quoteds no.17

[2021.10.17 - 2021.11.16]

2021.11.16 tue. link

近所の住人たちはあたふたと警察を呼びに行った。彼らは二人の判事、五人の探偵、十四人の警官を連れて戻ってきたが、見れば家のなかはすっかりきれいに片づいて、ニコラス商会地方代理人シャルル・デュポン氏が借家人に納まっていた。 ――H・アルプ、V・ウィドブロ「深夜城の庭師」(種村季弘訳)

ある家で悲鳴があがり、近所の人たちが駆けつけると人が殺されていた。
そこで人びとが警察を呼びに行き、もどって来ると、死体をふくめて部屋はすっかり片づき、デュポン氏なる人物がすでに借家人として納まっていた。――というのが上のくだり。
ついで、そのドイツ・シェパート氏(なにが「その」なのかわからないが)なる人物が犯人探しにやってくる。シェパート氏はデュポン氏そっくりに変装したというのだが、借家人のデュポン氏がデュポン氏本人なのか、それともデュポン氏に化けたシェパート氏なのかの説明はない。デュポン氏、シェパート氏の名前が出てくるのはここだけで、以前、以後の消息は不明。

2021.11.14 sun. link

相手の態度のあまりの急変。
うしろに目がない。
黒檀の大時計の前に立って、ゆだんなくピストルを構える。
閣下の、大統領の直命だという。検事の令状を持参しているという。神妙にしろという。
もしかすると、時計? それなら辻褄はあうのだが。
それ以前の問題として、うしろに目がない。

「波越さん、波越さん」
と、そのころ警部補だった波越さんを呼ぶ。
相手の態度が急変して、うしろに目がない。

2021.11.13 sat. link


ある種の小説、映画、漫画の不思議。
日常の感覚に反することが起きているのだが、謎解きがない。

謎を解かないのだから、それらは推理小説ではない。
それらは怪談でもない。怪談は因果を語る。
SFでもない。SFは説明する。
悲劇でも喜劇でもない。悲劇や喜劇は出来事に意味を見る。
シュールレアリスムでもない。シュールレアリスムは、それが異常な出来事であることを自分から言う。必ずしも言葉で言うわけではないが、語る。たとえば、ダリ、マグリット。

2021.11.11 thu. link

自分がいる場所を舞台にする。

Simon Doonan: Confessions of a Window Dresser

2021.11.9 tue. link

今朝の mataji-bot は、昨日の記事にあわせたかのような「ルンバの掟」。

そんな掟は知らん
と言い張っても
通用しないのが掟というもので
わたしは Take Toshii です
キャバレーで働くことの夢が鎌倉
ルンバの掟

――ルンバの掟|mataji|note

終わりから2行目、旧稿は「牧場で働くことの夢がしいたけ」だったのを note.com への投稿時に変更。
なぜ、「しいたけ」が「鎌倉」に変わったか。
意識していたのは、おさまりの良い単語ということだったのだが。
自分で能動的に変えたというより、いま思うと受動的・無意識的な変更だったか。

2021.11.8 mon. link

1965年から1997年までザイール(現コンゴ民主共和国)を統治していたモブツ・セセコは、「歌い踊る者は幸せである」という言葉を口癖のように言っており、文化を国家資源とすることを精力的に推進していた。この時期、ザイールのポピュラー・ダンス・ミュージック(la rumba zaïroise)は、サハラ以南のアフリカの多くの地域で、ある種のムジカ・フランカ(共通語)となりました。しかし、甘美で喜びに満ちたサウンドで知られるこの特権的な文化表現は、アフリカ大陸で最も残忍な権威主義体制の下で、どのように繁栄したのでしょうか。コンゴ民主共和国におけるポピュラー音楽の初の民族誌である『Rumba Rules』では、ボブ・W・ホワイトが、経済的な側面だけではなく、コンゴ民主共和国におけるポピュラー音楽の歴史を検証している。ホワイトは、この強力な音楽業界を屈服させた経済的・政治的状況だけでなく、不安が高まる中でポピュラー・ミュージシャンが社会的な存在であり続けようとした方法についても検証しています。

Rumba Rules: The Politics of Dance Music in Mobutu's Zaire の紹介文を www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳

