oi-quot

[2020.7.1 - 2020.7.31]

2020.7.31 fri.

2020.7.30 thu.

リンネルの価値をなしている労働の独自な性格を表現するだけでは、十分ではない。流動状態にある人間の労働力、すなわち人間労働は、価値を形成するが、しかし価値ではない。それは、凝固状態において、対象的形態において、価値になるのである。リンネル価値を人間労働の凝固として表現するためには、それを、リンネルそのものとは物的に違っていると同時にリンネルと他の商品とに共通な「対象性」として表現しなければならない。 ――大月書店版『資本論』第1巻第1分冊(以下では、『資本論』1.1と略)p.69

イタコの魂降ろしを思わせる。
降りてくるのは人間的真実であって、科学的真実ではないだろう。
とりあえず批判は無用。マルクスに添って読む。
――――
物象化論は後期マルクスにおける枢要な概念装置なのですが、「物象化(Versachlichung)」「事物化(Verdinglichung)」という言葉が頻々と用いられているのかといえば、そうでもありません。また、物象化ということが定義風に定式化されているわけでもありません。しかし、文典中における用語法に鑑みますと、人と人との社会的関係(この関係には事物的要因も媒介的・被媒介的に介在します)が、日常的意識においては “物と物との関係” ないし “物の具えている性質” ないしはまた “自律的な物象” の相で現象する事態、このような事態(それは社会的・文化的現象の殆ど全般に及びます)が物象化という言葉で表されていることまでは容易に認められます。 ――廣松渉『今こそマルクスを読み返す』p.81-82

マルクスの場合、物象化という概念と「神秘化(Mystifikation)」という概念や、「物神性(呪物性=Fetischismus)」という概念とが深い関係にあります。「物神的」とか「神秘化」とか訳しますと誤解を招き易いのですが、マルクスがフェティッシ(fetisch=物神的=呪物的)と言うのは、自然物がまるで “超自然的な性質・性能・能力を具えているかのように現れる” 事態、この意味で “神秘的” とみなせる事態、を表します。そして、事物が自然物でありながら、 “超自然的性質” をも同時に “具えて” いるように現われ、その意味において “自然的かつ超自然的な事物” の相にあることを「物神的性格(Fetischcharakter)=呪物的性格」とマルクスは呼んでおります。 ――前掲p.85

2020.7.29 wed.

マルクスがベンジャミン・フランクリンを引いて言うには、

一流の経済学者の一人であってウィリアム・ペティに次いで価値の性質を見ぬいた有名なフランクリンは、次のように言っている。「およそ商業はある労働と他の労働との交換にほかならないのだから、すべての物の価値は労働によって最も正しく評価されるのである」。フランクリンは、すべての物の価値を「労働で」評価することによって彼は交換される諸労働の相違を捨象し――したがってそれらの労働を同等な人間労働に還元しているのだということを意識してはいない。とはいえ、彼は自分の知っていないことを言っているのである。彼は、まず「ある労働」と言い、次に「他の労働」と言い、最後に、あらゆる物の価値の実体としての、そのほかになにも形容詞のない「労働」と言っているのである。 ――大月書店版『資本論』第1巻第1分冊

フランクリン、手強そう。

2020.7.28 tue.

ようやく『資本論』を読みはじめた。
エンゲルスの自然哲学(『反デューリング論』、『自然の弁証法』)も地雷だらけだったが、『資本論』は地盤からして怪しい。十分予期していたことだから驚いてはいないが、やはりファンタジーとして読むべきもの。

ジャック・モノーは19世紀から20世紀にかけての社会主義運動を「大いなる夢」と言った。ただし、「痛ましい」という形容詞つきで。

十九世紀のこの大いなる夢は、若い人たちの魂のうちにいまもあいかわらず痛ましいほど強烈に生きている。痛ましいというのは、この理想がこうむってきた数かずの裏切りのゆえにであり、またこの理想の名において犯されてきた数かずの犯罪のゆえにである。この魂の奥底から発した念願が、物活説的イデオロギーの形においてしかその哲学的理論を見いだすことができないままできたというのは、悲劇的なことではあるが、おそらく不可避的なことだったのであろう。 ――渡辺格、村上光彦訳『偶然と必然』

モノーの『偶然と必然(Le Hasard et la Nécessité)』は1970年刊。
ここでいう「哲学的理論」とはマルクス主義を指す。「悲劇的だが不可避的」とは、マルクス、エンゲルスのアニミズム的思考(物活説的イデオロギー)が彼らに限られたものではなく、ホモ・サピエンスの出現以前にさかのぼる人類の思考方法であるとモノーが見ているため。
せっかく読みはじめたのだから、『資本論』第1部第1篇は読み切ること。

2020.7.27 mon.

