[2025.2.1 - ]

2025.2.21 fri. url #詩

きらいなの すっかりわすれてて
あたいを誰だと おもうか
きらいなら
かたっぱしから やっつけて あんたがネコきらいなら
あたいを誰だと おもうか
ネコきらいどころか あんたがおれだったら
きらいどころか あんたがおれだって ほんとううまいし
アリスはいけをおよぎながら ひとりごとのように
かたっぱしから あんたがネコきらいどころか あんたがネコすきになれると おもうか
ネコすきになれると おもうか
きらいどころか ネコすきになれると あたらいを誰だってて

ネズミとりだったら
ネコきらいなら

かたっぱしから あんたがアリスだってんの やっつけて
きらいなら あたいだったら

2025.2.20 thu. url #正岡子規 #スクラップブック

正岡子規『仰臥漫録』

死の一年前から病床でつづられた日録。見てのとおり翻刻版だが、自筆のスケッチを中心に原著の一部をカラー写真で再現(岩波文庫、2022年)。
このページでは、印刷物や葉書を切り取って貼り付けている。スクラップブックを兼ねた日記とでもいうか。あるいは、もともと日記というものがスクラップ的なのか。備忘の(つまり未来のための)記事ではなく、過ぎたことの記録なのだから。

2025.2.19 wed. url #詩

たとえば人形劇「郭公」を演じた宋元帥は、左右の腕に瓢箪の入れ墨を入れており、それぞれの指に716個の入れ墨を入れていた。また彼は親戚にお金やその他のものを与えていた、人形劇「郭公」の郭公のように。

昔、私の家は貧乏ではなかったし、親戚と仲良くなるためにお金や物を使っていました。
野生の鴨は浜辺で眠り、今まで生き延びていたが、親友を探す道に迷い、鷹に捕まった。



元帥の人形劇「郭公」にならって、71人の頭に入れ墨を入れた。
総数は160箇所に足りず、翌朝、鷹に襲われる。
いわば人形劇の郭公は当時の郭公であり、一番上のものは人間の頭です。

2025.2.18 tue. url #詩

オステリッツの月が空に輝いていたという。

オステリッツ。地名だろうか。それなら、オステリッツの月はオステリッツの上空にあり、オステリッツの地を照らしてたのだろう。オステリッツの月が輝いていたとは、そのような事態のはず。
そして、月影。
月の影だから月影。日陰は暗く、月影は明るい。
そうだな。
そうですね。
その明るい月影を誰かが盗む。
オステリッツで月影を盗んだ泥棒がいる。でも、どうやって。

月泥棒なら歌にある。
月を盗んで小舟に乗せて、月の河口を逆上る――と。
然り、月と月影は切り離せない。

オステリッツにおいてもそうだろうに、月影だけが盗まれたという。

2025.2.17 mon. url #詩

鳥も烏も一羽も鳴かない。猿は?

目をやると、花陰の少し暗い空き地に、血の斑点がにじみ出た濃い緑色の背の高い革が横たわっている。苔の上に顎をのせて、無気力に。

2025.2.16+ sun. url #詩

あきれた 盗っ人の
銭がおなおれが かのもおれたの どくせげねえの

おまさんはねんだ
いしら さいごのとてもの あきれたいごやだ
おふくなおっかの
いまさら ほかの

あきょうだよ

あきの かの かさんな度胸はねえのの
盗っ人のどきょうごのの とてもの おな度胸はねえのくせげね
おまさんなじだよ 銭がかさらぬもなじ

おふくな盗っ人は おれがげねえよ

2025.2.16 sun. url


ある映画館主の自画像、the only person in the world と。

2025.2.15 sat. url #カットアップ #ウィリアム・バロウズ

もともとバロウズは、表現すべき深い思索や、どうしても描きたいテーマを持った作家ではない。それは『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』などが明らかにしているとおり。彼は小説を書きたかったのではなく、小説家になりたかっただけなのだから。主張やテーマがなければ、それを伝えるための構造や展開は不要となる。逆にそれが、手法的な探求を極限まで推し進めることを可能にしているのだ。そしてカットアップとは基本的に、「おれは伝えるべきメッセージを(あまり)持っていない。したがって読者は勝手に読みとりたいものを読み取れ」という技法なのだ。 山形浩生「バロウズの二つのスタイル」(『ユリイカ』1997 No.396)

2025.2.14 fri. url #詩

ばらなきまって?
おれかりは これたちを しまっつかめえって?

ころすとるは ふんじばらさねえっつかりは しまえてるは ふんゑぴすにきゃ ふんじばらは そゑく なんじばらは そゑちを これかりは ばらは そのぴすにきまえって?

まっゑ

しまったちばらば しまったくせ
やつを ふんのびすとって?

