zakki no.25

[2022.8.7 - 2022.8.31]

2022.8.31 wed. link

北の岸へ行くにはどうすればいいのかな?
さあ、ためらっちゃいけない。
北の岸へ行く途中にあるようにも思え、北の岸へ行く途中にも。

カーナビが示す前方は、実際の行動から離れて想像の中で旅をする時、われわれはなんとなく北に向かってしまう。
精神分析医と患者の対話。
北岸のありかは私にもごく大ざっぱにしかわからないんです。
その望みってのはいったい何だね。

すぐ答えて。
さあ、ためらっちゃいけない。
印刷物の地図を使う際も、現実行動をともなう場合は、地図を使う際も、現実行動をともなう場合は、地図を使う際も、地図を回転させて眺めたりする。
そこが問題なんです。そしてそこへ到着のめじるしを立てることなんです。そしてそこへ到着のめじるしを立てることなんです。そのふつふつ湧いてくる望みってのはいったい何だね。そしてそこへ到着のめじるしを立てることなんですよ。
われわれはなんとなく北に向かってしまう。

すぐ答えて。
トロブリアンド諸島を通り過ぎたところにもあるようにも。
北岸のありかは大ざっぱにしかわからない。

精神分析医と患者の対話。
地図で北が上方になっているわけではない。
そのふつふつ湧いてくる望みってのはいったい何だね。
精神分析医と患者の対話。
北岸のありかは私にもごく大ざっぱにしかわからない。

2022.8.29 mon. link

あの時、あの子もあの人も、同じように輝いていたのに、カッパ。
それともあれか。
ミミ子さんのレインコートのこと?

だけど、どんな雨でも。
そのコートを着ている人たちは、私たちの天気はどうなのか、彼女はどこまで小さくなっているのか、もっと離れているのか、自動で振り向くシーンがあります。

ああ、あの学校か、と。
ただいま。
まるで家に帰るのを摘み取るかのように。

2022.9.2 一部修正して done
ああ、あの学校か、と。ただいま。|mataji|note

2022.8.28 sun. link

かつほろびぬるし、はなさうぞくやさかたの
かつきさうび、さきいでて、
ゆめか、うつりなく。
たにまのけしきさうび、さきいでて、
もりのあたりをうかびくか。
いでて、かびといまのはなあけぼろびでて、こといだけ、このをすべを、はきさか、か、わかたにまつりをうつきいでて、まへにはるしのにはな。
たのにはたゝかびといだにまへに、さきさみえて、
たたりのにまのはなあさうたき、く。
いだけしのをうたのべりく、か、
ゆふれよ、ことよ。
あけし。
すあたきの
あか、
あたび、
うたのゆめかし。
あさみどり、わかえだにうつゝか、かつきさうぞくやさかたの
ゆめか、さきいでて。
このゆふべかぜぬるたゝずまひ。
すあしのまへに、はなあかし。
はつざきのはなさうび、うつりなく、
かつほろび、はるはきぬ。

2022.9.4 一部書き換えて done
かつほろび、はるさりぬ。|mataji|note
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今朝の mataji-bot
侍明神のような、怒ったような崖っぷち。物陰の左右衛門。
洞窟の朝、物陰の左右衛門|mataji|note
――――
犬丸治 on Twitter
――――
NUNOMO QUN mk2

2022.8.27 sat. link

両手で甲羅をつかみ、白兵衛に狙いを定めて叩きつける黒兵衛。
付き添いのキスケが我に返り、彼女を抱き止める。

おい、ねえさん。どうしたの?
女は明るい江戸弁で答える。
この野郎のおかげで、私は人生を無駄にしてしまいました。
あなたはそれについて何をするつもりですか?
彼女が言うやいなや彼は彼女を放り出し、店の入り口にたくさんのサザエが積み上げられている。

これか。腕組みをして見上げる浪人。

白兵衛はさらに二、三発の砲弾を顔面に受け、眉の端と下唇から血がにじみ出ている。
店の前に高く積み上げられたサザエ。
おい、ねえ正気。私は間違っていましたか?