偽のバス停。
ほしぞら薬局在宅医療部 on Twitter

2020.7.26 sun.

「ある人の文章は、その人が誤解された回数に比例して分かりにくくなる」という法則 ――縮限 on Twitter

誤解の理不尽なところは、本来なら誤解した側が解くべき誤解を、誤解された側が解かなければならないこと。
誤解されただけで迷惑なのに、その誤解を解く面倒まで降りかかる。

2020.7.25 sat.

8年前のブログに以下のことを書いた。

僕は長いあいだマーク・トウェインが読めなかった。
原文で読めないのではない。そんな英語力はない。日本語で読めなかった。
『バック・ファンショーの葬式』という短編集を持っている。
いつも冒頭の「その名も高きキャラヴェーラス郡の跳び蛙」でつまずく。
短篇集を最初の作品から読まなければならない義務はないが、僕は「その名も…」を読みたかった。
「その名も…」はずっと宿題だったので、何度も読みかけた。二、三度は読み終えもした。
でも理解できなかった。
一昨日、寝る前に読みはじめて、突然読めてしまった。
ようやく筋がわかった。そういう話だったのか。
言及を予告されながら言及されることのないW・スマイリーと予定されていないのにヒーローとして語られるジム・スマイリーの二人のスマイリーがいることもわかった。ようやく「その名も高きキャラヴェーラス郡の跳び蛙」が読めた。
- 突然マーク・トウェインが読めてしまった - Magazine Oi!

この話には前史がある。
高校時代のことだが、英語の本が読めるようになりたいと思って、多少の語釈(日本語)の入った The Celebrated Jumping Frog of Calaveras County を買った。あるいは Celeblated ではなく Notorious だったかもしれないが、いずれにしろ Jumping Frog は全く皆目理解できず、そうした前史があってから年月を経て邦訳を手に入れたものの、あわれ「日本語でも読めませんでした」という話につながる。
――――
数日前の朝日に「夜の街」について小説家の岩井志麻子さんの言葉が載っていた。岩井さんは歌舞伎町に住んでいるそうだが、ある時犬が散歩中に逃げてしまったら、出勤途中のホストやキャバクラ、風俗の子らが次々に追跡に加わり、大騒ぎの末犬は戻り、みんな「よかったね」とすぐ去っていったという。 ――友田健太郎/Tomoda Kentaro on Twitter

その時岩井さんが感じたのは「『他人に過大な期待をしてはいけない』ことを過去の人生で学んだ人たちからにじみ出る、一種のやさしさの形」だった。 ――友田健太郎/Tomoda Kentaro on Twitter
――――
的場昭弘の言うように(7月23日の項参照)、マルクスの経済理論がリンネルと上着の交換で始まることについて、それらは偶然の(他のものと置き換え可能な)小道具ではなくて、それなりのストーリーを構成するために選ばれた小道具であるとするなら、マーク・トウェインの短編「経済学」において、経済学徒らしい語り手の家にやってくる巡回セールスマンの売りつけるものが避雷針であって、なぜ他の商品ではなかったかも考察に値する。
経済学徒をたぶらかしにやってくるのが、避雷針のセールスマンである必要性あるいは合理性。
――――
🅰ntiquity Journal is publishing from home on Twitter

2020.7.24 fri.

Sunken Films: Watch a Cinematic Meditation on Films Found on the Ocean's Floor | Open Culture

2020.7.23 thu.

