oi-quot no.9

[2020.11.1 - 2021.1.31]

2021.1.31 sun. link

アヴェナリウス(1843-96)の思想。

物理的事象と心理的事象、主観と客観、意識と存在といった二元論的仮定や、実体・因果関係といった形而上学的カテゴリーは、思考や感情や意志による投入作用によってわれわれの経験のうちにもちこまれた夾雑物にすぎないのであるから、そうしたものを完全に排去アウスシヤルテンして、そうした夾雑物の入りこむ前の〈純粋経験〉を回復する必要がある。この純粋経験に基づいて〈自然的世界概念〉を〈最小力量の原理(Prinzip des kleinsten Kraftmaßes)〉に従って記述することが哲学の任務だとアヴェナリウスは主張するのである。 ――木田元『マッハとニーチェ』

2021.1.30 sat. link

ニーチェ流の不遜な「超人」の理想 ――マッハ『感覚の分析』p.20

2021.1.27 wed. link

最悪のやつが来たな……なぜ刑法に外国国章損壊罪が規定され、日本のそれがないのかを理解できないらしい。「外国国章損壊罪」は、その行為が国際紛争の火種となりうるから規定されているのだ。対して日章旗を毀損した場合にそれがあるか。ないだろう。これはファシズムだ。 ――ワイド師匠 on Twitter

日本の法律においても外国の国旗を損壊した場合にはこれを罪に問う法律があります。当然だと思います。ですが、この法律は自国国旗には適用はされません。これも当然です。日本の領土内において、外国国旗の損壊は外交問題になりますが、自国国旗の損壊は国内問題であり、国内問題の解決においては言論の自由や思想信条の自由は優先されるべきだからです。 ――あのアメリカですら自国国旗の焼却が禁じられていない理由 | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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パノラマ(panorama)または回転画(かいてんが)とは、絵画のジャンルの一つである。円環状の壁面全体に精巧な風景画を描いて中央の観覧者を取り囲むようにし、目の前に遠大な情景が広がっているように見せるものである。パノラマと客席の間に模型や人形を置いたものもある。 ――パノラマ (回転画) - Wikipedia

2021.1.24 sun. link

「幾度やってもこんなものさ」――徳市
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【小説『ジャックと豆の木』36】「偶然ここに迷い込んだだけです」と言っても取り合ってもらえない。
 ジャックは牢屋に入れられた。
 そして若い守衛に数発殴られた。
 年老いた守衛が言う。
「そんなに殴るな。肉が傷んでしまう」 ――適菜収bot on Twitter

2021.1.20 wed. link

母さん、僕のあの合羽、どうしたでせうね?
ええ、夏梅田から淀屋橋へ行くみちで、
役所に渡したあの雨合羽ですよ。
母さん、あれは好きな合羽でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
母さん、あのとき、向うから若い薬売が来ましたっけね。
紫のイソジンでうがいを勧めた。
――kinokuniyanet on Twitter

TLで西條八十の改作が流れてくる。
八十直接というより小説「人間の証明」、それも飛ばして映画「人間の証明」経由だが。

どんな物語をつくるか。歌うか。事実より物語。

2021.1.17 sun. link

再掲。

事実はみずからを語る、という言い慣わしがあります。もちろん、それは嘘です。事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかと決めるのは歴史家なのです。(…)シーザーがルビコンという小さな河を渡ったのが歴史上の事実であるというのは、歴史家が勝手に決定したことであって、これに反して、その以前にも以後にも何百万という人間がルビコンを渡ったのは一向に誰の関心も惹かないのです。(…)歴史家は必然的に選択的なものであります。歴史家の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実という堅い芯を信じるのは、前後顛倒の誤謬であります。しかし、この誤謬はなかなか除き去ることが出来ないものなのです。 ――E. H. カー『歴史とは何か』(清水幾太郎訳)

力強く言うこと。それは嘘です。


ルビコン川 - Wikipedia

思いついて調べてみたら、頭の中にだけあったルビコン川が実在。
奇妙な気がしないでもない。
川幅は狭いところで1m、広いところでも5m程度。


ルビコン川 - Wikipedia

カエサルがルビコンを渡ったのが歴史上の事実であるとは、歴史家が勝手に決めたことという。
それ以前も以後も無数の人間が渡っていたのに。
つまりは、恣意。
事実もフィクションのうち。あるいは、事実というフィクション。

