2021.3.30 tue. url
柳田国男はしばしばソースを隠した。そのうちでも最大の隠し事がクロポトキンという説。
柳田には、橋川文三が言う「réticence(闕語 法)」(「柳田国男拾遺」一九六四年)の癖があることは知られており、参照文献などを隠していることも頻繁である。柳田研究はそれを探し当てることに腐心してきたのではなかったか。われわれの考えでは、クロポトキンこそ柳田の最大の「闕語」なのである。 ――絓秀実・木藤亮太『アナキスト民俗学――尊皇の官僚・柳田国男』
柳田には、橋川文三が言う「réticence(闕語 法)」(「柳田国男拾遺」一九六四年)の癖があることは知られており、参照文献などを隠していることも頻繁である。柳田研究はそれを探し当てることに腐心してきたのではなかったか。われわれの考えでは、クロポトキンこそ柳田の最大の「闕語」なのである。 ――絓秀実・木藤亮太『アナキスト民俗学――尊皇の官僚・柳田国男』
ヘーゲルの教説に従って、いっさいの進化は「正・反・合」を表現するとか、「法の目的は正義の確立であり、それは至高の理念の物的実体化である」とかいったたぐいのお説教をアナーキストが聞かされるとき、あるいはまた、「生の目的は何か」とアナーキストに問いただされるとき、アナーキストは同様に肩をすぼめ、こう自問することであろう。すなわち、「自然科学が現代のように発達しているのに、相も変わらずこうした『ちんぷんかんぷん』を信じている古くさい人たちが今でも存在するとは、また自然を『擬人化』し、自然をもって人間の姿形をした存在物に支配されたものと考えた、原始的な未開人の言葉で今なおしゃべり続ける、おくれた人士が現在も生き残っているとは、いったいどうしたことであろうか?」と。 ――クロポトキン『近代科学とアナーキズム』(中央公論社『世界の名著 42 プルードン バクーニン クロポトキン』所収)
「言論の自由の社会実験は失敗しました。言論の自由を進めすぎると良いことにはならない。無制限の言論の自由の結果が、現在起きていることなのです」 ――appleraich(💉個人的緊急事態で入院🤣🏥) on Twitter
今の日本で「普通に」生活して「ウヨク化」しないというのは、実は容易でないのだと僕は感じている。前々から言ってるけど、多くの「リベラル」諸氏はこの点を甘く見ている気がしてならない。「普通の日本人」にはカギカッコ不要ですよ、冗談抜きで。 ――ワイド師匠 on Twitter
寄生植物として知られるラフレシア科植物のゲノムを解読し、ラフレシアが宿主から遺伝子を奪っていたことがわかった
大昔のラフレシアは現在とは異なる宿主に寄生していたことも判明
ゲノム情報から宿主転換が証明できる時代か ――ミクロコスモス on Twitter
むしろ問題は、人々が「フィクション」をもはや信じることができないでいることなのかもしれない。現在のインターネットは、個々が信じる「真実」で渦巻いている。そのような状況下で、「物語」を多元的な「フィクション」=可能世界に返してやることは、果たしてできるだろうか。言い換えれば、私たちは「フィクション」をもう一度本気で信じることができるだろうか。 ――木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド』
具体的な物事は必ず冗談に似ている。というより、冗談と見分けがつかない。世界の根底はそういうものでできている。 ――中里一日記: 『摩擦との闘い ―家電の中の厳しき世界―』
《自己原因 》は、これまでに考え出されたもののうちで最も甚だしい自己矛盾であり、一種の論理的な強姦であり、不自然である。しかし人間の常軌を逸した誇負は、事もあろうにこのノンセンスに深く恐るべく巻き込まれてしまった。遺憾ながらなお依然としてなお半可通 の人々の頭を支配しているあの形而上学的な最上級の意味における「意志の自由」への要望、自己の行為そのものに対する全体的かつ究極的な責任を負い、また神・世界・祖先・偶然・社会をその責任から放免しようとする要望、けだしこのような要望は、まさにあの《自己原因》であろうとする以外の何ものでもなく、ミュンヒハウゼンそこのけの無鉄砲さをもって、虚無の泥沼からわれとわが身の髪の毛を掴んで助け出そうとするのと同じである。 ――ニーチェ『善悪の彼岸』(木場深定訳)