マルクスが「ユダヤ人問題によせて」で見せたユダヤに対する嫌悪と、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で繰り返したルンペンプロレタリアートに対する罵倒には、共通の情動が働いている。
どちらもマルクスの身上にかかわる。
一方はマルクスの出自。彼自身がユダヤ人である。
もう一方はマルクスの生計。工場経営者すなわち資本家であるエンゲルスの経済的支援で食いつないでいるマルクス自身が、ほかでもないルンペンプロレタリアである。
――――
二〜三年おきに戦争をやって、公共投資をして、スエズ運河建設やメキシコ遠征などまで行った。とにかくうまく経済がまわって、バブルをつくっては繁栄させる。だから、彼が教えてくれたのはこういうことです。国民は政治なんかに関心をもっていない。経済成長さえすれば、国民はイエスと言ってなんでも従うと。ロベスピエールのように真面目に政治に関心を向けるのではなく、経済成長だけで政治を蔑ろにする。だから政治は形式的に民主政でありながら、君主政そのものであったし、利己心を充足させることはやったが、人々の公的精神は疲弊していった。 ――的場昭弘・佐藤優『復権するマルクス』

対談本での的場昭弘の発言。彼とはルイ・ナポレオン。
――――
マルクスのリンネル上着は「偶然の小道具ではなくて、それなりのストーリーのある小道具ではなかったか」(的場)。
「金に収斂していくまで、なにゆえ一般等価物に留まりえないのか。あきらかにそこで飛躍がありますから、なぜ飛躍しているのかということを説明しないといけない」(佐藤)

2020.7.22 wed.

彗星の起源
太陽系以外からと信ずべき理由はない
彗星の母群は太陽から数万天文単位の距離にあり、長径15万天文単位ほどの楕円軌道を描く
この距離は最近の恒星までの距離の約半分にあたり、太陽の勢力範囲の限界
この母群から太陽に近づいた彗星が惑星の近くに来ると、
その引力を受けて加速→双曲線軌道
その引力を受けて減速→短周期の楕円軌道
母群中の彗星の数は1000億個…… ――oi-quot 2020.5.20

比較的純度の高い唯物論者か、百人か千人に一人くらいの。
――――
人類の虚栄心が、進化の最終目的が我々の種であるという馬鹿げた考えを抱かせる。 ――リチャード・ドーキンスbot on Twitter

こんな唯物論者がなぜ『利己的な遺伝子』などというカルトを呼び込みそうな、いや、じっさい呼び込んでいるのだが、そんな書名を採用したか。
――――
五島勉さん訃報。小学校から帰ると母が「ケンちゃん1999年にみんな死ぬのよ!」と言ったのを今もまざまざ思い出せます。当時はツッコミ文化みたいなものがまだ無く、書物に書いている事は全て事実、みたいな読書信仰があった。 ――大槻ケンヂ・オーケン on Twitter

TL に唯物を言いたくなるツイート続く。本日、唯物記念日か。

大衆運動を実施するさい、虚構は他のどんな要素よりも永続的な役割を演ずると思われる。 ――エリック・ホッファの大衆運動 on Twitter

2020.7.21 tue.

現在のジャッキー・チェンは悲劇の人物なのか、喜劇の人物か。
ジャッキー・チェンが国家安全法を支持 香港・台湾・日本が呆れる中国べったり言行録 | デイリー新潮

偉大な歴史的事件や人物は二度現れる、一度目は悲劇として二度目は喜劇として――とマルクス。
この一度目をブルース・リーに、二度目をジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーに適用できるか。

「一度目は悲劇として二度目は喜劇として」は『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年)にある表現。この書では「喜劇」という言葉は否定的な意味で使われていて、ジャッキーらの陽気なカンフー映画や当時の香港喜劇にそぐわない。
『ブリュメール』より先に書かれた「ヘーゲル法哲学批判序説」(1844年)では、「喜劇」は肯定的に使われている。ジャッキー・チェンらには「批判序説」のほうが適用しやすい。