2025.2.13 thu. url #詩

かりの名を ごめすの名をごめす

ギアけいじが いわなかにかぎり ゆうかいさつに いったのか
でんわをしてきた 誰か
けいじが いわなかったこと
運河のとおりで
けいじが いわなかったのか

かりの名をごめすの名を ごめすの名はごめす
ギアけいされ
あなたはいったい 誰か
かりの名は ごめすの名をごめす
あなたはいったこと

どこへいったのか
でんわをしてきた 誰なんですか
でんわをしてきた 誰か
でんわをして
あなたはいったい 誰か

どこへいったのか かんがえられます
誰かが ごめすの名をごめすの名は ごめすの名はごめす
ギアけいさつに いわなかったのか
でんわをしてきた 誰か

2025.2.12 wed. url

ファントマ? 違うな あいまいな別の誰か 空想の口実

2025.2.11 tue. url #詩

おびためだよ ゆびわのためだよ ふためだよ おびためだよ
ふためだよ ゆびわだして
おびわのう ゆびわのうとかるみにはそのうとが ゆびわだよ あかのいまれて
ゆびわのためだして
ゆかるみに ゆかのただよ まっ赤ないうえに まきこ
さらけんにきゆう 緋色のいといとが やつをねえ
いとが 緋色のたりのためだして おびわだして ゆびただして

2025.2.10 mon. url #詩

杖をさげ あらけき 鎌をささげ はまち
きこりは恐ろしや

まいのぼるとて
きこりは 鎌をさげ うしは恐ろに
うしやまいのぼるとかや やまもりよせじとかや
鎌をさげ や はまち

2025.2.9 sun. url #創作論

藤江民「風穴を孕む絵」(『美術手帖』1984年10月号)

この手法――かりに風穴法とでもいうか――は、テキストを単語単位で切り離してランダムにつなぎ直すツァラの方法や、さらに細かく文字単位で切り離してつなぐレトリスム、あるいは紙面の一部を切り捨てて意味を通らなくしてしまう「i 詩」の手法など、ダダイズムの世界から生まれた手段に通じる。

共通点は自分の創造的能力を信じていないこと。
偶然に頼る制作。
いかにして運を呼び込むか。

風穴法を文芸に持ち込むことも可。
二つの文書を重ね合わせて一つにする手段をつくればいい。

2025.2.8+ sat. url #創作論

人間デカルコマニー



そんな夜な夜なの議論の中で、お前の取り柄といえば、"酔っ払っても転がる" ことぐらいじゃないかと皆に言われた。
色々と躊躇いはあったが、俺らが撮影してやるからやってみろ!ということで、二〇〇七年の夏の日に受身絵画は、大脳皮質的思考を経ぬまま全くノー・コンセプトで始まった。
やがて「受身絵画」はキャンヴァスを超え、河原や川底、積雪の上や、公道や、波打ち際へと展開していった。 佐々木裕司「人間デカルコマニー」(『ユリイカ』2016 no.684)

2025.2.8 sat. url #詩

この壁の底は、その間ずっとはるかに贅沢です。あなたがクラブのレベルを越えるとすぐに、逃げる多くの人はあなたが無限に向かって逃げる計画があることをあなたに思い出させるために来ます。したがって、ベースからトップへ、そしてトップからボトムへと進む視線は、理解できない飛行機のひねりのビジョンを受けなければなりません。この茶色のバンドは、複数の人には胴体に見えます。私たちはおそらく、計画の方向性と色や絵の遊びの間のこの対立のおかげです。頂上では、ほぼ一様な色の平らな領域が平らで規則的な茶色の帯で交差しているように見えますが、基部では、異なる回避の収束は無限大に向かって同じバンドを導きます。

ここで「逃げる多くの人」とされた人々が亡くなったとき、彼らはすでに息が絶えていたのです。

2025.2.7 fri. url #詩

しんぼうづよい すふぃんくすの
おまえたちがさがしているものの うしろにいる
あらゆるにんげんを とおりこすものはいない雲
誰もおれを とおりこすものは
おれは ひっかけからめてしまう雲
おれのうではな
おれは雲 とらえどころのない
おまえたちがさがしている
おれはさいごに またあるだろう
しんぼうづよい すふぃんくすの
すべてのにんげんを ひっかけからめてしまう
おれはじぶつの にんくすの
時と所のつづくかぎりの
うしろにいるものの 雲

2025.2.6 thu. url #詩

「見事ないう―「なんというに、また一閃。
兵士を抜き!」と叫ぶ盗賊十数名の広場だ一人の巣窟。
鮮血の閃き――盗賊のは言うに引き――また一閃。

しばらくしばき渡される。
各地のもの閃――盗賊が残っていう――「俺を殺せ!」という刀される乱。
「素晴らしばらくしばらしばき渡される。
明のもの広場だ一閃きの捕縛、二度目の役所は常に多発する首。

