to top page
2018-06-12
「ニーチェの限りなく孤独な詩情」というのだが
ニーチェは騒がしい。押し付けがましい。
おまけに自慢ばかり。
もう少しおだやかに語ってくれたら、読まないでもないのに。
と、ずっと思っていたのだが──

画家のキリコはそのニーチェの、こともあろうに、いやあると見たからにちがいないのだが、ニーチェの孤独な詩情に触発されて、いわゆる「形而上絵画」を描きはじめたのだという。
「この哲学者の発見した新しさ」とキリコは言っている。

この新しさとは、情調にもとづく奇怪な、奥深い、神秘的で、限りなく孤独な詩情なのである。……この詩情は、私に言わせれば、秋の午後の情調にもとづいている。その頃には、空はきよらかで、かげは、夏のあいだよりも長くのびるようになっている。太陽が低くなりはじめているからだ。この異常な感覚は、イタリアの町々や、ジェノヴァやニースなどという地中海沿岸の町々で味わうことが出来る。(もちろんそのためには、私が持っているような、例外的な能力を持つというしあわせを与えられていなければならないが)、そして、イタリヤの町のなかで、どこよりも、この奇怪な現象が起こりやすいのは、トリノである。(粟津則雄『思考する眼』による)

かくてキリコは、イタリアの町々で味わう秋の午後の憂愁に彩られた──と称する──作品を描きはじめる。
タイトルも、たとえば「ある街路の謎と憂愁」。


ほんとにこれがニーチェの「情調」に促されて生まれたものなのか。
信じがたいものを信じるには、そのつもりで──つまり、信じたふりをして──読まないと。