一つの世界史的形態の最後の段階は、それの喜劇である。ギリシアの神々は、アイスキュロスの「縛られたプロメテ」のなかですでに一度傷つき悲劇的に死んだのであったが、ルキアノスの「対話篇」のなかでもう一度喜劇的に死なねばならなかった。なぜ歴史はこのように進行するのか? それは人類が明るく朗らかにその過去と袂別するためである。 ――塚本登訳「ヘーゲル法哲学批判序説」
――――
彗星の本体
N2O、NH3、CH4 などの氷が大部分
ざくざくした穴だらけの氷で、その間に金属の小粒が埋もれているものと考えられる
粒子の平均密度は 0.05g/cm3 で、相互に広い間隔をおいて存在し、彗星の核の95%は空所
粒子の大きさは 70km 以下、おそらく 1km 〜 数km 程度のものが多い
直径 1m 程度の粒子では太陽に近づくと蒸発してしまう
彗星は1回帰来するごとに質量の 1/200 を失う ――oi-quot 2020.5.20
――――
この頃一時期だけニシンの来遊があった。資源を回復させるチャンスだった可能性があるが、「目の前にある魚を見過ごせないで、また獲り尽くしてしまった。失敗に学ぶ姿勢が日本の漁師にはない」。 ――ニシン枯渇から学ばぬ日本の漁業 (2ページ目):日経ビジネス電子版

2020.7.20 mon.

社会があくどい商売を捨て去るや、ユダヤ人は存在しえない。そんなものは消えてなくなる。――
そこまで言っている。マルクスは悪意を隠そうとしていない。
ユダヤと手を切って、自身を解放すること。
ユダヤ人の解放を主題として始まる論文「ユダヤ人問題によせて」は、そんな副次的な問題はほうっておけとして終わる。マルクスがやろうとしたのは、ユダヤ人の解放ではなく、ユダヤからの自身の解放。
7月18日の記事参照。

2020.7.19 sun.

2020.7.18 sat.

ユダヤ人の幻想的な国籍は、商人の、一般に金銭的人間の国籍である。 ――マルクス「ユダヤ人問題によせて」(白塚登訳『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』)

ユダヤ教の現世的基礎は何か? 実際的な欲求、私利である。
ユダヤ人の世俗的な祭祀は何か? あくどい商売である。彼の世俗的な神は何か? 貨幣である。 ――同前

われわれはユダヤ教のなかに、普遍的な現代的反社会的要素を認める。この要素は、ユダヤ人がこの下劣な関係のなかで熱心に力をかしている歴史的発展を通じて、現在の高さにまでたかめられたものであり、この高さのところで、この要素は必然的に解消せざるをえないのである。 ――同前

貨幣はイスラエルの妬み深い神であって、その前にはどんな他の神も存在することが許されない。貨幣は人間のあらゆる神々をおとしめ、それらを商品に変える。貨幣はあらゆる事物の普遍的な、それ自身のために構成された価値である。だからそれは全世界から、つまり人間界からも自然からも、それらに固有の価値を奪ってしまった。貨幣は、人間の労働と人間の現存在とが人間から疎外されたものであり、この疎遠な存在が人間を支配し、人間はそれを礼拝するのである。 ――同前

社会がユダヤ教の経験的な本質であるあくどい商売とその諸前提を廃棄することに成功するやいなや、ユダヤ人というものはありえないことになる。というのは、もはやユダヤ人の意識は何らの対象ももたなくなるからであり、ユダヤ教の主観的基礎である実際的欲求が人間化されてしまうからであり、人間の個人的・感性的あり方とその類的あり方との衝突が揚棄されてしまうからである。 ――同前

ユダヤ人の社会的解放は、ユダヤ教からの世界の解放である。 ――同前
――――
マルクス「ユダヤ人問題によせて」から抜書を作り、ストーリーが通るよう並べ替えたところにこのRT。
一昨日、昨日につづき、関心事に向けて情報が飛び込んでくる。

重信メイ (May Shigenobu) on Twitter

2020.7.17 fri.

探し物が向うからやってくる話。
今朝はこれが来た。

好きなアルゼンチンのバンドの歌、たぶんゾンビクライシスを描いていて、「僕はいまライフルをもって家の屋根の上にいる」を連呼するのがサビで最後には「さあ、次の動き(movimiento=move)をやるぞ」つって終わるんだけど、なんか良いんだよなあ
歌い出しにある「でっかい月(luna gigante)の下」ってのもいい ひとことで舞台が月夜になってて素敵(……)
アルゼンチンバンド良くて、「山からやつらが降りてくる、春の祝祭で痛めた背中で(con su espalda rota en los festejos de primavera)」って歌詞を連呼し続ける歌なんかもある これも大概意味わからんくて素敵 ――ヘンな歌詞の歌

ただしくは、探してたからやって来たのではなく、やって来たのを見て、そうだ、これをわたしは探してたのだということになるのであって、そうか、わたしは自由について考えようとしてたのだ。あるいは、自由であるためのあり方を考えようと。
因果(因と果)はときどき、あるいはしばしば、頭の中で入れ替わる。

「自分自身の思考を行為の原因であると解釈したときに、人は意識を伴った意志を経験する」(2020.6.28記事

2020.7.16 thu.

