oi-quot no.16

[2021.9.8 - ]

2021.10.16 sat. link

妹をサーカスに売った。
一家が生きていくためで、しかたなかった。
それから何年もして、妹のいるサーカス団が隣町にやってきた。郊外の草地にテントが立ったという。
(せっかく妹を売ったのに一家は離散して、わたしは一人暮らし)
夜がふけてから、サーカス小屋の様子を見に行った。
屋外に張ったロープの上で、妹が綱渡りの稽古をしていた。
脚や背中の筋肉が月光を受けてきらきら光った。ひとひらひとひらまで鍛え抜かれた筋肉が、魚の鱗みたいに光ったのだった。とてもかなわないと思った。かなうとか、かなわないとか、そんなことではないのだが、そう思った。

以上は、わたしの体験ではない。わたしには妹はいない。
だから作り話なのだが、オリジナルに考えついたストーリーでもない。
高橋新吉の短編小説「預言者ヨナ」にある話を、多少アレンジしてわたしの思い出にしておいたのである。
その「預言者ヨナ」を久しぶりに読み返した。
すると妹は出てきたが、上のような妹ではなかった。
ある姉妹がいて、わたしはヨナと汽車に乗って姉妹の住む町に会いにいった。
ヨナは妹とキスをし、わたしは姉とトウモロコシ畑のほうへ散歩に。
その夜、四人は同じ蚊帳で寝たが、ヨナは夜中に起きて妹の首を絞め、畳の上で火を付けたりした。
ヨナはわたしの頭を蹴り、悲痛な顔で海のほうへ歩いていった。

オリジナルの「預言者ヨナ」の中で何年かが過ぎて、わたしはヨナが警察に留置されたと知ったが、それはわたしの妄想で、じつはわたしが留置されたのだった。
さらに話が進んで、やはり小説の中のわたしが言うには、わたしは女より酒を愛するようになった。酒よりタバコを、そしてタバコより火事を、火事より革命を好むようになった。こんなことを言っても誰も本当にしないかもしれない。ふざけるない、と。

妹を売った件に話をもどすと、隣町まで妹の様子をうかがいに行ったとき…(続く)

2021.10.15 fri. link

ゴータマの顔がだんだん大きくなっている。
天地左右の比率や、目、鼻、口などの位置関係は変わっていない。
実物の顔をそのままキャンバスに乗せるわけではない。縮小して描くのだから部分部分の比率が変わってなければ差し支えないのだが、ルソーは落ち着かない。何事もきちんとやりたい。モデルをしっかり採寸して、そのうえでキャンバス上に再現したいのである。
ゴータマの首はそれまでと同じように、左耳を下にして涅槃の草地にころがっている。
姿勢は変わっていない。だがサイズが変わってしまった。
前に測ったときの顔幅は2メートルほど。それが今は3メートルを超えようとしている。背伸びして手が届くサイズではない。測るには足場が要る。

2021.10.14 thu. link

犬が尾を地べたに付けて寝て居た。
彼は下駄を穿いて自転車に乗つてゐた。
彼は犬の尾の上をわざと通つた。

『犬が死にましたか』
彼女が尋ねた。
彼女は梯子段の唐紙に靠れて膝を立てゝゐた。
井野はサクランボを食べてゐた。彼女は目を細める癖があった。然しハツキリした女だつた。
……

――高橋新吉「サクランボ」

2021.10.12 tue. link

こうした貧民は結局零落してしまう者が多かった。すると流れ者の仲間入りをして各地を放浪するのであるが、フランスの浮動人口ポピュラション・フロタントは、一七八〇年代までに数百万もの自暴自棄の人びとを含んでいる。修行の旅にあるトゥール・ド・フランス職人、旅役者の一座、いんちき医師や薬売りといった少数の幸福な人間を除き、放浪の生活は文字通りはきだめに食物を漁るに等しかった。浮浪者たちは鶏小屋を襲い、番人のいない牝牛から勝手に乳をしぼり、生け垣の洗濯物を盗み、馬の尻尾を切り落とし(馬の尻尾は家具職人が買ってくれた)、施しが行われている場所にくると、自分の身体を切り裂いては病人になりすました。また、軍隊に入っては脱走することも、度々繰り返した。彼らは密輸者、追い剥ぎ、掏摸すり、娼婦になった。そして最後には施療院オピタルで死ぬか、茂みか干し草置き場に這って行き、そこで息をひきとった。乞食クロカンの生涯が終わったのである。 ――ロバート・ダーントン『猫の大虐殺』(海保眞夫・鷲見洋一訳)
――――
Sebastiscus marmoratus - Wikipedia, entziklopedia askea.