兵士た一閃――頭が一人の広場だ一閃。
盗賊。
兵士た一閃きの巣窟。
再び、済州一閃き――――盗賊十数名の閃――まだ一閃きのは常に処刑。
刀が一帯はやが飛び報告。
「その捕縛。
「俺を配置しばらくしばらして報告。
章丘でに引きのはないう刀だ」とい」と驚き渡される乱。
再び報告――またちは言うち一閃き―まだ」と驚き!こは盗賊十数名の報告。
盗賊十数名の末期、佩刀を迎え撃つ構え。盗賊の斬首。
兵士は盗賊を殺せ!」と絶賛される盗賊が飛び報告―――またちは刑済州一閃。
して報告――頭が一帯は不要。
兵士た一人は不要。
「な技!」との末期、佩刀がて報告―盗賊。

「見事なんと驚き渡さばらくしばき、また一帯は刑。
章丘で斬撃は兵士はすでものう刀。
鮮血の斬撃はやが一人はなんと驚き渡さばき――――頭が残っている盗賊処刑場に引き渡さばらくしばき―頭がて刀さばらして報告。
「素晴らくしばきのはやが残って刀。
鮮血の捕縛。
明の刀だ一人はな技!頼む!ここでに処刑。

2025.2.5 wed. url


散歩中に撮った自分の影だが、長い杖をついているようにも見え、似たような影がメランコリックでミステリアスないつかの路上にも落ちてたなあと……

2025.2.4 tue. url #詩

こうして赤い花をねる。あとに数十年して、かえって子どものようになる。
薬をとること山の中にあり、うよりょうをとって食べる。
かみはえびるじゅうじんである。かざんにのぼる。

けがはえてみな赤い。おほのようである。
うよりょうをとって食べる。ばんよう、ばんようの人である。
かみは赤いが、おほのようにまっすぐで、それを売る。

三十年、ゆにつかって赤い薬をつくることができる。
かみはえびるじゅうじんである。おのほようにまっすぐである。かみだなにすむ。
かざんにあり、赤いとりのほこらをつくる。

2025.2.3 mon. url #詩

父の人形博物館は、父ユビュのもう一つのマダム博物館でなければならない、そして私は父に恋をしている。
今日、この人形は、ドームに固定されている。
私はといえば、ジャン・ローズのジャン・ローイッシュトで、彼のオネットの中。

マダム・デ・パントリーの人形は、当時の伝説の人物たちを忠実に再現したもので、現在では人形の代名詞となっている。アルフレッド・プレート・マダム・ミュージアム・オブ・ポピュラー・アーツは、鋭い目でこの博物館を訪れたが、ユビュのこの博物館は、ジャリーが所有していたか、またはユビュのこの博物館と、ピカールのジャン・ラウシッドのメアリーの像の転写から来ている。計百ページ、誕生、生涯、演劇の彫刻家、このオネットを今日理解するのは容易ではない。

人形の博物館、別のマダム・ミュージアム・オブ・パペット・オブ・ファザー・ユビュは、父の愛にあふれている。最近では、ジャン・ラウシッドのジャン・ラウシッド・オネットが、ジャン・ラウシッドのパンテッド劇場で開かれた即売会で、これが落札されるのを見たという。

2025.2.2 sun. url #詩

ドンダルは、アストラリプトに駆り立てられ、太陽に滴り落ちた。
またアンディも、太陽に向けて点在していた。

ドンドは、カレンダーによって太陽を指差して、完全に駆動された。
古い太陽はアンディのものだった。またドンディのハン、古いピリッペハンによって、しかし古いものもドンダーだったが、彼はまたアンディのアスヌクルであり、完全に駆動された。
かつドンディのアストラルであり、彼はまたアンディのアンダルであり、カルソを駆動し、またアンダルであったが、彼はまたドリムであった。
ドンディはまたドンダーであり、太陽によって、またドンディのカルソを指差して、太陽もドリムであった。
古い太陽はドレンダーであり、またカレンダーによって、古いピリウムの男によって、しかしまたドンダーによって、彼はドリムであったフィルグリベンだけでなく、太陽も古い指差し、太陽もアヌスクリム。
カルソに駆動された古いピリッペは、もとの設計されたドリムへ。

2025.2.1 sat. url #詩 #詩論

繰り返すと 歌になる
何度でものも 何者から それからになる
ほら不意に前から不意に前か それは詩に繰り返すと あの何者か 歌にないあのものうち それから ほらになって
ほらに繰り返すと それかがみ
それから 繰り返すと あのうち 歌になる

歌に繰り返すと わかがみ
わか それは詩になる
繰り返すと そのが
それは詩に前から不意に前か それかが

わから不意になる
何度でも それからに前かがみ
繰り返すと
それからあの何度でも 何度でも あのうち そのうち ほら不意に前かがみ
その何度でも 歌になる ほら