oi-quot no.15

[2021.8.19 - 2021.9.7]

2021.9.7 tue. link

酔っ払った象のカリスマ。
ドナルド・トランプがアメリカ大統領に選ばれたわけ。

クルーゲ: マックス・ウェーバーは「酔っぱらった象のカリスマ」という表現を使った。今、その話を書いているところです。人は、健康で、強くて、いけないことを全部やって、陶器を踏みつけて、明らかに酔っ払っている人を見ると、喜んでついていきます。それと同時に、自由というものがある。まるで小説で自分を慰めているかのようだ。受け入れられない現実の中で、私はあらゆる可能な現実逃避の方法を探します。

聞き手: それは、人々が憎しみや軽蔑、移民への嫌悪やグローバル化への恐怖からトランプに投票したというよりも、もっとポジティブな説明のように聞こえます。一方、酔っぱらった象のトロットでは、人々は展開したがる。彼らは、あらゆる美徳の中で最もアメリカ的なものである「自由」を求めています。

クルーゲ: (……)カルヴァン主義者は、神の恵みは恣意的であると考えます。誰に前もって恵みを与え、誰に与えないのか、彼は言いません。善行だけでは、彼を買収することはできません。私たちは、銀行口座にお金がある、家がある、育ちの良い子供がいるといった地上の幸せが、神の恵みを示唆しているというサインを読み取ろうとします。だから、例えば公の場で転んだ人には絶対に投票しない。なぜなら、それは神の指が彼を守っていないことを示しているからです。一方で、トランプタワーを建設し、誰もが思っていたフロリダ出身のあのブッシュ兄弟のように、圧倒的な相手を押しのける人、ありえない側に運がある人、ジェスチャーを巧みに使い、人差し指を簡潔に前に伸ばし、常に心臓に手を当てている人、それが彼の意味するところです。善き主は、この人を選ぶための経典を残してくれているのです。

2016年のアメリカ大統領選直後にドイツの日曜紙 Welt am Sonntag が、映画監督・文筆家・哲学者のアレクサンダー・クルーゲに行なったインタビューから。DeepL による自動翻訳。

原文: Alexander Kluge: „Trump hat das Charisma eines betrunkenen Elefanten“ - WELT
Kluge: Bei Max Weber gibt es den Ausdruck vom „Charisma des betrunkenen Elefanten“. Da schreibe ich gerade eine Geschichte drüber. Menschen sind folgebereit, wenn sie jemanden sehen, der gesund ist, stark, alles macht, was nicht erlaubt ist, der das Porzellan zertrampelt, offenkundig wie besoffen ist. Gleichzeitig hat das etwas von Freiheit. Das ist so, als wenn einer sich mit einem Roman tröstet. In einer Wirklichkeit, die ich nicht akzeptiere, suche ich mir jeden möglichen Weg, der aus der Wirklichkeit herausführt.

Welt am Sonntag: Das klingt nach einer positiveren Erklärung als der, dass die Menschen Trump aus Hass und Verachtung gewählt hätten, aus Widerwillen gegen Einwanderer und Angst vor der Globalisierung. Im Tross des betrunkenen Elefanten wollen sich die Menschen hingegen entfalten. Sie streben nach Freiheit, der amerikanischsten aller Tugenden.

Kluge: Ein (……)Calvinist glaubt, dass Gottes Gnade willkürlich ist. Wen er mit Gnade vorab versieht und wen nicht, sagt er nicht. Durch gute Taten allein können wir ihn nicht bestechen. Wir versuchen, die Zeichen zu lesen: irdisches Glück – Geld auf dem Bankkonto, ein Haus, gut geratene Kinder – lassen auf die Gnade Gottes schließen. Ich werde also niemals jemanden wählen, der zum Beispiel in einer öffentlichen Veranstaltung umfällt. Denn das zeigt, dass ihn der Finger Gottes nicht schützt. Wer hingegen einen Trump Tower baut und übermächtige Gegner wegpusht – wie diesen Bush-Bruder aus Florida, von dem alle dachten, er wird es –, wer immer auf der Seite des Unwahrscheinlichen Glück hat, wer seine Gesten so geschickt einsetzt, den Zeigefinger so prägnant nach vorn streckt und sich dauernd die Hand aufs Herz legt, der bedeutet damit: Der liebe Gott hinterlässt uns eine Schrift, diesen Mann zu wählen.

