冊読めれば周囲には威張れそうだが、無理をせずに来年の目標は100冊。内容的にはもう少し重みのあるやつ。