2021.1.9 sat. link

だが「ポスト真実」という状況は、マスメディアが緩やかに死につつあるということをも、意味しているのである。1990年代にぼくが空想していたように、マスメディアはネットによって革命的に「取って代わられる」のではなくて、最初はネットを偽装しながら、少しずつその機能を喪失し、自分が何者であったのかを忘れてゆき、延命措置を施された病室の中で人がゆっくりと死んでゆくように、緩慢な死を迎えつつあるのだ。 ――マスメディアの緩やかな死 - tanukinohirune

ポスト真実という状況。
というのだが、人間の認識のあり方はもともとポスト真実的だったのではないか。
むしろ真実以前。そこを出発点とする認識論。

2021.1.4 mon. link

wwwwイタリアのコロナ陰謀論信者がシェアしまくっている「ビルゲイツがワクチンで世界の人々に埋め込もうとしてるマインドコントロールチップの回路図」が、実はBOSSのMT-2の設計でした!早く僕に入れて下さい!💉🎛🔊🔥🔥🔥 pic.twitter.com/a1itsw6P2K

— Hitodama_Drone (@_Hitodama_) January 3, 2021

物語の効用。

2020.12.30 wed. link

今年読んだ論文の中で最も衝撃だったのが
「皮膚のニューロンが信号伝達だけでなく大脳皮質同様の計算処理を行っている」
というこの論文
https://nature.com/articles/nn.3804/

信号伝達しかしないと思われていた指先の末梢ニューロンが, 実は接触したものの幾何学的情報を処理していたことが明らかになったらしい ――Tsumoto on Twitter

2020.12.28 mon. link

「天使の練習帳」を手入れ。事実の勘違いなどを修正、全体に文章を整える。

2020.12.26 sat. link

干兵衛さん、わしゃこのごろ妙に思うんじゃが、明治十年以来のこの世の空気は、それ以前の文明開化のころより古めかしいような気がしてならん。あんた、どう思う?」
「へへえ、左様でござるかな。そいつは気がつかなかった。先生、それはどういうことです」
「それでいろいろ考えて見たのじゃがな、どうもそれは、維新前後と反対に、新しいものが古いものに踏みつぶされてゆく時代だからじゃなかろうか」
そして晩香先生は笑った。
「わたしたちは――干兵衛さん、お前さんもじゃぞ――とっくの昔に踏みつぶされた前々代のかけらじゃぞ。は、は、は」 ――山田風太郎『幻燈辻馬車』

2020.12.20 sun. link

ずいぶん昔のことだが、自分がテキサスの荒野で身動きが取れなくなっていたとき、友人がパンタポンを郵送してくれていた。連絡には電報を使い、暗号を用いた。
「パンツ至急送られたし」
「売人にパニック。パンツ手に入らず」
戦争中の人口200人の町でのことだから、周りがFBIだらけになってもおかしくなかったが、駅構内のオフィスにいた電報係は優しい不幸な顔をした男で、何も言わないし、何も聞かない。パンツが何を意味するかなど気にもとめなかった。彼はジョンソン・ファミリーのメンバーだったにちがいない。――
とW・S・バロウズはエッセイ集『バロウズという名の男』で振り返っている。

バロウズはジョンソン・ファミリーの存在を信じていたらしい。
ファミリーのメンバーであるか否かをあらかじめ知ることはできないが、会えばすぐにわかったという。たとえば、犯人護送車のなかでハシシュをすすめてくれた警官。あるいは、警察の手がのびているから早く出ていくようにとこっそり教えてくれたホテルの係。彼らはメンバーである。
時には姿を見なくてもメンバーであることがわかる。バロウズの友人がフランスにいる誰かにハシシュを送ってくれるよう頼んだことがあった。包装がいいかげんだったため途中で封筒が破れてしまったが、何者かがテープで閉じなおして送ってくれた。その何者かもメンバーだったはずだ。
まとめて言えば、バロウズと彼の友人たちに親切な男たち、それがジョンソン。

ジョンソンの別の条件。
タンジール(モロッコ)のカフェでバロウズが友人たちと食後のエスプレッソを飲んでいると、一人のスパニッシュがやってきた。年は50歳かそこらで、みすぼらしく、一見して貧乏、茶色っぽい荷物を運んでくるところだったが、それを見て彼らはいっせいに叫んだ。
「なんて無害な表情!」
自分のやることに専念し、他人を傷つけることなど願ってもみない人間。それもジョンソン・ファミリーの一員である証し。