味覚、触覚、言語感覚、人に伝わらないものは幾らもある。
いや、どれも伝わる。
オコゼの味噌汁。いや、カサゴか。

2021.10.10 sun. link

どんな形式の貨幣でも、それが強制的に要求されて初めて、交換手段としてではなく、強制的な要求への支払い手段になり、人々の間に流通し始める。そうして初めて貨幣は誰にとっても必要なものになり、安定した交換価値が生まれるのだ。

租税の目的は、人々から余剰をすべて奪い、彼らがこの納税の要求を満たすために労働力を売らざるを得ないようにするためである。この労働力の利用こそ課税の目的だ。労働力の利用は、労働者が生活費を奪われることなく提供できる金額よりも多くの税金が要求された場合にのみ可能である。

上の2件、いずれもトルストイの『では何をなすべきか?』(1886年)からの引用という。【トルストイ × MMT?】租税は「バブキー」を通貨に変える|🦉ゲーテちゃん🦉|note から孫引き。

文学者は本当にすごい。トルストイだけでなく、ゲーテとかコールリッジとか。経済学者が一番真実から遠い。物語を描く職業柄か、経済学者の語る物語なんて胡散臭いと簡単に見抜けてしまうのかもしれない。しかもウソだけでなく、真実も見抜く力がある。文筆家の方が科学の眼を持っている。
――🦉Goethe_chan@スタバは我が書斎なり。 on Twitter

2021.10.9 sat. link

昨夜の mataji-bot は「はやり歌」。

豚はころりと、豚はころりと
谷の底からよせばよかった
舐められて、山門の甍(いらか)を隠す、餅や

牛はころりと、牛はころりと
蝶は舞い舞う、ひらりひらり
踏まれても、照る月の激しかれとは、沼や

馬はころりと、馬はころりと
采女の村におりおりの木々
抜きつれて、竹やぶの行方をたのむ、雲や

悪いものではない。いや、とても良いものに見える。
mataji-bot は、note.com にある詩を毎日2本ずつ Twitter で紹介する自動投稿ボット。
紹介された自作を読むのは、産み捨てた子との再会を思わせる。
もともと憎くて産み捨てたわけではない。
愛情が薄いから忘れてしまう。その状態がつづけば産み捨てたことになる。

結果的に捨てたのである。
作品のほうも、捨てられた恨みを言いに来てるようには見えない。
むしろあいさつに来ているかのようである。

2021.10.8 fri. link

昨夜の mataji-bot はこれ。

あのな、チャーリー
そう心配するな
会計係はいないも同然
パーカー博士も知るはずはない
闇夜の口笛、な

――闇夜の口笛、な|mataji|note

[自注]
俳句や短歌のような緊密さはないが、ひとまとまりのまとまり感はある。
あのな
心配するな
口笛、な
という、「な」の音がつくるリズム。
すべての行に「な」が入ってるのも悪くない。
――――
ルソーは概算を嫌い、つねに厳密であろうとする。
たとえば、地球の周囲を4万kmとすることに彼は同意しない。まだ測ったことはないが、赤道の長さはmm単位まで表されなければならない。逆にmmより小さい単位も彼は認めない。それは巻き尺上に存在しない。
――――
昭和の初め頃の数年間、コカインを常用していた。そのために嗅覚がほとんど失われていた。「まれびと」や「日本文学の発生」といった初期の代表的論文はコカインを常用していた時期に執筆したものである。――折口信夫 - Wikipedia