関連記事: 酒を飲んで暴れる象

2021.9.6 mon. link

ハンマーだけが追いかけます
それが再び来る、私たちは避けます
それでもハンマー、危険なハンマーは
再び私たちを攻撃します

私たちは、ステップ踏んで
もぐらの穴にトンネル掘って
逃走します、あなたがどのように
私たちを追いかけてきても

それでも、しつこく
あなたはハンマーを振り上げて
追いかけてきます
あなたは愚かで、そしてこの馬鹿

タイトルは「もぐら叩き男性の唄」。
歌詞を読み返すと、もぐら叩き男とはわたしのことでもあるらしい。


わたしはもぐらの立場で、もぐら叩き男をからかっている。
そういうつもりの歌詞だったのだが、じつはからかわれているのが私だという。
誰がそんなことを言ってるのか。
もぐらたちである。
彼らによれば、わたしこそがもぐら叩き男なのだと。


わたしは愚かで、そして馬鹿。目についたもぐらを、ただ叩いてまわってるやつ。
戦略も戦術もなく、叩く快感に駆動されてハンマーを振り回す、それしかできない条件反射男。


責めてるつもりが責められて、
あなたもわたしも、また、また、たまにはここに来て
一緒に逃走しませんか?
と誘われてるのが、わたしらしい。

2021.9.5 sun. link

ブッダはほんとうは何を考えたか。彼が考えたとされることの意味は?
同じく、イエスは何を考えたか。
そうした問題の立て方。教えを解釈し直すこと、洗練させること。

それとは逆のアプローチ。
抽象から具象へ。彼ら教祖のいた光景を思い浮かべること。
最後の晩餐 - Wikipedia

たとえば、「おまえたちのうちの一人が、わたしを売るだろう」とイエスが弟子たちに言ったという。
このことをただ外側から描いて、内側の解釈には踏み込まない。そのような志向。

ある思想家がほんとうは何を考えていたか。
膨大な著作を残した近代の思想家にも同じことが言える。
マルクスは何を考えていたか。
「歴史は繰り返す。最初は悲劇として、二度目は喜劇として」
と彼が『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の冒頭に書きつけたときの光景――マルクスのいる光景――を思い浮かべてみること。
帝政の復活を見せつけられて、パリの路上で地団駄を踏むマルクス。そこまで虚構化するのは嫌だというなら、ロンドンの書斎で「我ながらうまい表現を考えついた」とニンマリするマルクス。
抽象より具象。テキストよりイメージ。

「悲劇」も「喜劇」もそれ自体はテキストだが、読者の眼前に「舞台」という具象を浮上させる。
マルクスの説得力は、巧みな具象的表現に多くを負っている。

抽象を具象で置き換えることは、ベンヤミンの思考・表現においても基本的。
ex. 「イメージ」の「星座」による置き換え。

2021.9.4 sat. link

浮木につかまって海を漂う。
シャチに食われる。
つまらない人生だったが、最期もひどいなと思う。笑うしかないくらいひどい。
でも笑えない。
他人の目を前提としない自嘲は可能か。
自嘲というのは一種の甘えで、他人の目を意識してないと出てこないのではないか。他人に笑われる前に自分で先に笑ってやりすごす。甘えというより用心か。傷を浅くするための処世術。
だとしたら、シャチに食われても笑えない。誰も見てくれてないのだから、笑っても無駄。
そんなことを考えたのに、気がつくと自分が笑ってる。
こんな時に笑えるとしたら、その人は(または俺は)仏ではあるまいか。それも最上級の悟りを得たような。
三身仏性具せる身と、とか言ってみる。