暦の計算をする場合は、しばしば地球を中心として天体が動くという天動説的な説明をした方が都合が良い。よって、地球から無限大の距離にある球への射影をおこない、天体はその上を動くものとした。この仮想的な球も天球とよばれる。黄道・天の赤道・白道などは天球上の大円である。天球上の位置は赤道座標系(赤緯・赤経)または黄道座標系(黄緯・黄経)によって示される。 ――天球 - Wikipedia
維新の志士はみな傑物、明治は華やかな新時代――というのは教科書の中の幻想。デタラメな新政府と死に損ないの旧幕府がせめぎあい、実情はまさに大混乱! 家来を捨てて逃げ出す慶喜、奸計を巡らす岩倉具視、世間知らずの公卿たち……。その間を取り持って勝海舟は孤軍奮闘! 敗者は非情な淘汰で歴史から消え、勝者は好き勝手に国を創る。最終決戦・戊辰戦争を軸に、「めちゃくちゃ」な政権交代劇を描く。 ――野口武彦『明治めちゃくちゃ物語 勝海舟の腹芸』の内容紹介文
カバー
書籍の表紙を包む紙です。
本来はジャケットと言う名が正式のようです。 ――本の各部名称
ゲシュタルト崩壊(ゲシュタルトほうかい、独: Gestaltzerfall)とは、知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られているが、聴覚や皮膚感覚、味覚、嗅覚においても生じうる。 ――ゲシュタルト崩壊 - Wikipedia
ひで 最近Twitterで流れてきたんですけど、6本指の多指症の人って脳に別の領域があって、5本指の人より指をうまく使えるんですって。脳は可塑性が高いから身体が拡張されるとその使い方を習得することができる。 ――江永泉、木澤佐登志、ひでシス、役所暁『闇の自己啓発』第3章「AI・VR」
ひで 「意識は受動的な出力・結果にすぎない」とする受動的意識仮説についてはぼくも賛同する立場を取るんですけど、自由意志を信じているアメリカ人には受け入れがたいんですね。一方でインド人はほぼ100%受け入れる。 ――同前
江永 概括的な印象として、インテレクチュアル・ダークウェブの論者たちって、自然法則と道徳法則の区別が融けてしまったような感じがします。人権は不合理な迷信だという物言いに陥りがちというか、不合理であることが自明に有害だという立場になってしまっている。 ――同前
まずもってあらゆる所有権は法と秩序によって守られているっていう原則を忘れたらダメでしょう。
その所有権に暴力性が生じれば、それを越える暴力によって問題の解決を試みる人間は必ず現れる。それを「暴力は良くない」のポリコレに帰結させるのはイデオロギーに過ぎない。 ――栗鼠子 on Twitter
カードを持っている企業と国家の力関係が変わった、ということなのでしょうね。それに気付いた瞬間がそこだった、という話で、霞ヶ関の論理ではない。むしろ「日本が、科学技術を持たざる国になりつつある」ことに日本人のどれほどが気付いているのか… ――大貫剛 on Twitter
デモをおこなった人たちが「香港の独立」という範囲にとどまらず、広東語圏の全体を視野に入れて「両広(広東・広西)の独立」くらいを主張していれば、事態の推移も違ったものになったかもしれませんね。 ――「香港デモはなぜ失敗したか」その本質は"太平天国の乱"で示されている 標準語と広東語という「2つの中国」 (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