2020.12.15 tue. link

恐竜ナショナリズム。
同志の生き残り策を討議する席での指導者の演説。

「同志爬虫類諸君、この暗い時代にあって、わたしはわれわれが深刻な問題に直面していると告げるのをためらいはしない……そして、その問題への回答を持っていると告げるのもためらいはしない……その回答とはサイズだ……サイズを増やすことだ……わたしにはそれで十分だ……(喝采)あらゆる反対を押しつぶすだけのサイズだ(喝采)。……サイズが答ではないというやからもいる。なかには、われらが純潔なる爬虫類の血筋を汚し、哺乳類と混血したり交配したりしようと主張する連中さえいるのだ……わたしは言いたい、もし生き残る唯一の方法が、卵喰いのネズミどもと交尾することなら、わたしはむしろ生き残らないほうを選ぶ、と……(喝采)。だが、われわれは必ずや生き延びる……サイズの上でも数の上でも増大し、この地球を支配しつづけるであろう、過去三億年にわたってそうしてきたように……(大喝采)」 ――W・S・バロウズ『バロウズという名の男』(山形浩生訳)

2020.12.14 mon. link

昔の精神錯乱と今日の発狂との著しい相違は、実は本人に対する周囲の者の態度にある。我々の先祖たちは、むしろ怜悧にしてかつ空想の豊かなる児童が時々変になって、凡人の知らぬ世界を見て来てくれることを望んだのである。すなわちたくさんの神隠しの不可思議を、説かぬ前から信じようとしていたのである。 ――柳田國男「山の人生」
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矛盾を恐れない。一貫性を捨てる。発言に責任をとらない。 ――樋口恭介 on Twitter

2020.12.13 sun. link

山田風太郎『忍法忠臣蔵』の主人公無明綱太郎は「女と忠義の嫌いな男」。
赤穂浪人の復習から吉良上野介を守るため、媚術にたけた女忍者たちをひきいて赤穂浪人の堕落と脱落をはかるが、彼らの強固な忠義心の前に手勢をすべて失い、自身も愛した女の手ひどい裏切りにあう。
その気になれば最後に残った四十七士を独りで倒せる能力を持ちながら、綱太郎は史実を改変できずに終わる。
忍法小説なら、物理法則や生理学的法則は変えられるのだが。
歴史の逆撫でには失敗した作。

史実の改変は小説でもむずかしい。フィクションなのに。
細部は変えても大枠は変えられない。
風太郎忍法帖のうちにSF仕立てで歴史の改変を試みた長編があったと思うが、これも失敗作ではなかったか。
明治物の『幻燈辻馬車』は改変の願望を記して切り上げた作。

2020.12.11 fri. link

ドナルド・トランプ米大統領の上級顧問を務めるケリーアン・コンウェイ氏は22日に米NBCテレビ「ミート・ザ・プレス」に出演した際、「代替的事実(alternative facts)」という表現を使った。この言葉は米政治が事実を重視しない「脱真実」の新時代にあることを象徴するとの見方もある。 ――トランプ政権の「事実」と「代替的事実」 - WSJ

アメリカで「代替的事実」が話題になる前年の2016年、イギリスでも「post-truth(ポスト真実)」という言葉が流行しました。これは「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えおよび個人的な信条が社会的な意見の形成に影響を与える状況」(Oxford英語辞書)とされています。 ――今こそ真実を訴える:代替的事実ジャーナルの発信 - 学術英語アカデミー

2020.12.10 thu. link

「天使の練習帳」のうち、「逆撫」の項に加筆。

2020.12.5 sat. link

頼朝と対立した義経は奥州に逃れて藤原秀衡を頼る。秀衡は義経を保護。
秀衡の死後、後継者の藤原泰衡は頼朝に迫られて義経を攻める。義経は衣川館で自死。
義経の臣・常陸坊海尊は衣川を逃れ、不死の術を学んで仙人となる。

その後も頼朝の奥州藤原氏に対する圧迫はやまず、一族はことごとく敗亡。
その中で泰衡の弟・四郎高衡は海尊仙人から受け継いだ妖術で抵抗、各所を経て京都に潜伏。
京都の高衡は七草四郎(天草四郎のもじり)を名乗って野菜や薬草を売り歩くいっぽう、島原遊廓にかよって更科という傾城となじみ、身請けを約束する。更科の親は木曽義仲の遺臣。これを味方につけて、頼朝に反撃する助けにすると称す。また、かつての郎等と力をあわせて、郎等の住み込んだ長屋の住人の教化(神仏二道から海尊の妖術へ)をすすめる。
更科の身請けに失敗した四郎は九州に逃れて七草の城に立てこもり、幕府軍を迎え撃つ(島原の乱を暗示)。