2021.11.5 fri. link

K I N O D A S E I N on Twitter

2021.11.1 mon. link

File:Zürich - Spiegelgasse 14 - Lenin IMG 1325.jpg - Wikimedia Commons

わたしたちのすぐ近くの同じシュピーゲル横町ガツセにレーニンが住んでいた。彼にはもちろんわたしたちの出し物を見にくる暇がなかった。声高い、騒音のコンサートを彼は多分聴き取っていたにちがいないが、しかしそれにはけっしてわずらわされていなかった。昼間には、不屈の無表情な顔で、書類鞄を腕にかかえ、考え込んで通りをおりてくる彼の姿が時折みかけられたし、夜、わたしたちがカバレーから住居へ引きあげていくときには、窓にまだ明かりがついているのがみえた。
――E・ヘニングス「カバレー・ヴォルテールとギャルリー・ダダの回想」(『ユリイカ臨時増刊』、1979年3月)

Lenin in Zürich: Eine Tafel fürs Selfie vor der Spiegelgasse 14
――――
初期の代表作に「冬の波冬の波止場に来て返す」「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」「天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし」などがあり、西欧詩に学んだ詩的実験を定型俳句で展開し、俳壇の内外で評判を得た。俳句、詩、評論の分野でさかんに発表し、1972年に文筆家として独立。江戸俳諧研究にも取り組んだ。句作も後年は江戸趣味・俳諧趣味に傾き「小細工の小俳句できて秋の暮」「俳人も小粒になりぬわらび餅」のような句を作った。
――加藤郁乎 - Wikipedia

2021.10.31 sun. link

戦前、戦中、そして戦後にかけて、渡辺白泉は最もダダ的俳句をつくりつづけた俳人であった。

  憲兵の前で滑つて転んぢやつた
  戦争が廊下の奥に立つてゐた
  銃後といふ不思議な町を丘で見た
  夏の海水兵ひとり紛失す
  監視艇全員泥酔明日出帆

(……)たとえば、戦後のダダ風俳句を三句選ぶよう求められたら、即座に、次の二句を挙げるだろう。

  まんじゆしやげ昔おいらん泣きました  渡辺白泉
  セレベスに女捨てきし畳かな      火渡周平

こちたき百のダダ論議より、これある哉の一句を詠むか探すにこしたことはあるまい。

――加藤郁乎「ダダ諧諧」(『ユリイカ臨時増刊 総特集*ダダイズム』、1979年3月)

丘にのぼって町を見下ろす。
銃後の町である。
それが隣町めいた気配で眼下にある。
隣町? 自分の町なのに?
銃後の町の後ろに自分がいて、そこから銃後の町を見ている。
議論するのではなく、ただ眺める。

夏の海水兵ひとり紛失す

悲劇でも不祥事でもなく、おや、失くなっちゃったな、と。
――――
8 dadaísmo
――――
シュヴィッタースによれば、綴りもシラブルも語も文も節も、部分以外の何ものでもない。その相互の関係は、何かを表現するという目的をもった日常語の関連とは異なる。語は通常の関連性から引き出され、新しい関連のなかで、部分としてフォルムを形成しなくてはならない。(……)「メルツ・4」の副題に「陳腐集」とある。さまざまの陳腐な無意味を集めた。それはゲーテやプラーテンの引用をも含んでおり、シュヴィッタースは述べている。「わたしは陳腐を方法化した。それ自体は陳腐な文の配置から、評価することによって、文学をつくり出した。」
――池内紀「お馬とペガサス――クルト・シュヴィッタースの場合」(『ユリイカ臨時増刊』、1979年3月)

2021.10.29 fri. link

後追い自殺かと思われたら困る ――せきしろ

困るな。オリジナリティを疑われそう。――
と解したのだが、違ったようだ。
せきしろ、又吉直樹の共同句集『まさかジープで来るとは』にあるこの句には、せきしろ自身の自注エッセイが付いている。

これは別れの曲になるかもしれない ――又吉直樹

喫茶店で弾まない会話でもしてるところか。
脇から見る自分というか、映画の中に置いてみる自分とでもいうか。

第三者的ということ。

2021.10.28 thu. link

エレベーターボーイの主張とそれに対する私の疑問。

「エレベーターは、ね、あなた、どの動物とも関聯がない。人間を運ぶ唯一の機械ですよ。何から何まで、人智で、すなわち魂で作られているんです。だからエレベーターの方法と表徴は、完成ということなんです。ダンテにおいては、人間が神に近づく瞑想というものは、階段によって表徴されています。当時はそれ以上のものがなかったからです。今日ダンテが居たら、土星天サトウルノにエレベーターを置いたに違いありません。」
「でも、降りる時もエレベーターを使うでしょうが。」
 と、私はむごくも言ってのけた。
「降りる時は空です。」と、すぐに喰ってかかった。「上りたいという志望者を拾いに行くんですから。降りる時にもエレベーターを使うような客は馬鹿だけですよ。」
――マッシモ・ボンテンペルリ「瞑想の機械」(柏熊達生訳、『ちくま文学の森11 機械のある世界』)