2021.9.3 fri. link

長い無断欠勤のあと、昔の小学校めいた庭でポールの結婚式が行われる。
実際、小学校なのかもしれない。

式場のアドレスはこんな感じで、もっと長い。
TeGH.H6hi7, rgoWp.32023-w2, Paris


現場にゆくのが面倒でポールは自宅にいる。ソファに寝転がってモニターで自分の式を見ている。
そこへ J. B. ジュニアから電話がかかってくる。以前アメリカで大統領をしてた人らしい。
「ジャンを返してくれんかね」とジュニア。「君がジャンを誘拐したことはわかってる。返してくれるね、またいとこなんじゃよ」

ジャンとポール


ジャンとポールは、一方が他方をさらうと、他方がさらい返す仲。
ジャンがポールをさらう。すると、ポールがジャンをさらい返す。さらにジャンがさらい返し、またポールがさらい返す。
そういう日々がいつまでも続いて、きりがない。
ジャンがさらわれるたびに大西洋を越えて J. B. ジュニアから電話がはいる。
ジュニアはあいかわらず機嫌がいい。
どうやら酒を飲んでいる。アル中の噂はほんとうらしい。昔の人なので米軍がアフガンから撤退したことは知らない。

2021.9.2 thu. link

酒を飲んで暴れる象。

政治の難問はじっくり考えて穏健に解決されるのではない。なんとなく空気が読まれて何かが決まるのでもない。あれか、これか、どちらをとっても危うそうな決断は、カリスマによって非合理になされるものだ、とマックス・ウェーバーは考えた。
かつて将棋の駒に「酔象すいぞう」というのがあった。
酔象は相手陣に入ると、「太子」になって「王将」と同格になる。
酒を飲んで暴れる象のことがウェーバーの『ヒンドゥー教と仏教』にあり、彼のいう「決断」とは、そんな象のイメージだったのではないか。
ドナルド・トランプが合衆国大統領に選ばれた時、ある映画監督はウェーバーに言及しながら、「トランプは酔っ払った象のカリスマを持っている」と述べた。

以上、野口雅弘『マックス・ウェーバー――近代と格闘した思想家』による。

醉象(すいぞう)は、将棋の駒の一つ。本将棋にはなく、小将棋・中将棋・大将棋・天竺大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋・大局将棋に存在する。酔は新字体。醉象とは「発情して凶暴になった雄の象」もしくは「酒に酔って暴れる象」という意味で、仏教では凶悪な心のたとえに用いられる語であるが、なぜ将棋の駒の名前になったかは不明である。 ――醉象 - Wikipedia
――――

1918年11月8日、バイエルン共和国が成立。ユダヤ系ドイツ人で社会主義者のクルト・アイスナーが暫定首相に。

1918年11月23日、バイエルンの旧政府が保有していた第1次大戦の開戦に関する情報を、アイスナーが公開。これによってアイスナーはドイツの戦争責任を認め、革命政府の正当性を示そうとした。
マックス・ウェーバーは公文書の公開にきわめて否定的で、「国益を害する公文書を一方的に公開しても真実は明らかにならない。情念が乱用され、逆に真実は曇らされてしまう」と。この論は平和主義者、社会主義者らを落胆させた。

1919年1月、パリ講和会議はじまる。アイスナーが公文書を公開したことで、ドイツ側に不利な交渉となる。

1919年1月28日、アイスナー政権下のミュンヘンで、ウェーバーが講演「仕事としての政治」を行う。ウェーバーはこの演題に難色を示したが、依頼に来た学生から、ウェーバーが引き受けなければアイスナーに頼むと迫られて、やむなく引き受けたという。この時期のウェーバーは徹頭徹尾、アイスナーに対して批判的であった。

1919年2月21日、右翼の青年将校アルコがアイスナーを刺殺。

1920年1月、死刑宣告を受けていた暗殺犯アルコが恩赦を受ける。数日後、ミュンヘン大学で行なった講義でウェーバーがアルコを非難すると、学生たちが激しいブーイングを浴びせ、講義は途中で打ち切られた。


