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2018-04-11
データはある──という夢
03:00目覚め。03:20起床。
物語論の本からテキスト主体の説明図を手作業でコピーした。モニター上での表示がうまくいかないが、あとは目が覚めてから調整すれば良し──という夢。

とりあえずデータは確保した──と、なぜ思い込んでしまうのか。

データは手元のディスクにある。
データはネットで公開されていて、いつでもアクセスできる。
資料は本に載っている。
その本は自室の本棚にある。または図書館にある。
いつも夢の中でやってる勘違い。
目が覚めてみるとデータはどこにもない。
データは消えても大丈夫、概要は頭に入っているのでじっくり考えれば復元できる──というパターンもあるが、これも夢想。頭の中には何も残ってない。どんな分野の情報だったかもすでに不明。

昨日、夏目漱石『彼岸過迄』を読了。
よくわからず。読みはじめたとき、頭の中の文章生成機能──または、おしゃべり回路──を刺激された感じがあって、終わりまで読み通すよう自分に義務付けたのだが。
『彼岸過迄』がおもしろくなかった理由のひとつは、この小説が青年の悩みを描いていること。
青年の悩みはつまらない。
本人には深刻でも、はたから見たら「なんだかな〜」と。
明治末期から大正期、人間はどう生きるべきかとか、真実の愛とかをテーマにした小説や戯曲が多く書かれたが、たいがいは底が浅く、『彼岸過迄』にもそういう面がある。
おしゃべり回路が刺激された件は、追体験らしきもの起こらず。別の原因だったのかもしれず、宿題。