2022.9.23 砲弾を矢に代えるなどして done
おい、正気、私は間違ってましたか?|mataji|note
――――
硬いんです。
人の鼻が四つ見えるような気がして、正面から見ると真っ暗。
ブロンズ色になり、その青白い顔で、誰彼となくくぐる小石川石庵の門。

チラチラする姿を見下ろし、振り返った坂道、
人の背後に回ってみても、その夜のうちの一瞬の出来事。

テルですか? テルでした。
私の手から缶が飛び出し、氏の男、彼の男、私は私の後ろ姿が中途半端でどうしようもなく、私は星のように有名なナミダズシカワケがテルを通って錆びついて行くのを遠くから眺めるばかり。
怯えるしかない、長者坂。

…、千波鶴の顔は、私の背中をちらつかせ、小石橋、金剛寺坂を染め上げる。

2022.8.29 最初と最後の1行を削って done
長者坂|mataji|note

2022.8.26 fri. link

混沌をどう作り出すか。

アメリカの最も発達した芸術としてのフラミンゴの分析。
同地のフラミンゴが本来的に桃色なのではなく、それらが市街を埋めつくす簡潔な…
空っぽの沼、未踏の荒地、アメリカ本来の「黄色新聞」に抗して、
極度に単純化したわれわれの目を添え、
塗料をスプレーで吹き付ける。

フラミンゴは?

イメージによる説明の利点。
多義的だから、受手側それぞれの理解で納得してもらえる。すでに受手側が、こちらに好意的であるとしてだが。

線虫 (C. elegans) の温度学習・記憶にかかわる神経回路を同定したことで知られる。ヒトにも保存されている神経回路や行動を制御する重要な遺伝子や分子を発見し、海外留学で身に付けた集団遺伝学や数理統計学に裏打ちされた行動解析や数理モデリングを包括したシステム生命科学研究を行い、動物行動の原理解明に貢献。2017年、紫綬褒章を受章。
森郁恵 - Wikipedia
文芸誌で川上弘美と対談。お茶の水女子大学理学部生物学科の同級生という。

2022.8.25 thu. link

人間は究極のところ木偶であるほかない存在だ。そして人形が人間を演ずることからしか生れない劇的なものがあるという強い認識を近松がもっていたことだけは間違いない。
 人間が人間を演ずるところに生まれる自己への言及の仕方、あるいはそのことにより増幅される人間中心的なものに、近松はなにか強い反発を抱いたのではないか。
樋口覚『三絃の誘惑』
 近松は己れを虚体と見なして、次々に古典の言葉を拾遺し、こき混ぜる。ほかの語句から、意味を切断し、違うコンテクストに象嵌し、引用した語句とは別なものに転化させる。辞世に「しらぬ事なげに口にまかせ筆にはしらせ」と、強い含羞の言葉があるのは、同じように古今の故事や語句を本歌取りした謡曲の作者以上に、それらを陵辱するほどえげつなく用い、「囀りちらし」てきた「世のまがひもの」としての羞恥心があったことを示している。
同前 関連記事: 2022.8.18 2022.8.17
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この人は人間です。
彼は人間です。
お互いが目標とするアスレチック男優に反論するのがモットー。
彼はアンジュアングルでした。いわば、同志。

彼の背後にある男が潜んでいます。
コロマルな読み方のオブジェクトが、完全な人間の拡張を待っています。
見知らぬ家族への探検、そして不思議な兆候の中で、彼はしばしばその瞑想と影響を受け、空中感覚を研ぎ澄まされた男の王であり、男優であり、彼はその生き生きとした中空を逆にサソリで操る曲芸師でした。医療のモットー。
彼は考えたかったのですか?

