to top page
2020-01-09
ワシントン将軍の黒人従者
ワシントン将軍の忠実な従者として広く知られた黒人ジョージは、1809年、ヴァージニア州リッチモンドで死んだ。
ワシントンの死から10年目であった。享年95歳。
当時の『ボストン・ガゼット』紙によると、ジョージは死の数分前まで知力も記憶も確かで、ワシントンの大統領2期目の就任式に居合わせたこと、また葬儀にも列席したこと、その他の著名な出来事についてはっきり覚えていた。

それからしばらくジョージに関する話題はとぎれるが、1825年に至り、今度はジョージア州メーコンで死去。
フィラデルフィアの某紙の伝えたところでは、95歳であった。死の数時間前まで彼は知的能力を十全に保ち、ワシントンの大統領第2期就任式、その死と埋葬、コーンウォリスの降伏、トレントンの戦い、ヴァリー・フォージの苦難などを明確に想起できた。

5年後の1830年7月4日の独立記念日、ジョージは当日の演壇に登って紹介され、1834年、1836年の記念日にも登壇したが、1840年にセントルイスの滞在先で死去した。
彼の死を伝えた地元紙によると、享年95歳、死の時まで知的能力は十全で、ワシントンに関する主要なできごとから演説の内容まで、すべて生々しく記憶していた。

その後10年あまり、ジョージはアメリカ各地の独立記念日式典に登場して、演壇で紹介されたが、1855年にカリフォルニアのダッチ・フラットで死んだ。地元の各紙は「老雄、また一人去る」などとして彼の死を報じ、95歳の最期まで記憶が衰えることはなかったと伝えた。

ジョージが最後に死んだのは1864年、デトロイトにおいて。
ミシガン州の各紙は、それまでの報道と同様、彼の記憶が95歳で死ぬまで衰えなかったこと、ワシントンに関する主要なできごとを鮮明に記憶していたことなどを伝えた。

「ワシントン将軍の黒人従者――伝記的素描」(1868年)はマーク・トウェインの短編。
ジョージの死がいつも95歳であるのは怪しい、と作者。たしかに怪しくはある。
また、ジョージの鮮明に記憶している最も古いできごとが、1620年、メイフラワー号のピルグリム上陸であることから、死去時の年齢は260歳から270歳と考えられる、とも指摘。
さらに付記して言うには、私トウェインはこの老いぼれペテン師が先日アーカンソーで死んだことを知った、と。ワシントンの黒人従者の遺体には飽きあきした。もうやめようではないか。――

ジョージなる人物はマーク・トウェインのまったくの創作なのか、それともモデルがあったのか。
モデルはあったろう。歴史をみずからの体験として語る者はいつの時代にもいる。

類似記事: 天使としての常陸坊海尊