関心事があると、情報は勝手に集まってくる。
今朝はこれがやってきた。
- 「ラディカルであるとは、ものごとを根本からつかむことである」(マルクス)について - 紙屋研究所

自分にとって必読のマルクス著作があるとしたら、「ユダヤ人問題によせて」、「ヘーゲル法哲学批判序説」、『経済学哲学草稿』がそれではないか、加えて読み物としては『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』、などと考えながら合冊の『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』を見ながら眠り込んだところ、今朝になって「法哲学批判序説」を字句レベルで検討する記事に遭遇という流れ。

「ユダヤ人問題によせて」のユダヤ人と商人に対する憎悪はただごとではない。
『ブリュメール18日』におけるルンペンプロレタリアへの怒りも激しいが、眼の前のルンペンを罵ったというアクシデンタルな面もある。それに比べると、「ユダヤ人問題」の怒りはずっとラジカルなものではないか。
せっかくのめぐり合わせである。『ユダヤ人――』、『経済学哲学草稿』、ていねいに読んでみるか。

2020.7.15 wed.

ユダヤ人をめぐる彼の姿勢は、もはや通常の罵倒の次元を超えている。そこにはみずからの宿命を振り払おうとして、ステレオタイプに訴えてやまない世俗化したユダヤ人の屈折した認識を、わたしは読み取らざるをえない。端的にいって、彼はユダヤの血を享けたセリーヌである。 ――四方田犬彦『マルクスの三つの顔』

マルクスにとって面倒なのは、後に『資本論』によって完成されることになる貨幣の分析が、実はこの論文をもって開始されているところにある。 ――同前

貨幣はイスラエルの妬み深い神であって、その前にはどんな他の神も存在することが許されない。貨幣は人間のあらゆる神々をおとしめ、それらを商品に変える。貨幣はあらゆる事物の普遍的な、それ自身のために構成された価値である。だからそれは全世界から、つまり人間界からも自然からも、それらに固有の価値を奪ってしまった。貨幣は、人間の労働と人間の現存在とが人間から疎外されたものであり、この疎遠な存在が人間を支配し、人間はそれを礼拝するのである。 ――マルクス「ユダヤ人問題によせて」(白塚登訳『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』)

ユダヤ人の幻想的な国籍は、商人の、一般に金銭的人間の国籍である。 ――同前

2020.7.14 tue.

問題は、フランスとイギリスでは行きつくところまで行った独占を揚棄することにあるのに、ドイツでは独占が行きつくところまで行きつくことにある。あちらでは解決が問題であり、こちらではやっと衝突が問題になっている。これは、近代的諸問題のドイツ的形態を示すに十分な一例であり、われわれの歴史が、まるで未熟な新兵のように、古ぼけた歴史の再教練をさせられる任務だけを受持ってきたことの一例である。 ――マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」

未熟な新兵のようという自己把握。
すでに加速志向。
速度ではなく加速度。加速しないと追いつけない。
――――
鶴屋南北(1755-1829)
カール・マルクス(1818-1883)
南北とマルクスを対比できる。

南北の生きた劇界も彼が描いた劇中も、マルクスが嫌悪・罵倒したルンペンプロレタリアの世界
将来の革命というマルクス思想の消失点に対し、南北の消失点は古代東国の将門の乱。
活動時期でいえばマルクスと重なるのは河竹黙阿弥(1816-1893)で、泥棒作家と呼ばれた黙阿弥の劇もルンペンの活躍する世界だが、歴史性においてマルクスと南北を対比させたい。

2020.7.13 mon.