上は近松門左衛門『傾城島原蛙合戦』の時代設定。

近松門左衛門の『傾城島原蛙合戦』は、「島原狂言」の衰退期における受け止めで、キリシタン・バテレンの悪者が忍者化されて活躍するが、初期のみずみずしい「島原狂言」では、恐らく農民革命軍の指導者として彼らは登場したにちがいない。そうでなければ「傾城事」だけの「島原狂言」を、幕府があんなにまでも躍起になって押しつぶすことの正常な理由がないのである。 ――武智鉄二「伝統演劇の朗唱法」

2020.12.3 thu. link

花よりも花瓶を尊重し花器を財産と見る思想を、武智鉄二は末世の生け花作家のデカダンスとし、池坊専慶には花を生けることで花瓶を引き立たせる心はほとんどなかったろうとした。
専慶が金瓶に草花を生けた故事、それも一日で数十瓶、百瓶に生けたことを取り上げて武智が言うには、

民族的な素材(日本の土地に生じた花)と、民族的な発想とで五十瓶、百瓶を圧倒しようとしたのである。このとき花とは、農耕生産性における余剰価値――人民の繁栄とエネルギー――の象徴であった。 ――武智鉄二「池坊専慶」

2020.12.2 wed. link

マラドーナが左翼だというとき、私は左翼であることはどんなことかを思い起こす。それは思想ではない。左翼であるということは弱者の側につくことだ。 ――「左翼」としてのマラドーナ。常に弱者の側に立った天才フットボールプレイヤー | ハーバー・ビジネス・オンライン | ページ 4

2020.12.1 tue. link

秋元松代の海尊が救世主であること。

海尊 わすは、逃げ失せはすたものの、ああ! 済まねえことをばすた、わりいことをばすたと、われとわが身を悔んでおるすが、どうにもならねえのは、われとわが罪深え心のありようじゃ。わすはそん時から七百五十年、おのれが罪に涙をば流すつづけ、かように罪をば懺悔すながら、町々村々をさまようておるす。

おばば えっく分るす。人というは、誰れも彼もはあ生れるめえから、罪深けえ心をば持って生るるもんじゃと聞いておるす。わすらはみいんな罪ば作らねば、生きておられんもんじゃと聞いたす。

海尊 んだす。その通りだす。けどこの海尊の罪に比ぶれば、世の人々は、清い清い心をば持っておるす。わすは罪人つみびとのみせすめに、わが身にこの世の罪科つみとがをば、残らず引きうけたす。みて下されい、今ではもう、目も見えん。 ――秋元松代『常陸坊海尊』


この海尊は人々の罪を引き受けたことでイエスに似ている。
もっと近いのはユダ。
イエスのキリスト教に代えてユダのキリスト教があれば、そちらのユダに重なる。
イエスの代わりにユダが蘇る福音。

2020.11.29 sun. link

いや、面目もねえ身の果てじゃ。まんず聞いて下されえ。この常陸坊海尊は、臆病至極の卑怯者じゃった。衣川の合戦の折り、このわすは主君義経公をば見捨て、わが身の命が惜すいばっかりに、戦場をば逃げ出すてすもうたのです。いくさがおそろすうてかなわん。死ぬことがおそろすうてかなわん。それでわすは義経公を裏切り、命からがら逃げ失せたのじゃ。 ――秋元松代『常陸坊海尊』

常陸坊ひたちぼう海尊かいそんは源義経の家来として諸書に出てくる人物。武蔵坊弁慶らとともに義経の都落ちに同行したが、衣川の合戦を前に「今朝より近きあたりの山寺を拝みに出でけるが、そのまま帰らずして失せにけり」(『義経記』)という。
柳田國男の「東北文学の研究」によると、その後の海尊の行方を伝える話が日本の各地に残されていて、たとえば会津城下の実相寺23世の桃林契悟禅師がじつは海尊であったという話が林羅山の『神社考』などにある。この禅師は義経の死から400年も後の戦国時代末期に死んだが、それから50年後にもまた別の常陸坊が東北で出現している。