以上も野口雅弘『マックス・ウェーバー』による。

2021.9.1 wed. link


退院した。というか逃げ出してきた。
顔は壊れたままだが、かまわないことにする。――ということにした6年前の日記

2021.8.31 tue. link

実にたいした機械でしてね。

『審判』や『城』を読めば――と著者――偶然的な事柄が必然性と無謬性の前提のもとで「宿命」に変えられていくホラー的な状況を体験することになる、と。
『流刑地』でも同じ。

実にたいした機械でしてね――と、学術調査の旅行者に流刑地の将校がいう。

「ベッド」「馬鍬」「製図屋」という三つの部分からなる死刑執行の装置は、まさに官僚制的な組織の作動様態のメタファーになっている。
装置の一貫性と規律化への志向、
訓練された無能力、
不具合が頻発する現実と無謬性の神話、
内部の構成員のプライド、
組織の外からの冷ややかな評価や嘲笑、
求められる経費削減(行政改革)、
マシーンの原理を理解することなくとりあえず服従する職員、
『流刑地』で描かれた装置は官僚制のある側面をきれいに表現している。

以上すべて、野口雅弘『マックス・ウェーバー――近代と格闘した思想家』による。
もうやめたい(昨日)と言いながら、続きを読んでいる。
著者曰く、ウェーバーは官僚制の表の顔を理念型的に記述し、カフカはそれを小説の形で裏から書いた、と。
理念型(Idealtypus)はウェーバー自身の用語という。ex. 官僚制を「思考の上で高められた一つのユートピア」として構成し、その理想形において扱うこと。

2021.8.30 mon. link

そう思われたらおしまいなことはある。「馬鹿なやつだ」と思われたら、もう何を言っても通じない。「えへへ」と笑って、馬鹿として生きるしかない。

そんなことより今は仕事だ。
渋谷駅で待ち伏せる。
井の頭線から降りてくる連中をつかまえて、レントゲン車に連れ込む。
「バン!」と大きな音をたてて机を叩く。びっくりした患者がスタンドにかじりついて動きが止まったところで撮影ボタンを押す。
解放されてレントゲン車を出た患者が、妙な顔でこちらを見ている。気にしなくていいのに、細かいやつだ。
――――
真理でさえも。

たとえ内容そのものが正しくても、プロパガンダをつうじて指導する者とされる者とがそこで相会する共同体は、嘘の共同体である。真理でさえも、プロパガンダにしてみれば、支持者を獲得するという目的のためのたんなる手段となる。〔…〕疑わしいのは現実を地獄として描くことではない、そこからの脱出を勧めるありきたりの誘いが疑わしいのである。 ―― ホルクハイマー、アドルノ『啓蒙の弁証法』

野口雅弘『マックス・ウェーバー――近代と格闘した思想家』から孫引き。
ウェーバーに時間を取られたくない。手早く切り上げるのに向いた参考書ということで選んだ本なのだが、向いてるどころか、「真理でさえも、たんなる手段」と、そんな泥濘を見せてもらえるとは。

政治とか、社会とか、やめどきか。「もうしません」と人も言ってるし。

2021.8.29 sun. link

誠実は諸刃の剣で
しかも、どちらの刃も俺に向けられている

そこへ近所の大人が現れて
よく言うよ、おまえのどこが誠実なのだ
にっこり笑って人を斬れ、と

たぶん励まされたのだろう

2021.8.28 sat. link

porn montage.

なつかしいな、あの頃はみんなこんなだった
人と人との距離が今より広くて
それぞれ、ほどほどの近さで付き合って
出会いや別れもあるけれど、それもほどほどで
つらくて死んでしまうとか、うれしすぎて心臓が破裂とか、そんなことはめったになくて
死ぬときは電線からポトリと落ちて、寿命だからそれでおしまい
死骸は清掃車が拾っていってくれたんだっけ?
葬式とかの面倒もなくて
そういえば、あの人このごろ見かけないな、死んでしまったのか
ふとそんなことを思っても
その、あの人というのが、どこの誰だったか
記憶はもうあいまいで
そこはかとない喪失感と心地よさ

2021.8.27 fri. link

彗星の起源と本性、および現在
トレルコフスキーはステラを映画に誘って暗がりで胸をもむ
清兵衛はリヤカーに瓢箪を積んで捨てにいく
詩人にしてガンファイター、不動産投資家でもあるキム