劇団の社会学者たちもまた、探索的に探求し、人生を探求していた。

2022.8.24 wed. link

またも降りそそぐ月光の怪異
旦那ですか
あの屋根から飛び降りて来た金ピカの旦那
どこの旦那ですか
地から湧く声で
手足の縄を解き、猿轡をはずしてやると
泥まみれの男はやっと口をきく
旦那ですか
怒鳴ってみると、我が声も月にこだまして、飄々と空に消えて行く
実にひどい目にあいました

2022.9.26 done
旦那ですか|mataji|note
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1987年頃、シャチの間で死んだサケを頭にかぶるのが流行ったが、6週間で廃れた――ゆきまさかずよし on Twitter

2022.8.23 tue. link

 街の夏祭りを当て込んで、この頃来てゐた軽業師かるわざしの中に、私の妹が居るといふ事実は、私をひどい憂鬱に陥し入れてしまつた。
片岡鉄兵「綱の上の少女」
妹をサーカスに売った話を読んだことがある。
また読みたくなって、文学全集の類に高橋新吉が入っているとチェックしていたのだが、作者は高橋新吉ではなく片岡鉄兵だった。今日発見。上はその書き出し。

2022.8.21 sun. link

科学的に考える。
短所については、これを肉眼で見ると、私たち自身の方向性がどのように変化するか。
それは導かれたように、それは裏打ちされた信じられないほどのもので、1億1700万人につき1億1700万人の人間が、世紀の一歩を踏み出す前に耳を傾けること。
これだけが現実的な幾何学であり、発光しない球体を独り占めしたのは誰か、天の川はそれほどにも困難なものなのか。
回転するプレアデスの赦免を見よ。
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これが死んだ男の旅行鞄か
警察官ならよく目にするものなのだろうが
ところで、これが死んだ男の旅行鞄か

死んだ男の母親が
引き取りに来る、来ない、来る、来ない、来る、来ない、…
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(…)テクノキング・オブ・テスラなる役職名を正式に冠し、コミックの話かと見まがうハイテク事業の数々を実際に展開させているこの男は、ひと息吸うごとに虚実の境目をあいまいにしてしまう事象の特異点として存在しているのかもしれない。
 気づけばそこに立っていたという具合に、イーロン・マスクはいつしか世に君臨していた。突如あらわれ、つかの間のうちに世界を席巻してしまったわけだが、妙なことに彼は登場時からいかにもスーパースター然としてふるまい、だれもがそれを当然のごとく受けいれてさえいた――すべては筋書きに沿って進む、舞台上のパフォーマンスであるかのように。
阿部和重「Neon Angels On The Road To Ruin」(『新潮』2022年1月号)
人物そのものがポスト真実。
内面を表現する際のアクションがドナルド・トランプ。

2022.8.20 sat. link #混沌

混沌、または渾沌,渾敦,倱仛,渾淪など。
天地万物が形成される前の原初の状態、物事が混然となっているさま、と辞書にあり。ギリシャ語のカオスに相当。

南海の帝をしゆくといい、北海の帝をこつといい、中央の帝を渾沌という。
渾沌に歓待された儵と忽は、歓待にどう報いるか話しあう。
人間にある七つの穴(目、鼻、口、耳)をこの渾沌にもつくってやることにし、一日ひとつづつ穴をうがっていくと、七日目に渾沌は死んでしまった。――
『荘子』応帝王篇にあるこの寓話は、混沌とは無秩序のことではなく、人間の常識や経験からは異常と見える物事も、じつは別の秩序であることを言ったものではないか。
混、渾、沌などの一字づつの原義にさかのぼっても同じことは言える。これらの漢字は、水のほとばしるさま、あるいは急流などをいうらしいが、人の日常生活からは異常事態に見える水害や奔流、また、それらのもたらす災害すらも、それぞれがありうる事態や事物なのであり、まったくの無秩序なのではない。

以上、17日記事、18日記事との関連で。

2022.8.19 fri. link #詩論

タウタ、タウタ、メロンタ、タウタ
単語やフレーズを繰り返すと歌になる、タウタ
詩のはじまりでもある、メロンタ

4月5日、退屈でたまらない。軽気球上で話相手になれるのはパンディットだけ。しかも、ああ、こいつの話ときたら昔のことばかり!――ポー「メロンタ・タウタ」

だったら、歌うのがいい
メロ、メロ、メロンタ、タウタ、タウ、な、メロンタ

done はじまりの歌|mataji|note

2022.8.18 thu. link #詩論 #混沌

AIを利用するのではない。
自分をAI化する。

昨日のリザバーコンピューティングの図で言えば、入力層に自分を置く。
自分をばらして溜池に放り込む。
すると、小さな混沌がいくつもできる。
それら小さな混沌の繋がった中くらいの混沌も確認できる。
全体としても混沌である。
これらの混沌を適当に取り出して出力とする。

