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2018-06-09
マルクスが浮浪者を憎んだこと
マルクスは社会的ポジションの不確かな者たちを嫌った。
一般的な言い方ならボヘミアン。マルクスの用語でいえば、ルンペン・プロレタリア。

あやしげな生計をいとなみ、あやしげな素性をもつ、くずれきった道楽者とならんで、おちぶれて山師仕事に日をおくるブルジョア階級の脱落者にならんで、浮浪人、元兵士、元懲役囚、徒刑場からにげてきた苦役囚、ぺてん師、香具師、たちん坊ラツザローニ、すり、手品師、ばくち打ち、ぜげん、女郎屋の主人、荷かつぎ、文士、風琴ひき、くずひろい、とぎや、いかけや、こじき、一口にいえば、あいまいな、ばらばらの、あちこちになげだされた大衆、フランス人がラ・ボエームとよんでいる連中、こうした自分に気のあった分子をもってボナパルトは十二月十日会の根幹をつくった。(伊藤新一・北条元一訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』)

ボナパルトとあるのは、ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)の甥で、まもなくナポレオン3世を名乗って皇帝に即位するルイ・ナポレオン(マルクスは「ルイ・ボナパルト」と呼んだ)。上の記述内容の時点ではフランス大統領。
十二月十日会は、1万人を擁したというルイ・ナポレオンの取り巻き組織。会の名はルイが大統領に当選した1848年12月10日から取られた。
ボエーム(Bohème)は、ボヘミアの住民を意味するラテン語に由来する。いわゆる「ジプシー」が、ボヘミアからきたと見なされて「ボヘミアン」と呼ばれていたが、さらに1830年代のフランスで反ブルジョワ的な生き方をモットーとする芸術家らがジプシーに喩えられてボエームと呼ばれるようになった。

上の引用にあるボエームの一覧は、敵をリストアップしたものではない。カネその他の条件で敵にも味方にもなる無定見な者たち、すなわちマルクスがクズときめつけたクラスの一覧。それゆえ、「ブルジョア階級の脱落者」はリストに含まれていても、ブルジョア(資本家、有産者)そのものは含まれていない。
マルクス主義の歴史理論では、歴史は階級闘争を通じて前進し、19世紀なかばの時点ではブルジョア(資本家)階級とプロレタリア(労働者)階級の対立局面に入っている(マルクス、エンゲルス『共産党宣言』)。
いうまでもなくマルクスは労働者階級を鼓舞・扇動する立場だから、ブルジョア階級は打倒すべき相手なのだが、だからといって存在する価値のない不当な敵というわけではない。ブルジョア階級もまた、封建的な旧勢力との戦いを制して社会の支配勢力にのし上がってきた、そしてプロレタリア階級によって打ち倒されるべき正当な敵なのである。
けれども、フランス人がボエームと呼び、マルクスがルンペン・プロレタリアと呼ぶ階級は、正当な敵でもなければ信用できる同志でもない。ブルジョアではないのだから、本来ならプロレタリアの側で戦線に立つべきところを──とマルクスは考えたはず──敵に買収されてその手先をつとめる存在、それがルンペン・プロレタリアである。

マルクスによるルンペン・プロレタリアの評価をどう評価するか。

以下は、ルンペン・プロレタリアへの言及箇所。
すべて最初の引用と同じ『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』からで、はじめの4本はルイ・ナポレオンの大統領在任中のもの、最後の1本は皇帝即位後まもない時期のもの。

お金がもらえる、お金がかりられる、こういう見込みを餌にしてボナパルトは大衆が釣れるだろうと思ったのだった。もらう、と、かりる、高級のも下級のもおよそルンペン・プロレタリアートの財政学はこれにつきた。ボナパルトがうごかすことを心得ていたバネも、これにつきた。これ以上低俗に大衆の低俗さをあてにして思惑をした王位僭望者はいまだかつてなかった。

ルンペンプロレタリアートのかしらとなったボナパルト、自分が個人的に追っている利益を大衆的なかたちではこんなところでしか見つけることのできないボナパルト、こうしたすべての階級のかす、くず、ごみこそ自分が無条件にたよれる唯一の階級だとみとめるボナパルト、このボナパルトこそ、ほんとうのボナパルトであり、生地サン・フラーズのままのボナパルトである。

次の引用に「この会」とあるのは十二月十日会のこと。

汽車につめこまれて送られてきたこの会の分遣隊は、彼の旅行中、かれのために即席の公衆となり、公衆の熱狂を実演し、皇帝万歳 vive l'Empereur をがなりたて、共和主義者を侮辱し、たたきのめさねばならなかった。もちろん警察の保護のもとでするのである。ボナパルトがパリにもどるときには、かれらは前衛隊となり、反対示威デモ行進の機先を制したり、これを追いちらしたりせねばならなかった。

そのころ制作されたリトグラフ(国立西洋美術館蔵)
十二月十日会に傷めつけられた男が、むかいの部屋の窓を見て、
「…ああ!…お隣さんもどこかの道端で、大統領の取り巻き連中にやられたのか!」
とつぶやいている。