八百歳を称した八百比丘尼の例もあるから、海尊の長寿についてもその類ということで措くとして、海尊を名乗った者たちの心性をどう考えるか。

自分は常陸坊海尊の成れの果てであると名乗る琵琶法師が、東北の町や村を流浪しながら、義経の武勇を語り、自分はその義経を裏切って逃亡した卑怯者であると懺悔物語をしたという話は、義経の戦死から、それほど遠くない時からだったといわれている。そして江戸時代の末頃まで、海尊と名乗る旅の琵琶法師は生き続けていたらしい。 ――秋元松代『かさぶた式部考 常陸坊海尊』「あとがき」

海尊を称する琵琶法師が、懺悔物語をして東北の各地を流浪していたという。
ほんとうだろうか。そんなことをして何が面白いのか。
そんな懺悔を誰が喜んできくのか。
じつは喜ばれたのではないか。おもしろおかしく喜ばれたのではなく、泣いて受け容れられたのではないか。
東北史は敗北の歴史といっていい。有史以来の日本で負けつづけに負けてきた東北なら、「あのとき自分がこうしていたら」と敗北の責めを自分で負う心性が生まれても不思議ではない。そのようなネガティブな自負をいだく者が、衣川での逃亡の罪を自身で引き受け、人々に詫びてまわったのが自称の海尊たちではなかったか。
そして、そのような芸が成り立ったということは、聞く側にも同じ心性があって琵琶法師の懺悔に感応したのでなければならない。――

上の「あとがき」には、琵琶法師らは自身を卑怯者として懺悔したとあるが、そのことを伝える資料がわからない。秋元は資料名をあげていないし、柳田の「東北文学の研究」にも懺悔云々といった記述はない。調べるには大きめの図書館にでもこもるしかない。
ではあるのだが、文献はいまや最優先事項ではない。
というのも、すでに秋元松代が義経の敗亡から750年後の日本に海尊を蘇らせているのだから。それも生身の人間の姿で。

わすは、逃げ失せはすたものの、ああ! 済まねえことをばすた、わりいことをばすたと、われとわが身を悔んでおるすが、どうにもならねえのは、われとわが罪深え心のありようじゃ。わすはそん時から七百五十年、おのれが罪に涙をば流すつづけ、かように罪をば懺悔すながら、町々村々をさまようておるす。 ――『常陸坊海尊』

戯曲『常陸坊海尊』の時代設定は1940年代〜。1964年に私家版で上梓され、3年後に初演。以来半世紀を経た現在も上演されている。

2020.11.26 thu. link

あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 洗馬さ
洗馬山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかぶ

武智鉄二によると、この手まり歌は「ロス・コルドニス」というスペインの童謡に「怖ろしいほど似ている」。
このようなスペイン起源をうかがわせる歌謡が熊本の人々をとらえてきたことについては、島原農民戦争(島原の乱)における農民軍への援軍の存在を前提にしなくてはならない。洗馬山で木の葉におおわれている悪い狸とは、暗殺された幕府要人の死体が隠されていることの広報的な伝えだったのではないか。あるいは、洗馬川が熊本城周辺を流れていることを考えれば、この狸は領主を指すのかもしれない。(武智「伝統演劇の朗唱法」)

ありえたかもしれない歴史を語ること。
それが歴史の天使の役割ではないか。語る=騙るであるにしても。
歴史の天使については、「天使の練習帳」

ベンヤミンは遺稿「歴史の概念について」(通称「歴史哲学テーゼ」)において、自身を史的唯物論の陣営に位置づけている。
だが、そのような立場で書かれたはずの20項目ほどのテーゼは、どれもまったく唯物論的ではない。逆に歴史の恣意的解釈を肯定するものばかり。このことをどう受け止めるか。

農民軍を討つため天草・島原に渡ろうとしていた幕府の要人が熊本で殺害され、死体が洗馬山に隠されたこと。
あるいはその要人とはこの地の領主(藩主)であったかもしれないこと。
証拠が無い?
いや、「あんたがたどこさ」があるではないか。

2020.11.21 sat. link

この本、いろんな夢の解釈の話が出てくるのだけれど、一つ残らず勝手な解釈をフロイトがつけてドヤ顔して、なぜそれが正しいと断言できるのか、ほかの解釈がありえんのか一切説明なし。こじつけと「実はこんな事情があって」と後出しジャンケンまみれ。 ――フロイト『夢判断』:フロイトの過大評価をはっきりわからせてくれる見事な新訳 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

