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2018-07-17
台湾でスタンダード化した日本の年代物歌謡曲
昔の歌をカバーするのも歴史の天使の役割ではないか。
とすれば、以下もその例。

日本の歌謡曲を台湾でカバーした「再会呀港都」で踊るダンスグループ。


原曲は1956年(昭和31年)発売の藤島桓夫「さよなら港」。
YouTube で「再会呀港都」を検索すると、台湾で広くカバーされているのがわかる。別れの曲だが軽快感があり、同地ではコミカルに歌われることが多い。オリジナルの発売から60年を経たいまも歌われていたり、ダンス曲としても使われていたりするのは、スタンダード化しているからではないか。
台湾で日本の歌が受け入れられている背景としては、日本の占領時代が長かったことが大きいが、どの歌が根付くかはそれぞれの事情。「さよなら港」には、国際性、普遍性のようなものもありそう。国内でもソウル・フラワー・ユニオンや島唄系などマージナルな位置のバンドにカバーされている。

上のビデオは音質がよくないが、こちらは高音質の「再会呀港都」。


じつは台湾土産(⇒「日本の戦前歌謡が台湾で歌い継がれていること」)にもらったうちの一枚がこの许巧盈という歌手の CD で、「さよなら港」のほか、同時代で聴いた人は90歳を超えてるかという「博多夜船」(音丸、1936年)や、それ比べればかなり新しいが記憶があるとしても70歳前後から上に限られる「哀愁の駅」(松山恵子、1964年)など、年代物歌謡の台語版が入っている。