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2018-05-31
遠野からこのあたりにかけては狐が多くてね。
井上ひさし『新釈 遠野物語』の第5話。
出会いから別れまで、犬伏老人の妻だった女のことが語られる。

「どんな人でした」
「やさしい、働き者のいい女だったな。完璧な女だったよ」
 ここで老人はひとつ大きな溜息をつき、それから声を低くしてこうつけ加えた。
「ただしただ一点は除いてだが」
「なんですか、その一点というのは」
「およねは狐つきだった」

題して「狐つきおよね」。
つづいて、これから作者によって語られる物語の材料が『遠野物語』60などであることが、登場人物である犬伏老人によって語られる。

「わたしたちの若かったころは遠野からこのあたりにかけては狐が多くてね。たしか柳田国男の『遠野物語』にも狐のことがふたつみっつ書きとめてあったはずだ。たとえば……」
 老人は『遠野物語』を読み込んでいるらしく、岩屋の天井に眼をやりながらこう暗誦した。
「たとえば『遠野物語』の六十にはこんなことが(以下略)

登場人物が作者のタネ本を明かしてしまう。メタ情報を交錯させて作品の構造自体を問うような実験小説なら、その種のネタばらしはあることだが、井上ひさしはそういう書き手ではない。なんとなく登場人物にしゃべらせてしまったというのが実情だろう。

言うまでもなく、『遠野物語』を読み込んでいたのは作者自身。
けれども、作者が小説のなかに顔を出して、みずから『遠野物語』について語ることはない。
かわりに、第4話の「冷し馬」からは犬伏老人が読み込んでいたと設定され、「ぼく」も『遠野物語』に親しんでいるという設定。
第5話「狐つきおよね」では、犬伏老人の設定は引き継がれるが、「ぼく」については引き継がれない。つまり、第4話段階では「ぼく」は『遠野物語』の読者だったが、第5話ではこの件での言及は消える。

作者は怪異譚をやろうとしているようだが、今までのところうまくいってない。
残りは2話か3話。どういう結末になるか、あるいはならないのか。