自分が事態をコントロールするのではない。

まずお初と徳兵衛が心中に向かうシーンで鐘の音(sound)が鳴る。
次に遠くの家から歌声(song)が聞えてくる。
いざ心中しようとすると、今度はいろいろな霊(spirit)が見えてくる。
サウンドとソングとスピリットが常に順番に立ち上がる。これが日本語の言葉をつくる法則の一つではないか。――と町田康が児玉雨子との対談「サウンド・ソング・スピリット」(『文學界』9月号)で言っている。曰く、「近松3Sの法則」

環境の中で言葉が生まれてくる。
言葉を絶対的な立場から支配したり操作したりできる「私」がいるのではない。

自分をバラす。
自分をバラしただけでは足りないから、他人もバラす、環境もバラす。
バラしたものを溜池に投げ込んで撹拌する。
混沌のなかから町田の言う霊(spirit)が浮き上がってくる。

2022.8.17 wed. link #詩論 #混沌

リザバーコンピューティングの概念図。
Keywords you should know. 第136回

リザバー(reservoir)とは、溜池、貯水池。
自分がやってるのはこれだな。これを手動でやってる。ネットワークの成否を決めるのは溜池の質と大きさ。適度の質と適度の大きさ。

リザバーコンピューティングのことは三宅陽一郎のインタビューで知ったところ。
三宅はAIゲーム開発者、AI研究者。聞き手は、山本貴光、吉川浩満。

 三宅 最近は「リザバーコンピューティング」というニューラルネットワークを使った手法があります。水槽の中で混沌をつくり出し、その中から自分がほしい混沌を選んで引っ張ってくるイメージです。荒々しいやり方ですが、東洋的な知能のあり方に近いのではないかと考えています。
 山本 なるほど、究極的には混沌をつくるというわけですね。面白いことに、世界の創世神話が混沌から始まるのと似ていますね。
 三宅 混沌のつくり方にもいろいろあります。混沌は、混乱とも無秩序とも違う。僕の初期のAI研究の混乱の原因はそこを勘違いしていたことです。混沌には浅い混沌と深い混沌がある。混沌をいかに深いレベルで作り出すか。ここに専門性が必要です。そういう学者に私はなりたい。「この人、混沌をつくらせたらすごいよね。なんの役に立つかはわからないけど」と。
「AI研究は世界と知能を再構築する」(『文學界』2022年2月号)
――――
見覚えのあるカッパが
屋根屋の前で
歌いながら踊ってる

三軒、四軒、五軒、六軒、…
どこまでも続く屋根屋の家並み

器用なやつではなかったが
花に嵐の…

2022.8.16 tue. link

漠然とした不安は、
「超然とした住まいであること」
「薄暗いファントムによって得られる特殊な効果」
「恐怖以外の多くの存在」
のいずれかである。

些細なこと、影響、彼の影響、人はその出来事を読み、その鎖と彼が持っていた、くぼみ、その住居、この単なる愚行を取得しなければならない。

人は危険に遭遇すると、
「最も特殊な効果において、変則的な印象を与えよう」
と身構える、自分自身を影にして。

憤慨していると、些細なことだが、奴隷のような顔をして、理屈っぽくなり、不確かな出来事で壊れ、自分自身を長く苦しめる。
「私は影が薄く、不寛容である」

done 箴言|mataji|note

2022.8.15 mon. link

変身に継ぐ変身
新聞社になり、駅長になり、ブリセットを分配し、レーグルの変電所になる
いったんカエルであることを辞める
その後、仲間の詐欺師が建てた国家のため潜在的に戻ってきて、いくつかのカエルになる
1912年、プロジェクトは商業的に終了、貯水池に隠れる