書評的あるいは書評風

2021.8.26 thu. link

今年5月になって既婚者の女性巡査が県警に申告して発覚。メールを送って復縁のきっかけを作った男性巡査をより重い処分とした。2人は「もうしません」と話しているという。県警は「同じ過ちを繰り返しており、不倫関係が続くようなら今後は分限処分も検討する」としている。 ――不倫で処分された男女の巡査、復縁して再び処分 「相手への思い断ち切れなかった」|総合|神戸新聞NEXT

「もうしません」と。

2021.8.24 tue. link

昨日の記事のジャン・ポールらは、「モンマルトルの仲間である作家や芸術家」という設定。このジャン・ポールはサルトルを思わせる。
短編集『壁抜け男』の表題作にもジャン・ポールが出てくる。こちらのジャン・ポールは画家でギターを弾く人物。
――――
豚はころりと、豚はころりと
谷の底からよせばよかった
舐められて、山門の甍(いらか)を隠す、餅や

――はやり歌|mataji|note

2021.8.23 mon. link

2月10日
非生産的な無用者、すなわち老人、退職者、年金生活者、失業者、その他を死なせる方法が検討されているという。
根本的には正当な政策と考えられる。

2月12日
セーヌ県の県会議員から聞き出したところだと、じっさいに無用者を殺すわけではなく、彼らの生きている時間を制限するのだという。
無用者たちはそれぞれの無用性に応じて1カ月のうち決まった日数だけ生きられるとのことで、その時間を記したカードが各人に配られる。よくできた策であり、詩的ですらある。

2月13日
新聞で発表された政令によると、作家は無用者に含まれるという。この措置が画家や音楽家に適用されるのはかまわないが、作家は違う。作家の有用性は証明できるものではない。
私は1カ月のうち2週間しか生存を許されない。正義の否定である。

2月16日
県会議員に電話して博物館の門番か守衛の仕事を見つけてくれるよう頼むも、すでに手遅れ。彼が自由にできる仕事の枠は残っていないという。
作家が無用者に含まれることを教えてほしかった責めると、「すべての無用者と言ったつもりだ」との返事。

2月18日
時間カードを受け取るため区役所で3時間の行列。
セリーヌ、ジャン・ポール、ダラニュス、フォーショワ、スーポー、タンタン、デスパルベス、その他の連中がいた。
セリーヌは暗い表情をして、これもやはりユダヤ人の策略だと語った。

以上、マルセル・エイメの短編「カード」の冒頭部分の要約。邦訳短編集『壁抜け男』による。
2月18日の項にある人名はすべて実在の人物を指しているらしい。ジャン・ポールは姓が書かれてないが、サルトルか。
エイメがナチスドイツの占領下でユダヤ人を擁護し、戦後はセリーヌの救済に奔走したこと。

2021.8.22 sun. link

マルタンは、男の口の両端に金歯を五、六本見つけてびっくりした。彼は金というものを実用品ではなく飾りと考えていただけに、なおさらおどろくべきことに思われた。もうずいぶんまえから、歯はとても丈夫だったのに、二、三本抜いて金で口をかざりたいと彼は願っていた。金色の口と縁の丸い黒帽子とがかもし出す豪華で優雅な調和を想像することはまことに楽しいことだった。一人の人間の等級をきめるのは、往々にしてそういう細かな点なのだ。もちろん女たちは接吻するとき、そのような豪華な趣味を愛するのだ。自分の夢が牡羊男の口で輝いているのを見て、マルタンはいささか憂鬱になった。先祖伝来の宝石が下品な食料品屋のかみさんの胸や手に飾られているのを見て悲しむ破産した貴族の気持に似ていた。 ――マルセル・エイメ「パリ横断」

引用は中村真一郎訳のエイメ短編集『壁抜け男』(1976年、早川書房)から。
邦訳版の著作権表示によると、収録作品の著作権設定は1943年か1947年。翻訳権の取得は1963年。
装身具としての金歯の地位。