「大脳(人の意思)はよく間違える。こんなによく間違える大脳に大事な機能は任せられないので、生きていく上で大事な機能は自動化されている。それを司るのが自律神経」 ――たられば on Twitter
――――
鉄道駅での別れを歌った歌が今も台湾では歌われている。
- 黃乙玲 最後火車站 - YouTube
「於2000年3月發行」とある。

こちらは松山恵子「哀愁の駅」(1964年)のカバー。
- 蘇宥蓉 /哀愁的火車站/[最美的歌] - YouTube
――――
一国民の革命と市民社会の一特殊階級の解放とが一致し、一つの立場が社会全体の立場として通用するためには、逆に社会の一切の欠陥が或る他の階級のなかに集中していなければならず、また或る特定の立場が一般的障害の立場、一般的障壁〔拘束〕の化身でなければならず、またさらに、或る特殊な社会的領域が、社会全体の周知の罪とみなされ、そのためこの領域からの解放が全般的な自己解放と思われるようになっていなければならない。或る一つの立場が優れた意味で〔par excellence〕開放する立場であるためには、逆に他の一つの立場が公然たる抑圧の立場でなければならない。 ――マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」(白塚登訳『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』)

どこにドイツ解放の積極的な可能性はあるのか?
答え。それはラディカルな鎖につながれた一階級の形成のうちにある。 ――同前

階級を形成せよ、と。
通俗解説書が言うのではなく、マルクスがはじめから言っている。
一方で、必ず当たるものとして予言を述べながら、他方で、予言を成就させる努力を信者に求める。
宗教と同じ論法。

責めてばかりだが、どうすべきか。

2020.7.12 sun.

伊藤計劃は「人間はアルゴリズム/計算機械である」という前提を全く覆すことなく書いていたと思っていて、それが現代に生きているわれわれの姿を逆照射的に影として形成するんだけど、だから好きになれない。 ――水原由紀/Yuki Mizuhara on Twitter

最初から「人間はアルゴリズム/計算機械だが、それでもなお何らかの"剰余"があると信じている」と書いておいてほしかったし、でないとあんな小説は書けんし、書かないと思う。 ――水原由紀/Yuki Mizuhara on Twitter

「人間はアルゴリズム/状態機械であるし、そういった観点からすると決定論は正しいし完全な自由意志はありえない。でもそんなの関係ねぇ(小島よしお)」の精神。 ――水原由紀/Yuki Mizuhara on Twitter
――――
七尾旅人 on Twitter
――――
リオタールは、労働者が彼らのコミュニティや身体から疎外されることで苦しんでいるといったヒューマニズム的な立場を採らない。むしろ反対に、工場労働における有機的身体の気違いじみた破壊、その狂乱的な解体の只中で彼らは疎外を「享受(jouissance)」しているのだという。ここから、左翼的マルクス主義とは反対にむしろ疎外と死の欲動の徹底化こそがある種の「解放」に繋がる(「悪くなればなるほど、良くなる」)とする加速主義におけるニヒリスティックな宿命論とも呼ぶべき側面に繋がっていく。もっとも、リオタール自身は後年になって『リビドー経済』を「邪悪な書(evil book)」と呼んで自己批判(?)しているのだが。 ――木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う〈ダーク〉な思想』

理論の自己目的化。
革命の正当性を支えるはずだった歴史理論が脇から主へ立場を変えて、理論に背かぬあり方を労働者や社会に求める。
理論は正しいのだから社会はそれに従わなければならない、と。
この逆転はマルクス=エンゲルスに遡ることができる。

加速主義の文脈でしばしば引用されるカール・マルクスの1848年の演説「自由貿易問題についての演説」についても触れておこう。マルクスはこの演説の中で、保護貿易制度を批判し、かわりに社会革命を促進させる自由貿易の破壊的な力を寿いでいる。ここにはすでに後のドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』を通じてニック・ランドに至る道筋が予言的に示されているかのようだ。加速主義はすでにマルクスの時点で胚胎していた。 ――『ニック・ランドと新反動主義』
――――
植松もそうかも、という話があるようで…。
極論も極論ではありますが、彼もあの事件を起こすことで、予算の無駄を省こうとしていたのではないか? そして、そういう無駄を省くと称する行為を実践することを以て彼自身が役に立つ人間をめざしたのでは、と解釈できるかも…。 ――川津駄言 on Twitter

これも加速主義のうち。

2020.7.11 sat.