1913年、人間の ward latere (貯水池としての学習) について論文を書く

論文の背景
この年(1913 年)、子孫の La number phical cere が商業儀式のロマンスによってペアリング、トランクスの別国にスイマーの一部を移住させ、この時点で、未解決の別のフランスの競争者が、彼の子孫のカエル言語学者の完全なリストを受け取る。
翌年、彼は名前が呼ばれるよりも少ない数で彼らを裏付けてコピーを自費出版、前年に彼が返還した収入について単独で議論し、感謝と感謝の気持ちを込めてジュールに返還。
末尾の署名は、いくつかのコンプレット出版業者、自己出版者のジュレス鉄道駅、そこでは、人間についてのような物についての言葉は、時間よりもデマであり、当時の最新時点で「人間の起源」に変身、一説に「軍隊の王子」とも。

子孫、そこに彼の貯水池

2022.8.14 sun. link #千葉雅也 #田中小実昌 #ナンセンス

僕の考えでは、大きな枠組みとして、どんなジャンルであっても芸術と言えるものの芸術性は、「脱目的性」にあると思います。特定の何かの役に立つためではなく、ただそれ自体として、極論的には「ナンセンスなそれ自体」として存在していること。ただ存在しているその「存在のかたち」の面白さを鑑賞するのが芸術だというのが僕の考えです。 千葉雅也「「私小説」論、あるいは、私の小説論」(『文藝』2022秋)
 みんな、言葉にはならないことを、さけんだり、つぶやいたりしているのだ。それは、異言いげんというようなものだろう。使徒行伝の二章にも、異言いげんという訳語は見えないが、そういったことが書いてある。使徒たちが、自分のいったこともない遠い国の言語でかたりだしたというのだ。
 こんなふうに、記されたことでは、異言には、こういう意味があったというような場合が、それこそ記されているが、実際には、異言は、口ばしってる本人にも他人にも、わけがわからないのがふつうではないか。うちの教会のひとは、異言という言葉さえもつかわなかった。ただ、ポロポロ、やってるのだ。 田中小実昌「ポロポロ」

2022.8.13 sat. link #詩論

六ツ子の出した手紙が
どんな方法であれ
解読されないまま放置されて
そんなもの、天気しだい、風しだい

六ツ子の出した手紙が
一日一本ずつ届いて、顔は丸顔

――顔は丸顔|mataji|note
――――
大瀞、小瀞(おおとろ、ことろ)
内瀞、外瀞(うちとろ、そとろ)
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大野という悪役がいる
何をしてるのだ、そんなところで

吉良を討つに在宅時をもってするという計画
そんなところに大野が?

意味はわからないが or 意味はとくに込められてないが、そこそこインパクトのある場面
そのようなものが作れれば可とする。
――――
〽おまえさん、おまえさん

Roland · E-4 Voice Tweaker - Vocoder And Looper Demo 1 By Hazmat Live

サンプリングで詩を作るのと、サンプリングで音楽を作るのと。

2022.8.12 fri. link #レーモン・ルーセル

どう読ませるか。

「新・アフリカの印象」解読機の作り方 - Three Inventors: Jean-Pierre Brisset, Raymond Roussel, Marcel Duchamp

まず、読ませるための装置を考え、それにあった詩を書く。
すなおに考えるなら、本という装置を前提にして、それにあった詩を書くということ。
ふつうに言えば、読んでもらえる詩集を出すこと。
そんなものが出せるくらいなら、読ませるための装置は要らない。

解読機を作るとすると、それに与える何か(例えば本)が前もって必要。
だが、それでは解読機と作品の二重手間になる。
解読機ではなく、生成機。それなら手間は一重ですむ。
装置はアナログなものにしたい。

経本のスタイルはどうか。
名称は知らないが、上の図版中の Fig.10 のような、折りたたむと冊子になるやつ。

Fig.11 は経本を読む装置だが、オーディオ装置をも思わせる。
オーディオベースも可か。たとえば、歌詞を与えると歌い出すなど。
――――
ジャン=ピエール・ブリッセはアンジェの駅長となり、後にラエーグルの駅長となる。フランス語に関する本を出版した後、哲学の大著を執筆し、人間が蛙の子孫であると主張した。ブリッセは、フランス語とカエルの言葉を比較することでその主張を支持した(例えば、「logement」=住居は「l'eau」=水からきている)。ブリッセは、この「諸相学」に真摯に取り組み、その実証的な根拠を示す本や小冊子を数多く著し、自費で印刷・配布。
2004年、『泳ぐ芸術(カエルとして)』(Art of Swimming (as a frog))を文庫本として出版。
以上、Jean-Pierre Brisset - Wikipedia + DeePL による。

