to top page
2018-05-19
時間と空間の混同など
ベルクソン『時間と自由』(中村文郎訳)の序言に、

或る種の哲学的問題が引き起こす乗り越えがたい困難の原因は、本来は空間のうちに場所を占めない現象を空間のうちに執拗に併置しようとする点にあるのではないだろうか。

とあって、ほんとにこれだなあと思う。
哲学者も思想家もこれをやる。
人なら誰もやる。
頭を使わないのが日常な人もこれをやる。

論争の舞台装置となっている粗雑なイメージを取り除けば、論争に決着をつけられるということも往々にしてあるのではないだろうか。拡がっていないものを拡がっているものへ、質を量へ翻訳したために、立てられた問題そのもののうちに矛盾を引き入れたわけだから、提出される問題解決のなかに矛盾が再び現れることになったとしても何ら不思議なことではあるまい。

人間はこの種の認識上の誤操作をいつもやっている。
例で言えば、時間と空間の混同など。
広く言うなら、関数の誤適用。計算は合ってるとしても。