Renaissance Knives Had Music Engraved on the Blades; Now Hear the Songs Performed by Modern Singers | Open Culture
――――
盗めるアート展、企画を盗まれてしまう。 - Togetter
「盗めるアート展」開始時刻前に一瞬で全作品が盗まれる【UPDATE】 | ハフポスト
泥棒になって「盗めるアート展」に行った話 | ふ凡のすすめ
公式サイト: S_A_E - same
――――
中村 先ほど話題の出た山本太郎を、あたしは『光の雨』という映画で観たんですよ。連合赤軍をテーマにした作品ね。彼は森恒夫(連合赤軍中央委員会委員長)をモデルとした役をやったんですけど、けっこうよかったんです。
佐藤 彼は役になりきりますよね。
中村 アジテーションとかもね。
佐藤 きっと憑依されやすい人なんでしょうね。
中村 いまも反原発に憑依されていますからね。
佐藤 反TTP(環太平洋パートナーシップ協定)にも憑依されていますよ。
中村 あたし、山本太郎は嫌いじゃないんですけど、政治家としてどうなのかなってね。政治家はある種の才能が必要でしょう?
佐藤 良くも悪くも、ほとんどの政治家に備わっている能力は、権力に対する執着ですよ。山本太郎が怖いのは、美学で動いているからなんですよ。 ――中村うさぎ・佐藤優『死を語る』

2020.7.10 fri.

宗教あるいはイデオロギーの内的真実を救い出し、その真実とその二次的な政治的利用とを分離するというゲームは、単純に間違っている。それは非哲学的である。ここではイスラム教、キリスト教に対して、…あるいは実のところマルクス主義に対しても、情けをかけてはいけない。(『暴力』p144) ――哲学・精神分析とジジェク on Twitter

経典のどんな理解にも経典の真実が含まれていること。
マルクスの歴史理論からリバタリアニズムが引き出せること。
――――
現在ティールは来る西洋の崩壊からの「イグジット」としてニュージーランドに目をつけており、すでにニュージーランド国籍も取得している。この美しく、かつ資本家にとって魅力的な税制を敷いている地に着目しているのはティールだけではない。彼を同じく「終末」の予感を感じ取った長者たちが、この地に広大な土地を買い、そこに巨大な地下シェルターを建造して差し迫るアポカリプスに備えているという。 ――『ニック・ランドと新反動主義』

ティールは、ペイパルの共同創業者のピーター・ティール。

2020.7.9 thu.

この仕事の方法は文学的モンタージュである。
自分から語ることはせず、見せるだけ。
ただし、屑、ゴミの目録を作るのではなく、それらに正当な位置を与えたい。
と、ベンヤミンは『パサージュ論』の方法を『パサージュ論』の中で述べている。
さらに付け加えて言うには、
この仕事では、引用符無しで引用する術を最高度に発展させねばならない。

マルクスが、「ルンペンプロレタリアート」という語を用い始めたとき、これには二つの意味が込められていた。まず、これが指す集団は、革命の前進に役立たないどころか、これを妨害するがゆえにルンペンである。また、これは、ブルジョワジーとプロレタリアート間の階級闘争の理論の中に取り込むには不都合な異物としてのルンペンでもある。他方ベンヤミンの方法とは、「屑、ごみの目録を作るのではなく、ただ唯一の可能なやり方でそれらに正当な位置を与え」ること、つまり「それらを用いること」である。マルクスによれば、「ルイ=ナポレオンが「無条件に頼ることができる唯一の階級だと認める」、あらゆる階級の「くず、ごみ、かす」(『ブリュメール一八日』第五章)であるボエーム=ルンペンプロレタリアートこそ、ベンヤミンの真の素材なのである。 ――横張誠『芸術と策謀のパリ』
――――
マルクス主義者やマルクス研究者には今もってマルクスの思想とスターリン主義を別のものとする観点がある。しかしバクーニンが喝破したようにマルクスの思想にはスターリン主義の可能性があり、これを問題としないかぎり、マルクス思想の肯定者はスターリン主義の無自覚な手先となってしまっている。 ――千坂恭二 on Twitter

2020.7.8 wed.

steward on Twitter
――――
学生さんにも言いたい。大それたことなんかしなくていい。ウソの友人なんか何人いてもムダだ。10年後も働いていない人とだけ付き合いなさい。 ――非人 on Twitter

2020.7.7 tue.