反クーデターの人々は、女性の腰巻きを道に吊るして軍の接近を妨げる作戦に出た。女性の腰巻きの下をくぐると、男性の機能に影響が出るという信仰がミャンマーにはあるらしい。 ――高野秀行 on Twitter
『会津産明治組重』は、日清戦争と27年前の会津戦争を同じ芝居の中で組み合わせるという趣向だが、やはり日清戦争期の生人形の見世物でも、上野戦争と日清戦争が並列されるものがあったらしい。 ――日置貴之 Takayuki HIOKI on Twitter
子どもは、お店屋さんごっこや先生の真似をして遊ぶだけでなく、風車の真似や電車ごっこをしたりもする。 ――ベンヤミン「類似性の理論」、「模倣の能力について」(山口裕之訳『ベンヤミン・アンソロジー』)
かようの物語を見聞かん人々は、狂言綺語の縁により、あらき心をひるがえし、まことの道におもむき、菩提を求むる頼りとなすべし。 ――『曽我物語』
〈きょうげんきぎょ〉ともよむ。誤ったたわ言,むやみに飾り立てた言葉のことだが,和歌や物語などを卑しめていうのに用いる表現。狂言綺語をもてあそぶことは,妄語戒を破り,仏の教えに背くこととされていたが,一方《白氏文集》に〈狂言綺語の過ちを転じて……讃仏の因となさん〉(香山寺白氏洛中集記)とあったことから,平安時代以降,和歌や物語が逆に仏教の修行に繋がり,これを助けるとする考えが成立した。後白河天皇や藤原俊成などにこの考え方が顕著で,安居院流などの唱導などもこの立場に立っている。 ――狂言綺語とは - コトバンク
殺到した群衆!
闇の底に泥靴は鳴つた!
●●二階へ!
――――道路は争議団の
職工の手と旗が渦まいてゐる!
扉の /―――ピストルの発射があつた!
内部では/
ドヲツ!
CCCCCCCCCC―――群集の叫號!
ボギー列車は巨大な胴体をもつて中央停車場へ走つた!
● 赤
● 灯
不安なレール―――┐
――萩原恭次郎「ラスコーリニコフ」
フランス革命ではイエローペーパーが大きな役割を果たした。日本には宮武外骨という人がいた。虚報だ誤報だというレベルで言うなら宮武外骨はほとんどすべて「正しくない」。しかしいま宮武外骨がやったことは正しい。ひとしなみに「正しい」という枠の中に入れてしまうと言論の自由は失われるのだ。 ――竹中労 on Twitter
こんなもの、送りつけ商法に政府が法的正当性を付与するのと同じだろう。相手が要らないという商品を一方的に相手に送りつけておいて、カネ払え、払わないなら割増金も取るぞと脅す。NHKは公共放送でなくヤクザか? ――山崎 雅弘 on Twitter
義理と人情を秤にかけて 秤もろとも踏みにじる ――小田嶋隆
自称保守やネトウヨの万能感、多幸症 ――適菜収
ロシア史を調べていると、ロシア人はとんでもない速さでシベリアを横断し支配したことに驚かされるが、彼らはノコノコ陸を歩いたわけではなく、シベリアの大森林を流れる大河を航海して行ったのだと知ると、納得する。
彼らはまさに大航海時代の名に相応しい探検をシベリアで行った ――カオナちゃん!❤️¡kaona_chan! on Twitter
〽酒にうつろう星の影。
ハテ心得ぬ、この杯中に鎮星の、きらめく影は寅の一天、…
――「積恋雪関扉」
「乞食浮浪の徒」は「進歩」に寄与せず「伝統」にも関与しないものとして、歴史叙述のなかに位置を与えられずにとどまっている。だがそうのように過去においても現在においても忘却されている「歴史の敗残者」に目を向けてこそ、現在の「歴史の勝者」の「手先」(テーゼVI)たることを免れうるかもしれない。 ――鹿島徹訳・註『[新訳・評註]歴史の概念について』評註
窓口の警官とのやり取りをライブストリーミングで配信しようとしたところ、その警官は音楽をかけ始めた。2月5日、活動家とビバリーヒルズ警察とのやり取りの最中、サブライムの「サンテリア」が再生された。その警官は水晶玉を持ってはいなかったのだろうが、著作権フィルターには随分と詳しかったようだ。 ――「著作権フィルターに検出されそうな曲をかけてライブストリーミングを妨害しようとした警官」は氷山の一角に過ぎない | P2Pとかその辺のお話R