2021.10.6 wed. link

矛盾を気にしない。
何をどう言おうと、どれほど細かく述べようと、矛盾は免れない。
だったら解決は後回しでいい。ユーカリの森の弁証法。

聞いたとおりなら、わたしは今から涅槃仏というものになるところなのだが。

上着のポケットから巻き尺を取り出すルソー。
「なにするつもり?」とゴータマ。
「測るんですよ」
「測る? 測るって何を」
「サイズですよ、サイズ。決まってるじゃないですか」
ルソーがゴータマの頭部を測りはじめる。
右耳から左耳まで幅1.8メートル、顎から頭のてっぺんまで高さ2.3メートル。目、鼻、口の大きさと位置、等々。手帳に書きつけていくルソー。黙読が苦手なルソーは、書くときも声に出しながら書く。

2021.10.3 sun. link

今朝の mataji bot

家に帰って車にひかれて大腸を露出させると
この悪役はすぐに弟の小さな仲間をマニ商会に入れ
悪意のある憶測をはじめたのでした
――やがて、女性の声がにっこり笑ってドアを開け、それから一年|mataji|note

「うそつき、うそつき」――この箇所が発見

2021.9.29 wed. link

涅槃=ニルヴァーナとは、環境でもあり心境でもあるような空間、そこにおいて輪廻が解消される場でもあるのだが
それにしても首だけとはどういうことか
身体を欠いた首だけのわたしがその涅槃にころがっている

2021.9.28 tue. link

Eucalyptus wikipedia - Google 検索

2021.9.25 sat. link

韜晦者は少なくとも韜晦を意識しており、その意識の中に彼の人間があらわれる。偉大な無意識家であったルソーは、そんな手がかりなど私たちに残してくれない。伝説の蔽いをとり去った時、私たちは真実のルソーを発見するどころか、彼はかえって遠のいてしまう。なぜなら、伝説は彼の一部なのだから。彼に近づく方法は、たぶん彼と同じようにすることだろう。つまり、伝説も一つの真実とみなすこと。 ――岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』

伝説、虚構、物語。人はそういうものと一体。
ルソーに限らず、誰でも。

2021.9.24 fri. link

わたしは北インドの人物で、名はゴータマ・ブッダ
紀元前7世紀、紀元前6世紀、紀元前5世紀のどれかの時代に生きて
今から死ぬところです、涅槃にて
それにしても首だけとはどういうことか
身体を欠いた首だけのわたしが涅槃にころがっている

2021.9.23 thu. link

西洋絵画を学んだ歌川国芳が浮世絵に影を導入したという。
――L'eclat des jours(2021-09-22)

影の有無の問題。
絵画や漫画で人や物に影をつけるかつけないか。
リアルを志向すると影がつくようだが。
ならば、リアルとは?

杉浦日向子「崖」

関連: 9月12日記事

2021.9.22 wed. link

右手に絵筆、左手にパレット
涅槃で待ち受けるアンリ・ルソー氏

ルソーの肖像画では、モデルはほとんど真正面を向いている。いや、風景画でさえ、木々の葉が正面を向いていることが多い。肖像画を描く場合、彼が記念写真を使ったことはよく知られている。「砲兵たち」や「田舎の婚礼」は、その典型的な例である。そこに、正面向きの多い理由を求めることもできよう。――岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』

周囲は密林
いつものように飢えたライオン、ジャガー、ワニ
横たわる首だけの涅槃像

2021.9.21 tue. link

あのな、チャーリー
そう心配するな
会計係はいないも同然
パーカー博士も知るはずはない
闇夜の口笛、な
――闇夜の口笛、な|mataji|note

詩を作るのは簡単という例。
文章を短く区切って改行すればいい。それだけで詩らしくなる。
散文には大量の詩が隠されている。
センテンスを改行でばらしてやると、詩が現れる。
なので、信じて行え。

2021.9.19 sun. link

起源をどこまでさかのぼるか。

金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。 ――日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説:朝日新聞デジタル

