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2013-01-20
マクガフィンのニヒル
「マクガフィン」はヒチコックが自作の説明に使って広まった用語だという。

マクガフィンとは単なる「入れ物」のようなものであり、別のものに置き換えても構わないようなものである。たとえばヒッチコックは『汚名』(Notorious、1946年)を企画していたとき、ストーリー展開の鍵となる「ウラニウムの入ったワインの瓶」に難色を示したプロデューサーに対して、「ウラニウムがいやなら、ダイヤモンドにしましょう」と提案している。ヒッチコックにとって重要なのは、ウラニウムという原子爆弾の材料ではなくてそれをきっかけにして展開されるサスペンスだったのである。
- マクガフィン - Wikipedia

小道具は入れ替え可能だとヒチコックは考えていた。シナリオライターやプロデューサーが小道具を掘り下げようとすると、ヒチコックはたんなる小道具だからそんな必要はないという態度をとった。
物語の中でかけがいのないポジションを占めているかに見えるアイテムが、じつはいくらでも取り替え可能である。かけがいのないのはポジションであってアイテムそのものではない。ニヒルな認識ではないだろうか。
ヒチコック作品は見てないから他の材料に代えるが、ヒチコックにならうなら、マルタの鷹はマルタの鷹である必要はなく、谷のウグイスでもまぬけなトンビでもかまわない。さらに適用範囲を広げれば登場人物も入れ替え可能である。主人公はサム・スペードである必要はなく、スペードを演じる役者もハンフリー・ボガートである必要はない。
007そのものであったショーン・コネリーが退いても007シリーズは成り立っている。007シリーズにとってコネリーは必須ではなかった! かけがえのない人物であることを誰も疑わなかったコネリーでさえマクガフィンであった。そのショーン・コネリー本人はといえば、かつらも胸毛も捨てて、これぞ加齢の理想形みたいな爺ィに変身を遂げた。コネリーの側から見れば007がマクガフィンだったのである。

すべて入れ替え可能である、アイテムも人物も行為も。
そういう見方は物語理論に通じる。
現代の物語理論はウラジーミル・プロップの『昔話の形態学』(1928年)にはじまる。
プロップはロシアの魔法昔話100個を分析して、それらがすべて同じ構造を持っていることを明らかにした。プロップの理論では、昔話は、別離、禁止、違反、主人公の召喚、出発、移動(旅)、闘いなど31個の「機能」(プロップの用語)の連鎖から成り、機能は31個に限られる。物語の見かけがどれほど異なっても構造は同じである。変わらないのは構造だけで、具体的な人物や行為やアイテムはすべて入れ替えが可能である。言い換えれば、構造を除くすべてはマクガフィンである。
この理論をロシアの魔法昔話から離れて他ジャンルに適用することにプロップ自身は留保をつけているが、理論の骨格は現代の物語でも有効で、ハーレクインロマンは早くから物語理論を制作フローに組み込んでいたようだし、ハリウッドの映画界も物語理論にもとづいたシステムを利用してシナリオ開発の経費を抑えているという。
制作者(小説家、演劇家、映画制作者)はみなオリジナリティを目指す。けれども出来上がったものはすべて同じ構造に支配されている。ならば構造から出発しよう、どうせ同じ構造に落ち着くのだから。――とういのが現代のクリエイティブ産業の認識であるらしい。

ヒッチコックは物語の中心アイテムがマクガフィンであることを知っていたが、じつは小道具も登場人物もすべての具体物がマクガフィンである。物語作者やエンタメ産業はずるいとかせこいとか、そういう倫理や行儀の問題ではない。真理の問題である。
真理にはミもフタもない。サム・スペードやジェームズ・ボンドでさえ入れ替え可能なのだから、凡人のあなたやわたしはもちろん入れ替えが可能。真理はニヒルである。そういうものなのだから、そういうものとして楽しむ。