エレベーターボーイの考えでは、乗り物は馬、魚、鳥をモデルに作られた機械だが、エレベーターに至ってはじめてモデルのない人智だけによる乗り物が生まれた。
いや、そうではあるまい。と、さらに疑問を募らせる私。

2021.10.27 wed. link

凡國有三制,有制人者、有為人之所制者、有不能制人、人亦不能制者 ――『管子』

およそ国に三制あり、人を制する者あり、人の制する所となる者あり、人を制する能わず、人もまた制する能わざる者あり。
「有不能制人、人亦不能制者」とはアナキズム的なことか。

2021.10.26 tue. link

ジョン・レノンの「イマジン」を訳したのは、ほんとうは相田みつを。――
真実味がないでもない説だが、坪内祐三のヨタという。
その「イマジン」に啓蒙的アナキズムを代表させ、対するにセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」に行動的アナキズムを代表させて、浅羽通明が言っている。

直接行動と夢想……。
反逆とユートピア……。
しかし……、
アナーキズムのこの両極は、思想というにはあまりにシンプルでありすぎないか。
肥大した自我を爆発させるごとき若き反逆の肯定。
反戦平和を祈願する善男善女の夢想。
まるで反対だが、凡庸で通俗的であるところは同じではないか。
そんなアナーキズムを、今さら考察する意義が果たしてあるだろうか。
――浅羽『アナーキズム――名著でたどる日本思想入門』(2004年)

今さらアナキズムについて考える意義があるかという問題。
自分としては答は出ている。
社会システムとしての無政府はありえない。政府がなくては人間社会は維持できない。
だから政府というものの存在は認める。でも、信用はしない。

谷岡ヤスジ「アギャギャーマン」

ということで個人的にケリをつければいいと思っていたのだが……。
『アナーキズム――名著でたどる日本思想入門』の序章で上のように述べた浅羽は、アナキズムの可能と不可能を行きつ戻りつ論をすすめ、最終章で「メタ・アナーキズム」という問題提起に至る。
網野善彦が『無縁・公界・楽』で描き出した日本の中世や、石田衣良原作・宮藤官九郎脚色のテレビドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の一話をモデルにあげて言うには、諸種のアナーキーと非アナーキーの混在する社会が可能ではないか、と。

2021.10.25 mon. link

目覚まし時計が鳴り出す前に、準備音のようなものを聞くことがある。
コトっと小さな音がして、それからベルが鳴り出す。

大森荘蔵によると、夢は睡眠中の出来事ではない。人は睡眠中に夢を見て、目覚めてからそれを思い出すのではない。目覚めのときに想起したこと、たとえば何者かに追いかけられてビルから落下したことを、過去(睡眠中)に位置づけているにすぎない。(大森「言語制作としての過去と夢」)
これに従うなら、目覚まし時計の準備音も自分の僞記憶か。
そういえば本格的に鳴り出す前に前触れみたいな音がしたな、と、話を作ってる。

2021.10.23 sat. link

#dadaweekly: Hugo Ball - Karawane - DLITE

フーゴ・バルの音声詩「隊商(Karawane)」。
次の YouTube ビデオはバル自身の朗読と見られる。かつては、録音・録画は存在しないとされていた。
バルの日記に、「重い母音の音列と足をひきずる象のリズムによって最後の場面を盛り上げた」とあるという。土肥美夫「ダダの音声詩について」(1979年3月『ユリイカ臨時増刊 総特集*ダダイズム』所収)による。



次の Gadji Beri Bimba については、「アクセントはしだいに重くなり、表現は子音を鋭くひびかせて高まっていった」などとあるという。同じく土肥による。


2021.10.22 fri. link

もはや自我わたしはいないのだ。世界一愚直な男が、「無関心という半仏教的宗教」の醒めた陶酔のなかで、自我意識の統括する世界像をゲラゲラ笑いながらブチ壊している。その顔は「現代の精神」と題されたハウスマンの機械マヌキャンそっくりだ。彼は自我の統括する世界に対面してはいない。デカルト的コギトの温室は潰滅した。その代りに頭上には突き抜けるように青い虚無が、眼下には一切が瓦解した後の見渡す限り遮るもののない全ての願望が開けている。 ――種村季弘「前口上」(『ユリイカ臨時増刊 総特集*ダダイズム』、1979年3月)