2020.7.6 mon.

閃く(es blitztエス・ブリツツト)と言うのと同様、思う(es denktエス・デンクト)と言うべきであろう。コギトということは、われ思う(Ich denkeイッヒ・デンケ)と訳すや過大となる。われを仮定し要請するのは実用上の必要にすぎないのである。 ――ゲオルク・リヒテンベルク(マッハ『感覚の分析』より)

「われ」が「思う」のではなく、「われ」とは別の何者かが「思う」のである。
es denkt をそのまま英語に置き換えれば it thinks。
「雨が降る」が it rains であるように、「思う」の場合も I think より it thinks が実相というのが上の主張。

2020.7.5 sun.

「病忘」と書いて、「忘を病む」。意味は健忘症にかかること。

2020.7.4 sat.

加速主義の形成にニーチェやドゥルーズ&ガタリは可欠。
加速主義は共産党宣言(マルクス&エンゲルス)から直接引き出せる。
共産党宣言がすでに加速的であること。

可欠/不可欠

2020.7.3 fri.

資本主義に対する唯一のラディカルな応答は、批判でも抵抗でもなく、反対に資本主義のプロセスを限界まで推し進めることである、という態度に要約される加速主義は、マルクスを端緒とし、70年代のドゥルーズ&ガタリ、そして90年代のニック・ランドにおいてひとつの頂点に達する。 ――木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う〈ダーク〉な思想』

著者によれば、加速主義(accelerationism)という用語の初出は、ベンジャミン・ノイズという批評家の2008年のブログ記事。2010年のノイズの著に、「必要となるのは資本主義それ自体をラディカライズさせることである。すなわち、悪くなればなるほど、良くなる(the worth, the better)」。
この思想が形を整える過程で、19世紀のニーチェ、20世紀70年代のドゥルーズ&ガタリ、ジャン・フランソワ・リオタール、ジャン・ボードリヤールらの主著が参照されたという。日本でいえばニューアカ世代の聖典的書。ニューアカより過激にはしゃいだ結果が加速主義ということか。

21世紀初頭において、最も重要なアートジャンルはおそらくSFだろう。機械学習や遺伝子工学分野の最新記事を読む人はほとんどいないが、代わりにMatrixやHerなどの映画やWestworldやBlack MirrorなどのTVシリーズが、人々が現代の最も重要な技術的、社会的、経済的発展を理解する方法を形成している ――ユヴァル・ノア・ハラリbot on Twitter

2020.7.2 thu.

ヒカシュー - 人間の顔 (FULL ALBUM) - YouTube

平面美術だからアイテムを2次元に配置。
テキストなら時間方向に1次元。オーディオなら複線化。
――――
中国は、香港への観光客を受け入れるかどうかさえ、非常に疑問に思っています。中国は未だに外国人立ち入り禁止区域を、本土でもたくさん指定してるので。香港が金融センターとしての役目が終わったら、外資は全部流出するし、そうなったら観光名所が無い観光地として、急激に寂れるでしょう。 ――starguardKb24 on Twitter

そして香港は観光客やビジネスマンにとっては、なにもかわらない街として今後も存続していくはず。
今後の香港が不安だという人は、他のアジア諸国、とりわけ自由だと思われている東南アジア諸国がどのような政治体制なのか知らないだけ。
むしろ商売人はこの一年のような不安なく仕事ができるだろう ――清義明 on Twitter

中国政府は香港をどう見てるのか。
A. 香港の経済的価値を棄てても、思想・言論の自由は許さず。
B. 同じく思想・言論の自由は許さず。ただし経済や観光への影響は小さいと見る。

2020.7.1 wed.

拙劣な書き手は多くのことを思いつき、その思いつきの中でやりたい放題に振る舞う。
巧みな書き手は、自分の考えた以上のことは言わない。 ――ベンヤミン
――――
Hong Kong Police Force on Twitter

6月30日、「香港国家安全維持法」成立。7月1日、施行、即逮捕者。