ストーリーの軸は、一頭分の闇の豚肉を二つのカバンに詰め、夜のパリ市内を運ぶ二人の男のやり取り。
1956年に映画化。

2021.8.21 sat. link

(現実世界ではない)演劇的世界の、(初演ではない)再演において、(有名な俳優ではない)無名の代役が演じる、主人公の盗賊の「代わり」のメフィストが、盗賊の(実母ではない)代母の策略によって、彼の魔法の衣裳に縫いつけられた(表でない)裏地のために魔力を失い、(盗賊が最初にもっていたのではない)代りの剣で盗賊に殺される、という舞台上の場面を見ている「私」の物語 ――塚原史「レーモン・ルーセルの世界」(『ダダ・シュルレアリスムの時代』)
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「新・アフリカの印象」解読機
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階下から話し声が聞こえる
父「・・・・んとに、いろいろ申し訳な・・・・」
伯父「・・・れでゆうちゃんも自立するだろ・・・」
母「・・・盆明けから、あちらの国に移住ということで・・・」
伯父「・・・必要なものは揃ってるからただ行けばいいから・・・・」
Сикорский「・・Россия с проблемой возобновления
      железнодорожного транспорта」
父「・・・れで肩の荷が下りるよ・・・・」
母「・・・なんとお礼を言ったらいいのか・・・・」
伯父「・・・・はいい会社だから、ゆうちゃんもしっかり働・・・・」
Сикорский「・・・Не стоит беспокоиться,
      если я еще молодой 34 лет」
父「・・・まぬ・・・・すまぬ・・・・」
母「・・・ありがとうございます。ありがとうございます・・・・・」
Сикорский「・・・Да здравствует народ России
     Владимир Путин все дружественные!・・・・」
伯父「まあちょっと寒いから服だけは持たせ・・・・」

――【遠泳】「国後島から泳いできた」亡命希望のロシア人が北海道に上陸 ★2 [ブギー★]

2021.8.20 fri. link

古坂くんにはお兄ちゃんがいて、以前「ボキャブラ天国」という番組で超売れっ子だったらしいが、その後売れなくなってしまい、起死回生をはかって相方とバンドを結成した。
古坂くんに誘われて、そのバンドのライブを見にいった。
ピーヒョロロ、ピーヒョロロと笛が鳴って、古坂くんのお兄ちゃんが、
「サンバじゃねえよ、ネブタだよ〜〜〜〜〜!!!」
と叫ぶと、うおおお、と観客の大歓声。お兄ちゃんが「サンバ!」と叫ぶたびに観客はぴょんぴょん飛び跳ね、このフレーズの繰り返しだけで20分もたせて休憩。
再開後、またお兄ちゃんが「サンバじゃねえよ、ネブタだよ〜〜〜〜〜!!!」と叫ぶ。古坂くんにきくと、歌はこれだけだといい、朝4時までこの一曲で乗り切ってしまった。
私はお兄ちゃんのファンになり、CDを買って聞きまくった。

ライブがあったのは今から20年ほど前。
察しのとおり、古坂くんのお兄ちゃんとはピコ太郎と名乗って「ペンパイナッポーアッポーペン」で再ブレークした古坂大魔王のこと。
栗原康の書評集『アナキスト本を読む』のうち、自著『死してなお踊れ――一遍上人伝』について書いた「国土じゃねえよ、浄土だよ」による。
――――
私は祈る、祈りに目を添付する
しかもビームは無花果の帽子
動作が目立つ who、裸の署名と Masuru の柔術

――昨日、Wiru の栗の木|mataji|note

2021.8.19 thu. link

自分が思うようなことは、すでに誰かが思っている。
それも自分より真摯に。
用語を誰がどんな意味で使っているか、そんなことは気にしない。自分勝手に使え。

アナキズムを無政府主義と訳すべきではない。
政府や国家はある。それらがなくては人間社会はやっていけない。それらがない社会を夢想するのではなく、それらの存在は認めた上で、だがそれらを信じるなという戒め、それをアナキズムという。

谷岡ヤスジ「アギャギャーマン」

――oi-quot no.13