美大受験でデッサンを習った時に、絵画のデッサンと漫画のデッサンは根本的に違うことを痛感しました。その頃手塚先生の「漫画は象形文字」論を読んで、我が意を得たりでしたが、この論、殆どの漫画家も評論家も理解してくれません。25年くらい孤独に叫び続けてますw ――竹熊健太郎《地球人》on Twitter
理解者がそれほど少ないとは驚きです。漫画家の中には絵を突き詰め、上達してゆくうちに物語作りから離れてゆく人も多く、それは絵が完成することで文字ではなくなってしまうからではないかと考えています。 ――芦辺 拓 on Twitter
過去、私の「漫画は文字」論に賛成してくれたのはアニメーション作家で東京藝大教授の山村浩二さんだけでした。後は、ピンとこない人がプロでも大多数です。おそらく「漫画の絵と一般美術の絵は違う」と言われると、多くの漫画家に共通してある美術コンプレックスを刺激するんだと思います。 ――竹熊健太郎《地球人》on Twitter
某評論家は「手塚が自分の絵を象形文字だと言うのは、手塚の美術コンプレックスの現れだ」と書いていますが、それこそ、その評論家の美術コンプレックスの現れではないかと思いましたね。 ――竹熊健太郎《地球人》on Twitter
漫画家が絵を突き詰めて物語から離れてしまうというのは、絵を描くことと物語を作ることの両立が余りにも困難だからだと思います。私は「漫画はトライアスロン」説も唱えています。だから、絵にこだわる漫画家の中には原作付きを歓迎する人も多いのです。 ――竹熊健太郎《地球人》on Twitter
ブランキは、世の中の流れこそが世の中の尺度であり、歴史的な成功こそ真理の標識なのだ、と主張する合理主義的歴史主義とそのような宿命論に取りつかれた人類を糾弾する。彼が実証主義的歴史主義の本質と考えるのは、正義の観念の放棄と、勝利者との同盟契約である。 ――ブランキ『天体による永遠』の訳者(浜本正文)解説
「蒋介石は英米を選んだ。毛沢東はソ連を選んだ。自分の夫・汪兆銘は日本を選んだ。そこにどのような違いがあるのか」 ――加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
無政府の観念は、どのような科学上の研究からも、いかなる哲学体系からも、生み出されたものではない。社会学は、今なお物理学や化学と同じ程度の正確さを得るまでにはいたっていない。(……)社会学のような年若い科学によって、風や雨といったものよりはずっと無限に複雑な事がらを取り扱いながら、将来の出来事を科学的に予測できると主張するのは、愚かであろう。 ――クロポトキン『近代科学とアナーキズム』(『世界の名著 42』所収、勝田吉太郎訳)P.441
十九世紀におけるいかなる発見も、――力学、天文学、物理学、化学、生物学、心理学、人類学におけるどの発見も、弁証法的方法によってなされたのではない。これらの発見はすべてみな、唯一の科学的方法、つまり帰納法によって成就されたのだ。 ――P.482
交換価値と労働量とは、相互に正比例するものではない、つまり、一方が他方によってけっして計量されるのではないのである。そしてこのことを指摘したのも、アダム・スミスであった。彼は、各物品の交換価値がそれを生産するに必要な労働量によって計算される、と述べたあとで、ただちにこう付言しなければならなかった。すなわち、原始的交換制度のもとではそうであったにせよ、資本主義制度のもとでは、もはやそうではなくなった、と。 ――P.537
価値について前述した指摘は、ほとんどすべての経済学的命題にも当てはまるであろう。これらの命題は、今日では確固不抜の真理として――ことに、科学的社会主義と好んで名のりをあげている社会主義者たちのあいだで――受け取られ、お話にならないナイーヴさで、自然法則として呈示されている。 ――P.537