縄文人の祖先集団はおおよそ 20,000~15,000 年前に大陸の基層集団から分かれ,初期集団は 1,000 人程度の小さな集団サイズを維持していたことが分かりました。そして,弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団が,古墳時代には東アジアの集団がそれぞれ日本列島に渡ってきたことが明らかとなりました。本研究では,自然人類学においてこれまで主流であった「日本人の二重構造モデル」をさらに発展させた,「日本人の三重構造モデル」を新たに提唱しました。 ――パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造

起源の認識について。
昨日の記事では「いつ、どこまでさかのぼるか」としたが、もっと詳しくは「いつの時代のどの場所までさかのぼり、どのような手法で」など。
上の研究では、金沢でみつかった1500年前の人骨を解析することで、現代における日本人集団のゲノムが、縄文人、弥生人に加え、東アジアから渡来した古墳人の3つの祖先集団で構成されていると結論。
昨日の折口信夫の場合は、古典を読み解くことで、われわれの祖先は海の彼方からやってきたとした。(折口の言う「われわれ」については要考究)

2021.9.18 sat. link

われ/\のオヤたちの、此の国に移り住んだ大昔 ――折口信夫 妣が国へ・常世へ 異郷意識の起伏

十年前、熊野に旅して、光り充つ真昼の海に突き出た大王个崎の尽端に立つた時、遥かな波路の果に、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかつた。此をはかない詩人気どりの感傷と卑下する気には、今以てなれない。此は是、曾ては祖々の胸を煽り立てた懐郷心(のすたるぢい)の、間歇遺伝(あたゐずむ)として、現れたものではなからうか。 ――同前

祖先とか、ルーツとかは、選び取るもの。
それぞれの好み。いつ、どこまでさかのぼるかでも変わってくる。

私どもの祖先の、海岸を逐うて移つた時代 ――折口信夫 古代生活の研究 常世の国

海を越えてやってきたわれわれの祖先は、海から離れるのをいやがった、と。
「海岸を逐うて移つた」は、大江匡房「傀儡子記」の「傀儡子は定居なく、当家なし。穹盧氈帳、水草を逐って移徙す」を思わせるが、折口はここでは触れていない。

2021.9.17 fri. link

ごぶさたです。ローマからです。

ファシストのグラフ誌は演劇に資すると当時の人も言ってました。この連中は茶番に歴史の色彩をほどこす叙事的演劇の技法を心得ている、と。
ヴェネチア宮殿のドゥーチェの執務室で長い会談が終わったところです。
ドゥーチェにいとまごいをするドイツ帝国外務大臣リッベントロープ。
右にイタリア外務大臣ツィアーノ伯爵。
ドイツ帝国大臣の背後にローマ駐在ドイツ大使フォン・マッケンゼン。
左にベルリン駐在イタリア大使ディーノ・アルフィエリ。
記念撮影の配置は以上のようでした。彼らの右に三つ子のマフィア。

――ローマ便り - Magazine Oi!

2021.9.16 thu. link

斎藤幸平との対話でマルクス・ガブリエル曰く、

フェイスブックが登場する前にも、嘘が蔓延していたというのは、真実ではありません。嘘は事実よりも速く伝播することをデータ研究は示しています。さて、これらの研究を行ったのは誰ですか? もちろん、フェイスブックやグーグルと密接に結びついた人々です。だから、フェイスブックやグーグルはこの事実をよく知っている。なので、嘘の蔓延は彼らのマーケティングの方法にすぎない。彼らは、現実で何が起こっているのかを人々に見ないでほしいのです。 ――丸山俊一+NHK「欲望の時代の哲学」制作班『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学するII――自由と闘争のパラドックスを越えて』

すなわち、嘘は GAFA が作り出しているのだ、と。
彼らが振りまく嘘の核心は、「われわれは現実を知ることができない」というもの。
哲学の装いをしたでたらめであり、プロパガンダである。

