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2018-02-17
天球の半径
天球の大きさはどのくらいか。
無限ではない。仮想的には無限なのかもしれないが。
天球には月も太陽もその他の恒星も惑星も同じ距離にあるように貼り付けられている。
したがってその半径は、地球と月の距離より短いであろう。
天球の半径は、遠近感が把握できなくなる隔たりということではないか。
だとすれば、半径はそれぞれの生理的事情で決まり、人によって異なる。
以上のようなことは考えたことがある。

昨日、ユクスキュル著『生物から見た世界』を読んでいたら、地平線(Horizont)または最遠平面(fernste Ebene)というのが出てきた。平面と球という用語の違いはあるが、著者のいう最遠平面が上でいった天球にあたる。
著者はこの最遠平面を20メートルほどの前方に感じたことがあるという。それは重いチフスから回復してはじめて外に出たときのことで、壁紙のように垂れ下がった最遠平面の上に、目に見えるものがすべて描かれていた。20メートルより先には遠いも近いもなく、小さなものと大きなものがあるだけで、著者のかたわらを通り過ぎる車も最遠平面に達するや、それ以上遠ざかることはなく、ただ小さくなっていった。

根拠は挙げられていないのだが、著者によると観察者からこの地平線=最遠平面への距離は、乳児では10メートル以内。
成長につれて最遠平面を広げることを学習し、おとなでは6キロから8キロに達する。

著者が紹介している生理学者・物理学者ヘルムホルツの幼時の体験。
ポツダムの陸軍教会のそばを通ったおり、その回廊の上に数人の労働者がいるのに気づいたヘルムホルツは、「あの小さな人形を取って」と母親にせがんだ。教会と労働者は彼の最遠平面上にあり、遠くにではなく小さく見えたのである。

小林一茶の句に、
   名月をとってくれろと泣く子かな
この子の最遠平面もごく近距離にあり、おとななら手が届きそうに思えたのではないか。
すなわち、最遠平面が生んだ句。

英語にも「cry for the moon」というのがある。
これも、じっさいに月を欲しがる子どもがいることに由来する表現ではないか。
人は絶対に手に入らないようなものを欲しがったりはしない。
手が届きそうなところに見えるから欲しがってわめく。

まとめ。天球の半径は人によって異なるが、おとなでは一般に6〜8km。