フロイトに限ったことではないが、人文科学の説得力は論者の思い込みの強さによる。
自信を持って大量に語ることから生まれる真実性。

2020.11.20 fri. link

第二期のKKKの急速かつ広汎な支持拡大の背景の一つには、D・W・グリフィス監督による一九一六年公開の無声映画『国民の創生』の興行的成功も挙げられる。黒人を「悪」、KKKを正義として描いたこの作品は、犯罪とは「黒人が白人に対して行う」(black-on-white)ものであるとのイメージを流布し、KKKの復活を助長したとの批判が絶えない。南軍を率いたリー将軍や南軍兵士の銅像、モニュメントの設置が南部で急増したのもこの頃である。 ――渡辺靖『白人ナショナリズム――アメリカを揺るがす「文化的反動」』

人や社会を動かすのは真実ではなくお話。
ポスト真実ではなく、プレ真実。ホモ・サピエンス以前からの習性で、今後も変わることはない。
人が真実を受け入れるのは、そのほうが有利と知ってから。

町山智浩 on Twitter

2020.11.19 thu. link

サウスダコタの看護師によると、入院しているコロナ患者の中には最期までコロナが嘘だと主張する人達がいて、看護師達を罵ったり、これは肺炎や肺癌だと言うらしい。まるで殉死だ… ――ゲチ🥔 on Twitter

2020.11.18 wed. link

新書2冊。きのう書店で購入。
スティーブン・グリーンブラット著、河合祥一郎訳『暴君――シェイクスピアの政治学』(岩波新書)
渡辺靖著『白人ナショナリズム――アメリカを揺るがす「文化的反動」』(中公新書)

どちらもまだ読みかけだが。
400年前のシェイクスピアが主要なテーマとして描きつづけたことと現在の各国の政治状況(とくにアメリカを典型として)の酷似。あるいは、シェイクスピア劇の現実世界における再演。

『暴君』の結語に曰く、「シェイクスピアは、社会が崩壊するさまを、生涯を通して考察してきた。人間の性格を見抜く異様に鋭い感覚を持ち、デマゴーグも嫉妬するような言葉を操る技をもって、シェイクスピアは巧みに描いたのである――混乱の時代に頭角を現し、最も卑しい本能に訴え、同時代人の深い不安を利用する人物を。」

2020.11.13 fri. link

複数の情報筋がCNNに明らかにしたところによると、トゥービン氏はズーム会議の最中に下半身を露出し、自慰行為を始めた。会議とは別のビデオ通話の中でこうした行為に及んだ模様で、同僚に見せる意図はなかったとみられている。 ――CNN.co.jp : ズーム会議中に下半身を露出、著名ライター解雇 米誌ニューヨーカー
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「いいですか、展示は一体です。その痴漢の種類はなんと露出狂です、しかもにっほんから買い取ったものなので、委託ではありません、つまり見せ物にするわけだし、これは、たまたま横領罪で逮捕されたものの中にネットでは有名な痴漢が混じっていたのにウラミズモが気づき、買い取ったのです。この生体は政府にも債務があって展示に向いているので我が国に連れてきて、ゾーニングしたもの、むろん痴漢時の気味悪さを再現したメイクをさせて、脳神経もいろいろいじってあるし、お薬も上げてます」 ――笙野頼子『ウラミズモ奴隷選挙』
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Simon Doonan. "Confessions of a Window Dresser"

政治家の生体保存。
ある程度の権力をふるった政治家は延命させて、いつまでも後世の評価を聞かせつづける仕組み。
対象となるクラスの政治家なら、よろこんで受け入れるのではないか。

2020.11.9 mon. link

「多様性の不快」を受け止め、違うもの同士の統一を戦略として受け入れる精神を持つこと ――星乃治彦『赤いゲッベルス ミュンツェンベルクとその時代』 - 紙屋研究所

別にリベラルの人達は性格が悪いから反リベラルを見下しているわけではありません。勤勉であるから良い学校で教育を受けられる、勤勉であるから社会に出てからも特権を受けられる、と子供の頃から洗脳された結果、勤勉でない連中≒反リベラルはクズだとなってしまうわけです。 ――バイデンでは癒せない米国の分断とハイパーバトルサイボーグ達|畠山勝太/サルタック|note

ひとつだけ、はっきりいえるのは、郭とバノンの一派の主張はたとえ民主化運動の体裁をしていようと、額面通りに受け取ってはいけないというものだ。 ――米大統領選の闇と中国民主化運動のヒーローの正体 怪物、郭文貴の謎 /下 - 清義明|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

2020.11.3 tue. link