ボナパルトは、まったくボヘミアンであり貴公子ルンペン・プロレタリアであったがゆえに、ごろつき的ブルジョアにくらべて闘争を下品にやれるという長所をもっていた。

ボナパルトは自分を何よりもまず十二月十日会の大将、ルンペン・プロレタリアートの代表者とこころえている。このルンペン・プロレタリアートにかれじしん、かれの手下、かれの政府、かれの軍隊が属しており、そしてかれらにとって何はさておいても重要なのは、自分じしんに慈善をほどこすこと、カリフォルニアくじの賞金を国庫からひきだすことである。こうしてボナパルトは、十二月十日会のかしらたることを、法令をもって、法令なしに、法令にそむいて、実証する。

最後の引用にある「カリフォルニアくじ」は、大統領在任中のルイ・ナポレオンが当時のゴールドラッシュに目をつけて企画した富くじのこと。ルイはその賞金をくじの売上からではなく、国庫から引き出そうとしていたらしい。

マルクスは自身の歴史観と現実とのギャップがおもしろくない。
本来なら──自分の理論どおりなら──旧勢力のブルジョア階級と新興勢力のプロレタリア階級のあいだで成り立つ簡明な戦いの結果として、プロレタリア側がすでに勝利しているか、あるいはいずれ勝利するはずなのに、とりあえず起きたことは、ルンペン的人物のルイ・ナポレオンによって代表されるルンペン・プロレタリアの勝利であった──という現実。
理論が現実に負けている。
どうしたらいいか。
科学的であろうとするなら、現実を取り入れて理論を修正すべきなのだが──。

マルクスの史観の中で、ルンペン・プロレタリアは脇役にすぎない。それも、存在してもらいたくないような脇役。
彼らは無産者である。ならば、最終的な対立局面では有産者の手先をつとめるのではなく、自覚したプロレタリアとしてプロレタリア側の戦線にいるべきではないか。
じつはマルクスも、ルンペン・プロレタリアがプロレタリア側の尖兵として働くことがあるとは認めている。
現にルンペンのスターがいる。オーギュスト・ブランキがそれ。「プロレタリア党の真の指導者」とマルクスも認める人物である。
けれどもブランキはその一方で、

ブランキが反乱扇動者プツチストとして語り伝えられてきたのには十分なわけがある。この伝承におけるブランキは、マルクスが言うように、「革命の発展過程を先取りし、この過程を人工的に危機へと駆り立て、革命の条件が整っていないのに革命を即興で作り出してしまう」ことをみずからの使命と見なす、そうしたタイプの政治家なのである。(ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」(『ベンヤミン・コレクション4 批評の瞬間』所収))

という困った存在でもあって、プロレタリア側の隊列が整うまえに前線に飛び出して敵に捉えられ、決戦時には現場に不在。そんなことを繰り返し、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』が対象とした期間においても、早期に国会乱入を指導して逮捕され、戦いの現場にもどってくることはなかった。

マルクスがルンペン・プロレタリアを嫌ったのは、彼らがプロレタリアの現実の敵として働くということ以上に、マルクスの歴史理論を危うくする存在だからではないか。
現実の敵ならば、それはいつか倒すべきものとして位置づけの可能な対象だが、彼らの存在が理論の敵だとすると、存在そのものを解消しなければならない。解消するには、かれらをルンペン・プロレタリアからブルジョアに格上げするか、あるいはプロレタリア階級に移すかだが、もちろん前者はありえない。
後者もおそらくありえない。
最初の引用にあるルンペン一覧に属す者たちを、すべてプロレタリア階級に移すことは可能か、言い換えると、彼らから生業の手段を取り上げて全員を工場労働者などの非使用人にまとめることは可能か。強権をもってでもしない限り不可能だろう。このリストには入っていないが、ルンペン・プロレタリアの周辺にはマルクス主義でいうプチブルジョア、具体的には小商店主や小企業主もいて、販売施設や製造設備を私有する点ではブルジョア的だが、より強大なブルジョアからの収奪に脅かされている点ではプロレタリア的である。この階級から資産を取り上げて、あるいは資産を捨てさせて、プロレタリア陣営に迎え入れることはできるか。これまた不可能だろう。
マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』を通じてルイ・ナポレオンを下劣で無能としてけなし続けたが、この非難にも無理がある。下劣と見るのはともかく、無能というのは当たらない。ナポレオン1世の甥という看板はあったにしても、みずからの知恵と行動力で大統領選に圧勝するまでになり、任期の終わりがせまるとクーデターを決行して、ついには皇帝の地位まで手に入れる度胸と政治的洞察力を兼ね備えた人物でもあった。
そうした経緯を知りながら、なぜマルクスは執拗な人格攻撃をつづけたか。
やはりマルクスにとってルイ・ナポレオンは、正当な存在理由を有した敵ではなく、不当な、存在すべきでない、敵と認めたくないような敵だったからだろう。

『ブリュメール十八日』で描かれたクーデターを抽象的にまとめると、敗れたのはルンペン的人物であるブランキに率いられるはずであったプロレタリア側、勝ったのはルンペン的人物であるルイ・ナポレオン、そしてルイに代表されるルンペン・プロレタリア階級ということになって、主役であるはずのブルジョアもプロレタリアも後景に引っ込んでしまう。これでは理論の立つ瀬がない。マルクスの歴史観を事実をもってコケにしたのがこのクーデターではなかったか。