一九一九年にぼくは彫刻作品『機械頭』をつくったが、それをぼくは「ぼくたちの時代の精神」ともよんでいた。それは人間的な意識が、そのうわべだけに貼りつけられたつまらぬアクセサリーでできているにすぎないことを示さんがためである。その彫刻は、ほんとうはきれいにととのえられた巻き毛の理髪師の頭でしかない。 ――R・ハウスマン「ダダはベルリンで叛乱を起こし、活動し、そして死ぬ」(早崎守俊訳、前記『ユリイカ増刊』)

当時、ぼくは心理学と詩そのものをお笑いぐさにするために、「月並みなしゃれ」と自分で名づけていた日常のつまらぬ事物に関する詩のようなものを発見した。
「製造以前」の詩、いわゆる詩的アッサンブラージュを、ぼくはダダ長官バーダーといっしょに練習した。ぼくらには精神分裂的支離滅裂の言葉を話す習慣があり、ふたり同時に、世界文学のなかの名作から関連のない一節を大声で読みあげた。 ――同前

2021.10.21 thu. link

昨夜の mataji-bot は「ゆくえも知らぬ」
以下、全文。

ゆくえも知らぬ、これはまた
悲しいお言葉をきくものです
地獄の責苦を見るにもまして
月の国へあなたを運ぶ
よすがとも夢の中
小笛を奪われたその場所へ
望みのものをやろうとは
草をむしり、岩をつかみ、木の根にすがって
谷音は、右にもきこえ、恋の道かな

昨日の記事で書いた「丹下左膳・抄」とは違い、こちらは内面の垂れ流しだが。――
この詩は、『百人一首』にもある「由良の門を渡る舟人かぢをたえゆくへも知らぬ恋の道かな」の下の句を2つに分けて頭と末尾に置き、その間を坂口安吾の短編「紫大納言」から拾ったフレーズでつなぎ合わせたもの。

2021.10.20 wed. link

昨夜の mataji-bot が拾ってきたのは「丹下左膳・抄」

何かと邪魔になる丹下左膳まで
通りすがりの屑屋へおはらいものになって
三日も四日も家へ寄りつきゃアしない
お兼は
どぶ板をならして家を出た
むりはないので
計略が図に当たって
茶壺だね
……

見てのとおり、『丹下左膳』のテキストを切り刻んで再構成したもの。
ここには自我がない。ダダである。
もともと原文段階で自我の追究といったことはされていない。文芸思潮として言えば、白樺派好みの青年の悩みから免れている。
それがさらに切り刻まれて自我が蒸発。

ダダイズムの日本上陸は大正10年(1923)頃。『白樺』の廃刊は大正12年(1925)。
『丹下左膳』の新聞連載開始が昭和2年(1927)。

2021.10.19 tue. link

昨夜の mataji-bot は「タム・乳首-UM-タム・タム」

私は美しい赤、赤いドラムよ
そして、兵士の男の子たちとトレーニング
我々は来る、通りを通り、
素晴らしい私達のノイズ!
……

朝のボットより夜のボットがおもしろいものを拾ってくる。
偶然でないように見えたら、それは偶然のしかるしむところ、と誰か言ってなかったか。

2021.10.18 mon. link

1920年代、30年代というのは、第一次世界大戦を経験したヨーロッパ経由で、日本でも北アフリカやアラブ世界に対するロマンティックな憧れが、大衆文化の中にも浸透してきた時代である。キャラバンとか、砂漠とかいったイメージが、童謡のような世界にも入ってきた。
その一例が、『少女倶楽部』に掲載された加藤まさをの絵物語に起因して音楽化された「月の砂漠」である。これはぼくの祖母もよく歌っていたのでとても鮮明に記憶している。オリジナルの柳井はるみをはじめ、YouTubeにいろんな人が歌った音源があるので久しぶりに聴いてみた。
――月の砂漠はどこだろう? - tanukinohirune

吉岡 洋 Hiroshi Yoshioka | 京都大学 こころの未来研究センター

月の砂漠 : 柳井はるみ - YouTube
Joseph C Smith's Orchestra - Karavan (1920) - YouTube
Duke Ellington - Caravan, 1936 - YouTube

2021.10.17 sun. link

昨夜の mataji-bot は「それPatari弾、Kimasure Patari」

椅子の下に十本の指、それPatari弾、Kimasure Patari
彼らはいつも、編み物椅子に座って白ひげ
私はこれは皮膚プリック、強い日差しのうずきを感じ
当時、ガラスなど、雪の中ではあなたの目を枯れ
……

mataji-bot は、note.com に投稿した詩などを毎日2本ずつ Twitter で紹介する自動プログラム。
紹介されると自分でも読み直すから、その気になったときは推敲する。
直しすぎないよう用心はする。量的なことではなく、質的なこと。なめらかにしすぎない。