いや、われわれは知ることができる、というのがガブリエルの立場。
信念としては尊いが、判断としてはどうか。

2021.9.12 sun. link

われわれの確かな信仰によりますと、人が死ぬ一月前に影はその人の身体を離れることになっています。 ――アポリネール「消えた影」

人とその影が離れてしまうという想像、あるいはお話。それらはいつごろからあったものか。近代以降?
――――
日本にとって必然性のないところを取ってしまった。

そもそも日本人が昔からいた土地でもなく、縁も薄いのに、日露戦争でさまざまな利権をロシアから奪い取ってしまい、 ――加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」 - 紙屋研究所

2021.9.11 sat. link

今朝の夢。静ちゃんが帰ってきた家。母屋の隣にあずま屋という配置。どちらも藁葺き。
雑草の伸びた庭。ところどころにテレビが捨ててある。
雑草の上をすべっていくカメラ。どこまで行ってもテレビが草に埋もれてる。すでに数十台。ブラウン管方式のも多い。
静ちゃんは女性。静江?
――――
眠って、笑って、寝て、寝て、草の中に落ちて、草の中に落ちて、雲の下で眠り、片手を静かな胸に置き
首は露草に埋もれ
銀の呪文を空に引っ掛け
若い兵士は口を開けて、雲の下、眠って、雲の下
……

――寝て、寝て、草の中に落ちて|mataji|note

2021.9.10 fri. link

ドルムザン? 誰だっけ、それ、と今日になって言っている。

あらゆる芸術はすでに行き詰まっている、とドルムザン。
自分の絵はすべて焼いてしまった。
15万行の詩も引き破いた。
そのようにして美学の自由を確立し、アリストテレスの逍遙学派にならって新しい芸術を発見した人物、それがドルムザンだった。

四六時中うわの空。

今日たまたま読んだ『寺山修司幻想劇集』の「解説」に中原祐介の批評が引用されていて、高円寺で街頭劇として上演された「地球空洞説」につき、

ドルムザン男爵のような口上師、あるいは狂言まわしがいる。この口上師が寺山修司流の「アンフィオニィ」をくりひろげるのである。

とあり、はて、どこかで聞いた名前だが、と。
アンフィオニィとは、ドルムザンが自身で発見したとする芸術につけた名前。アンフィオニィを創り出す者をアンフィオニィ作者といい、アンフィオニィは作者が街を歩き回ることで作られる。

2021.9.9 thu. link

アポリネールの短編「贋救世主アンフィオン――ドルムザン男爵の冒険」の主人公アンフィオンことドルムザン男爵は、一時期パリ市内を巡る外国人客向けの観光バスでガイドをしていた。
この短編を収める作品集『異端教祖株式会社』は1910年刊だから、ドルムザンのガイド歴は遅くとも1910年以前でなければならない。ある版(窪田般彌訳)の末尾に「1899-1910」とあるのを男爵の冒険が行われた時期と見れば、彼がバスガイドをしていたのは1899年から長くても1901年まで。1901年に彼は犯罪的なドキュメンタリー映画事業をはじめて大もうけする。

参考: 以下は Wikipedia の「定期観光バス」の項による。
ドルムザンのケースは乗合バスではなさそうだから、時期の比較は要注意。

案内人を添乗させた乗合馬車・乗合自動車のはじまりは、第1次世界大戦(1914-1918)後のヨーロッパで起こった古戦場巡りとされる。ほぼ同時期にロンドンやパリでは乗合の市内観光バスが運行されていた。
東京で初めての定期遊覧乗合バスは1925年(大正14年)12月に運行開始。東京遊覧乗合自動車および東京乗合自動車による運行で、上野を起点として日比谷公園・銀座通り・愛宕山・明治神宮などを遊覧、戦時色が濃くなる1940年(昭和15年)9月まで運行。

2021.9.8 wed. link

月が木星化している。
あちこちで地面がガス状に沸き立っている。
聞けば、地球もだという。


今年のはじめ、春の到来を前に
月に向かって飛び立った雁の群が
今になって地球にもどろうとしているのだが、
その地球も木星化しているとすれば
何を言ってやったらいいのか。

Jupiterize、木星化。