2020.8.31 mon. #posttruth url
客観的事実といえる情報よりも感情に訴えかける情報の方が強く世論を動かしていくような情勢、世の流れを指す表現。英語では post-truth age(ポスト真実の時代)のように形容詞として用いられる。 ――ポストトゥルース(ポストしんじつ)とは何? Weblio辞書
真実が暴かれるや否や、嘘をついた側は糾弾され、釈明に追われるのが、これまでは普通だった。しかし昨今では嘘の証拠を突きつけられても、嘘をついた当人は全く動ずることなく、それによって支持者を失うこともない。 ――ポスト・トゥルースを突き抜ける新しい哲学の挑戦(浅沼 光樹) | 現代新書 | 講談社(1/5)
全ての人間はフィクションを生きている。人間はフィクションを通して現実に触れている。フィクションが認識を規定し、フィクションが人間を規定している。世界とはフィクションを通して触れられた現実の名であり、時代とは、変わり続ける世界≒フィクションの、ある特定の瞬間に与えられた名のことである。 ――樋口恭介『すべて名もなき未来』
「歴史」の現実は嘘になるが、作り話の非現実は真実になる。神話に嘘はありえない。 ――ジャン・コクトー「つくり話がすぐれていること」(鷲見洋一訳)
むかしこのころの事ども人に欺かれしを、我またいつわりとしらで人をあざむく。よしやよし、寓 ごとかたりつづけてふみとおしいただかする人もあればとて、物いひつづくれば、なほ春さめはふるふる。 ――上田秋成『春雨物語』序文
秋成を論じて野口武彦が言うには、
もし正史が偽史を抱えこんでいるのだったら、それに接するに疑史の態度をもってし、さらにそれに対置する戯史をもってしてもいっこうにかまわないではないか。どうせ歴史は落丁だらけである。だとしたら、歴史の意図的な乱丁をもってそれと拮抗してどこが悪いというのか。歴史の頁をいったんばらばらにしてまた綴じ直すのに、何の問題があるというのか。 ――野口武彦「歴史の落丁と物語の乱丁」(『秋成幻戯』所収)
フィクションの意義について考えること。
虚をもって実を撃つ言論の有効性を右翼は心得ている。