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2018-07-19
松山恵子「哀愁の駅」の台湾語版
松山恵子(1937〜2006)は50〜60年代の人気歌手。
代表曲に、「十九の浮草」「だから言ったじゃないの」「お別れ公衆電話」など。

松山「哀愁の駅」の台湾語バージョン「哀愁的火車站」


「哀愁の駅」のオリジナル。


YouTube 投稿者によると、台湾版はオリジナル版発売直後の1965年。
羅一良という歌手が最初にカバーした。

哀愁の駅 --- 松山恵子【台翻 : 哀愁的火車站】 (台灣拉吉歐. 飛虎 : 製播)
※這首「哀愁の駅」是1964年(昭和39年)發行、作詞/辻本茂、作曲/袴田宗孝、唄/松山恵子。1965年(民國54年亞洲唱片翻成「哀愁的火車站」、蜚聲作詞、羅一良演唱。國賓唱片翻成「惜別的飛機場」、由葉俊麟作詞、鄭麗玲演唱。聲寶翻成「哀愁的尾般車」由葉俊麟作詞、陳美雪演唱。其中以「哀愁的火車站」較為出名,歌詞也是直接翻自日本詞,因此一般人印象較深。其實鄭麗玲及陳美雪唱得也不錯,只是當年仍是亞洲唱片天年,因此台翻就以「哀愁的火車站」為代表。

「哀愁的火車站」はその後多くの歌手がカバー。
次のビデオでは、陳一郎(1953〜2001)という歌手が歌っている。陳は80〜90年代を代表する歌い手だったらしい。



見てのとおり、オーディオと映像の取りあわせが妙。
歌詞の舞台は台湾。内容はオリジナル(松山版)と同じ鉄道駅での別れを歌ったもの。
けれども、映像はソ連時代のレニングラード。
[追記。レニングラードにあらず、モスクワなりとの知人からの報。時期もソ連崩壊後と見たいとのこと。ただし、ビデオの開始直後に「蘇聯」の文字あり、ソ連時代と見るほうが妥当ではないか]
同じ女性が何度か登場して、物語の登場人物らしく見えないでもないが、周到に準備された場面とも思えない。
ペレストロイカの時期に西側メディアによって作られたお手軽ドキュメンタリーと見たが、どうか。
この投稿ビデオの作者は、何を考えてこのオーディオと映像をつけあわせたか。
また、合っているように見えるのは、なぜか。
インリンのアルバム『愛ゎまぼろし』に入っている「ダ・スヴィダーニャ」を思い出した。曲の雰囲気が、このへんてこな YouTube ビデオに通じる気がしたのだが、試聴音源が冒頭しかなくて、確認できない。

おまけ。哀愁的火車站 Just Jazz Saxophone 曾進興薩克斯風。