アナーキズムが疑う余地もなく全く正しい一点がある。アナーキズムが社会諸制度の研究を自然科学の一部門と眺め、形而上学とは永久に訣別し、現代科学と今日の唯物論哲学との構成に役立った方法をば、自己の思惟方法として採用したこと、これである。その結果、よしんばアナーキストがその結果においてなんらかの誤謬に陥ったとしても、それに気づくことはきわめて容易であろう。しかし、われわれの結論を検証しようとするならば、それは、あらゆる科学が基礎を置き、またいっさいの科学的世界観の発達が依拠する科学的、帰納・演繹的方法によって、はじめて可能となるであろう。 ――P.555
何故、私は、写真家になるつもりだったのか。もちろん、写真家として成功したいとも、できるとも、思っていなかったのに。つまり私には、あの小さな暗箱を通して、存在するものを見るのが、気やすかったからなのか――たぶん、そうだろう。 ――日影丈吉「猫の泉」
鐘は理由もなく鳴りそしてわれわれもまた
鐘よ理由もなく鳴れそしてわれわれもまた
――浜田明訳(講談社世界文学全集第78巻)インターネットの発展の恩恵をこうむることが多いが、とりわけ、欲しいと思っていた書籍を入手するのに絶大な威力を発揮してくれる。
日本人が東洋史を研究するアドバンテージとしては、漢文読み下しという独自システムの恩恵にあずかれるというのがとても大きいです。2000年前の他国の古典を、母語に直して読めるというのはぶっちゃけ超絶チートです。 ――平林緑萌 on Twitter
2003年から始まり、今やヨーロッパ全土、アメリカにも広がる「赤信号の除去」計画は、私たちに多くの示唆を与えてくれる。信号機を除去したことで、歩行者や運転手の注意深い観察が最大化され、道路は「共有された空間」として再定義され、事故の数は激減したのである。ある秩序が画一的に適用されているもとでは、人はその「規則内で」好き勝手ふるまい、自発的な親切行為は生まれない。 ――ジェームズ・C. スコット著、清水展他訳『実践 日々のアナキズム──世界に抗う土着の秩序の作り方』 | by 長谷川新 | 建築討論 | Medium
気楽に自由を主張する類のアナキズムには決定論を突破する自由はないだろう。自由意志とか主体性に自由はあるのか。そのようなものは無い処にこそ自由はあり、それこそがアナキズムの自由なのだ。 ――千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 on Twitter
スペインの労働者がマルクスよりもクロポトキンを好んだのは、前者が難解な言葉で貧困の原因を説く一方で、後者は平易な言葉で何をすべきかを訴えたからだと言われる。貧困に苦しむ労働者が知りたいと思っていたのは、貧困を生み出すメカニズムではなく、貧困に対峙する方法だったのだ。 ――【緊急寄稿】感染症×アナキスト(医療編)/海老原弘子 – アナキズム文献センター
菊地氏は、アイロニーと笑い、そして哄笑の人だった。それがいつからか、怒りと苛立ちと嘲笑の人になってしまったかのようだ。一概に誰が悪いという話でもないのだろうが、それでもやっぱり、そのことが少しだけ悲しい。 ――木澤佐登志の書評 『次の東京オリンピックが来てしまう前に』(菊地成孔 著) | SUB-ROSA
いち歌い手にすぎないおれのところにすら現実がとめどなく流れ込んできてる。 ――七尾旅人 on Twitter
伊賀 歌舞伎役者の市川三升、本名あらん、それをぬかせ。
三升 本名なくてかなわんや。お江戸根生いの市川流、団十郎とは仮名にて、まことはやっぱり市川団十郎、本名あれば本所二ツ目、お江戸の意気地立川の、談州楼は三升連、焉馬の世話に成田屋の、七代続いた三升に、本名あってたまるものか。誰だと思う、ああ、つがもねえ。 ――鶴屋南北「四天王産湯玉川」
鬼兵 昔は本名というものは、芝居でも隠したものだが、今の世界じゃァそれじゃァいかねえ。誰が怖くって本名を隠すものか。しかし、店頭で六郎公連じゃァ通りが悪いの。