2022.8.11 thu. link

堺水族館の歌

ギャザーオープン
魚は見ていない
エレガントな水族館がここにある、春のそよ風に吹かれることなく、水辺の海へ
東洋
ロンゲダンスの海産物
綾羅漢は開かれたことがない

季節が来て
見知らぬ人の中の堺水族館
水辺に遊ぶ踊りの海産物
綾羅木水族館はもうない
オリエント
大魚、ナンバーオープン

オリエント

堺水族館は春の訪れを感じさせない
春の堺水族館はとても静か

別に海水の放養池がありこれを二つに分け、その他館外に2か所の淡水平地槽があり、番外1号、番外2号とした海水をサイフォンの仕組みで敷地内の井戸に導き、温室や淡水放養池もあった。 館内の海水槽への海水供給の仕組みは、まずこれをポンプで濾過池に送り、各槽の動物の種類は季節の関係などで一定していない。濾過された海水は高さ約9メートル(3丈)にある貯水池に貯えておく。貯えられた海水はポンプで塔槽に汲み上げられ、龍女の像を立てた乙女の噴水が作られた。

オリエント
水辺の街ギャザクラ
オリエント
水族館
オリエント
堺水族館

綾のうるわしうるし水族館
オリエント

堺水族館

done 堺水族館の歌|mataji|note

These were served at a restaurant in Shingu city, Wakayama and they were delicious. These shells have different proportion each other.

2022.8.10 wed. link

「手に赤いのがついてたぞ」
「まさか」
「見たんだよ」
おれが立ち去った――とヒールがいう。
どこへ?
そんなことわかるものか、立ち去ってしまったのだから、わかるわけがない。
誰が去ったのか。
おれがさ。
「手に赤いのがついてたぞ」
「まさか」
「手に赤いのがついてた」
と同じ会話が繰り返される。
「まさか」
「見たんだよ、おれが」
……

意味不明なのはいいとして、インパクトの欠如をどうする。
手についていたという赤いものは血かペンキか。
血でもペンキでもどちらでも、具体性を与えることでインパクトは増すはず。

2022.8.9 tue. link

俺のことを、「自分」と呼ぶか、「私」と呼ぶか
いまだに自分を何と称するか決まらない
漱石の坊ちゃんは「おれ」、これは語り手のキャラクターに合わせた自称、猫の「吾輩」も同じ
キャラクター性を抑えた『夢十夜』では「自分」
俺は自分をどう呼ぶか
町田康はある長編で、「俺/僕」という一人称を作ったが…

あるシチュエーションにおいて自分がどんな役を演じているかの現れが自称か
ならば自分を演じているときの自称は「自分」が自然だが

「自分、不器用ですから」――と高倉健は称してたという
高倉は自身を社会のどこに位置付けていたか
位置付けができないゆえの「自分」だったかもしれない
昔、近所の中学生の勉強を見てやったことがある。はじめは一人だったが、そのうち三人に。最初の子が、ただで勉強を教えてもらえると言って友人たちを連れてきたから
その子たちの自称が「自分」だった
両親のことは「親」と呼んでいた
自分を「自分」としか呼べない、自分に社会的ポジションを与えることができない、そういう自覚のあり方があるのかもしれない

2022.8.8 mon. link

Ryo Sogabe / Creative Video Manager of CLE on Twitter「…midjourneyで生成した画像を漫画的に配置してみた。 よく分からんけどちょっと面白そうかもしれない……

2022.8.7 sun. link

知らないまに近所の駐車場の脇に格闘技のリングのようなものが。
幅5〜6メートル、長さ10メートルほど。
おおぶりにちぎった発泡スチロールのようなものがリング上に高く積み重なっている。
国葬の跡だろうか。