忘れものをしてきたような死出
歌麿のモデルをしていた女が死にかけている。
名は、おたか。
知りあいの北斎が見舞いに行くと、彼女は庭で行水を使っている。
「病人のくせに湯浴みなんざいけねえよ」
「せっかくいい人が来るのに、汚れたなりじゃ振られちまうよ」
幼なじみの男が会いに来くるのだという。
庭に面した障子を少しあけておいてくれるように、おたかは北斎にたのむ。
言われたとおりにして、北斎は去る。
夜。障子のすきまから差し込む月の光と虫の声。
やがて庭から男が上がってくる。
情を交わし終えると、男は「さあ、行こう」と強くおたかの手を取る。
「でもまだ仕度が……」
「仕度などいるものか」
ただ虫の音だけの野を行く二人。男は来た時とおなじ旅装束、女もそれまでの寝間着のまま。
女が立ち止まって振り返る。
「どうした」と男。
「……なにか忘れものをしてきたようで
……
思い出せないよ」
以上、杉浦日向子『百日紅』其の十三「再会」のあらすじ。
こうありたいと思わせる死ではないか。
何か忘れてきたのである。でも、思い出せない。
忘れたくないような何かなのだけれど…
悔いや恨みではなくて、思い出せたら心地よいだろうような何か。
あるいは思い出とかではなくて、何かの物だったか。
そんな気もするのだが、やはり思い出せない。
思い出が消えて行くように、自分が消えて行く死出。
名は、おたか。
知りあいの北斎が見舞いに行くと、彼女は庭で行水を使っている。
「病人のくせに湯浴みなんざいけねえよ」
「せっかくいい人が来るのに、汚れたなりじゃ振られちまうよ」
幼なじみの男が会いに来くるのだという。
庭に面した障子を少しあけておいてくれるように、おたかは北斎にたのむ。
言われたとおりにして、北斎は去る。
夜。障子のすきまから差し込む月の光と虫の声。
やがて庭から男が上がってくる。
情を交わし終えると、男は「さあ、行こう」と強くおたかの手を取る。
「でもまだ仕度が……」
「仕度などいるものか」
ただ虫の音だけの野を行く二人。男は来た時とおなじ旅装束、女もそれまでの寝間着のまま。
女が立ち止まって振り返る。
「どうした」と男。
「……なにか忘れものをしてきたようで
……
思い出せないよ」
以上、杉浦日向子『百日紅』其の十三「再会」のあらすじ。
こうありたいと思わせる死ではないか。
何か忘れてきたのである。でも、思い出せない。
忘れたくないような何かなのだけれど…
悔いや恨みではなくて、思い出せたら心地よいだろうような何か。
あるいは思い出とかではなくて、何かの物だったか。
そんな気もするのだが、やはり思い出せない。
思い出が消えて行くように、自分が消えて行く死出。