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2018-06-24
鳥の歌にはじまる
定義: 個体の生存や種の存続に直接的・物理的には必要ではない営為(遊戯、歌唱、舞踊など)やその産物(記録、記憶、習慣、事物など)のひとまとまりを、その営為が行われあるいは産物が保持される共同体の文化という。

鳥の歌はその最もプリミティブなもの。
なぜ鳥は歌うか。
ひとつには、異性への求愛。
とすると、種の存続にダイレクトにつながる営為だから、鳥の歌は文化ではないということになるが。
「鳥の歌」という言い方をしたから文化に見えてしまうのであって、それは「歌」なのか、たんに生殖機能の一環としての発声ではないのか、というところを片付けておかないといけない。鳥の歌は種の存続すなわち生殖と切り離して行われうるか。

最近のある研究(GIGAZINE による)
  • ニューヨーク州に住むヌマウタスズメは3拍子の歌を繰り返して歌い、ミネソタ州では4拍子の歌を好むなど、地域によって異なる歌を歌う傾向がある。
  • 若いヌマウタスズメが別の個体の歌う曲を学習する際、ランダムに学ぶのではなく、人気のある曲を学んでいる。
  • ヌマウタスズメは1羽あたり最大で5種類ほどの歌が歌える。
  • ヌマウタスズメは元の歌を98%以上の精度で正確に学び取り、歌によっては500年以上にわたって受け継がれるている可能性がある。

土地によって3拍子と4拍子の違いのあることに注意。求愛行動や交尾に、定まった拍子が伴うとは考えにくい。だとすれば、3拍子でも4拍子でもかまわないのだろう。ということは、拍子は生殖の有用性からは外れたものではないのか。
「地域によって異なる歌」とか「人気のある曲」とは、メロディーの違いを言うか。これが所や時によって異なるのは、メロディーも有用性の外にあるということか。
では、なぜヌマウタスズメは無用の発声行為をするのか。
楽しいからではないか。
われわれが歌を歌うわけは、基本的には楽しいから。
悲しい歌を歌うのも、それが心地よいから。楽しさの枠を広く取れば、心地よさは楽しさのうち、悲しい歌を歌うのも楽しい行為のうち。

以上の仮定的に並べたことがすべて肯定されるなら、「鳥の歌」はやはり「歌」なのである。すなわち文化である。

問題。文化において鳥類は人類に大きく遅れている。逆転はあるか。
答。逆転はない。
では、人類滅亡後ならどうか。
その場合も鳥類が文化を発展させる可能性は小さい。さらに言うためには要進化論。

[追記] ナショナルジオグラフィック日本語版にも記事
ヒット曲はますますヒット、鳥で判明、最新研究 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト